第11話

「あの森にサラマンダー? まさか!」


 シアンはルノの言葉にシアンは大げさに驚いてみせた。


 やはり彼も信じてくれなかったか。


 軽い落胆をしつつ、ルノは曖昧な笑みを浮かべた。

 つい先日イスミアの森での一件のことを彼にも話してみたのだ。しかし彼も他の人同様の反応をした。

 あの森から帰り、大紅葉の屋敷に着いた頃にはすっかり真夜中になっていた。そんな時間に衛兵の元に向かってもまともに聞いてもらえないと思ったので、一晩置いてから出向いた。しかし、ルノにとっても信じがたいあの一件は衛兵たちに信じてもらえなかった。あの大黒トカゲが俗に言う火蜥蜴(サラマンダー)というものだと分かったとはいえ、それでも、いやだからこそ、余計に信じてもらえなかったのだろう。


 あの森は小さい。そんなところにサラマンダーなど現れるはずがないのだ。

 何より、ルノはその事実を証明することができなかった。サラマンダーは追い払ってしまったし、後日訪れたら、地面にあるはずの焦げすら消え失せていたのだ。だとしたら、衛兵たちに言われたように、ルノがただ疲れていたとか、悪い夢を見てしまっただけなのかもしれない。そう思ったが、フーも間違いなくあのサラマンダーを見たというので、やっぱり事実だ。


 しかし、フーでは証明にならない。


 フーの言葉が分かるのは主であるルノだけで、他の人にはフーはただの黒猫で、にゃーとしか鳴かないのだ。


「きっと疲れていたんだよ。しっかり休んでいるかい?」

「そうですね。最近トカゲ除け作りに熱中していたからかもしれません」


 ルノはこれ以上固持することはなかった。この街での信頼を崩すわけにはいかない。

 さて、魔女監視官の管理下にある魔女は定期的に魔女監視官との面会が義務付けられている。ルノの場合は月に一回シアンと昼食を共にすることで、その義務を果たしている。そして、面会するときはいつも同じ静かな店で、シアンは聖職者が禁じられている酒をここでこっそり飲んでいた。


 シアンは隠れていろいろとやる人のようだ。

 これだとナオミから聞いた二十年前の噂も、もしかしたらと考えてしまう。さすがに直接シアンに尋ねるなんてできないけど。


「そうだ、フーはいる?」

「ええ、フー、出ておいで」


 ルノが呼びかけると、フーは待ってましたと影の中から出てきて、ルノの膝に飛び乗った。そして、期待した目でシアンを見上げた。


「待ちきれないんだな」


 苦笑しつつ、シアンは手の中に氷を作り出し、それをフーの鼻先に持ってゆく。フーはひげをそちらに向けつつ、鼻先をひくつかせる。そして、口を広げて拳大の氷を丸呑みした。


「今日もいい食べっぷりだね」


 ルノの影の力の暴走を防ぐ大事な作業だった。シアンの氷でルノの影の中を埋めるのだ。今日ばかりはフーは食欲のままに氷を貪る。猫らしく、可愛くねだるフーにシアンはねだられるままに氷を与えた。しばらくフーの食事音が響いた。


「また教会にトカゲ除けを持ってきてくれるかな」

「分かりました。今度の礼拝のときにでも、持って行きますね」

「頼むよ」


 ルノは大口の相手には直接薬を届けている。教会も大事な納品先だ。

 そして、フーは十分に氷を食べ終えると、お礼を言うようにシアンに一鳴きして、影の中へと消えていった。


「ありがとうございます、シアン様」

「構わないさ。こっちもお世話になっているしね」


 フーも、氷を好きなだけ食べさせてくれるシアンにとても懐いているようだった。そして、もうこの面談も六回目を数えていた。


「街の人からルノさんのことをいろいろ聞いているよ。街の人ともうまくやっているみたいだね」

「皆さんがいい人ばかりですから」


 ルノにとっては大きな街でやっていけるかと不安だったが、今はそんな不安が全くない。本当にいい街に来られたと実感していた。

 そして、いつもの面談の流れで、そろそろ解散かと思われたが、シアンがケーキを注文する。


「まだ食べられるのですか?」

「ちょっと話しておきたいことがあるからね」


 そしてケーキが運ばれてきて、お茶のお代わりも貰った。


「さて、ルノさんは大陸の北にある帝国を知っているかい?」


 ルノは控え目に頷いた。


「北に帝国があるというのは知っていますが、それだけです。それ以上はよく知らなくて……」


 ラナケルで過ごすようになって、世界的な地理も少しずつ分かり始めた。まず、ラナケルを含む王国があるのは砂時計のような形をした大陸の中央南部。丁度くびれの下の辺りを帯状に東西に横たわっている。砂時計の下部分、王国の南部には中くらいの国がいくつかひしめいていて、砂時計のくびれの部分には小さな国がみっちりと密集している。そして、砂時計のほぼ上半分、大陸の北を占めるのが帝国という大きな国だった。


 ラナケルは王国の中でも南西部に属し、東部にある王都と離れていることもあって、あまり華やかさとは縁がなかった。


「それならきちんと説明した方がいいね。王国の北には小さな国がいくつも連なっていて、さらにその北には、帝国がある。大陸の北半分を支配下に置く大国だ。そして、その帝国を束ねるのが竜帝と名乗る皇帝だ」

「えっ、竜ですか?」


 シアンは頷く。


「そう、彼は竜なんだ。それも人間との混血ではない、正真正銘の純血種。もう何百年もその地位に居続けている」

「待ってください、竜? それに純血種って」


 ルノは軽く混乱した。自分やシアンが竜の血を引く竜の子とは知っていたが、純血種がいるなんて初耳だ。


「竜ってあの背中に翼のある、大きなトカゲ……みたいなのですよね? それが国を作っているんですか?」

「僕も実際に見たことがあるわけじゃないけど、純血の竜は人間の姿に化けられるそうだ。ルノさんのいう大きなトカゲの方が本来の姿だが、どういうわけか純血の竜はその姿より人間に化けるのを好んでいるそうだよ」

「初めて聞きました。純血の竜に、竜の帝国ですか」


 ここは帝国とやらからも遠いので、そういう話はほとんど聞けない。北よりも南の諸外国の話や品がよく流れてきた。


 北に竜の帝国か。


 何だか縁のない話に聞こえた。自分が竜の子という事実は漠然としか受け入れていないせいか、竜という存在そのものが、幻想的で伝説のようなものに感じられた。


「突然すぎて混乱させちゃったかな。でもそういうのもあるんだって教えておこうと思ってね」


 一応誰が聞き耳を立てているか分からないので、自分たちが竜の子であるとは一言も口にしない。傍目から聞いてもただの魔女監視官と魔女の会話にしか聞こえないように気を使っていた。


「もしかしてその帝国には竜や竜の子たちが集まっているんでしょうか?」

「帝国には行ったことがないからな。詳しくは知らないけど、帝国は大陸統一を掲げているから、その戦力として集めていてもおかしくはないだろうね」


 自分が竜の子なので、他の竜の子にも会ってみたいという思いがあった。シアンと出会えたのは偶然だったが、他の竜の子を探すには、まず自分自身の影の力を極めて、少なくとも暴走しないようにきちんと制御できるようになるのが不可欠だろう。


「竜の子に会ってみたいですね。シアン様はそういう方とは会ったことがあるのですか?」

「数人知っているけど、みんなその正体を隠しているよ。探そうとするなら、難しいだろうね」


 そういえば初めて会ったときもシアンはそんなことを言っていた。竜の血を引くもの同士だったら、会ったときに直感で分かる。


「でもどうして竜の子は正体を隠すのでしょうか? 確かに力強い竜が身近にいたら怖いかもしれませんが、魔法が使える魔女や魔術師だって似たようなものではありませんか」


 少なくともラナケルはいい人ばかりだ。ルノやシアンが竜の子と知って、今さら恐れるような人たちではないだろう。

 しかし、シアンは静かに頭を振った。


「そうじゃないんだ。ルノさん、竜晶石というものを知っているかな?」

「晶石というものなら聞いたことがあります」


 それは生物の魂の結晶で、力を引き出すことで魔力の代わりに出来るそうだ。この知識は前の魔女が残した書籍に記されていた。召喚魔法に長けていた前の魔女は晶石の研究にも非常に熱心だったようだ。

 そういえば昔、師匠がルノを見ながら「竜晶石があったら便利だねぇ」と零していたことを思い出す。


「竜という名前が付いているから、もしかして……」


 ルノの背筋がぞっと冷える。

 シアンは固い表情で、重々しく頷いた。

 ルノは言葉を失った。表現しがたい不快感が胸の中に広がる。ただただおぞましく、気持ち悪い話だった。


「晶石というものを魔術師たちが集めているらしいが、その中でも特別なのは竜晶石だという。そして、特別な晶石は竜たちのものだけじゃない。魔力持ちたちの魂も魔晶石というものになるそうだ。だが、自分たちの魂を晶石にするのはさすがに嫌みたいで、魔晶石は好まれないらしい」


 身勝手な話だと思った。ルノが竜晶石に抱いた嫌悪感を、他の魔力持ちたちも魔晶石に抱いたのだろう。だから魔晶石は使わずに竜晶石を用いるということらしい。

 でも、ルノは竜の子でありながら、魔力持ちだ。

 だとしたら、ルノはどっちになるのだろうか。

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