第9話

「ルノ、これ?」


 一人の年頃の少女が、庭のハーブ畑の中でゴソゴソとハーブを掻き分けていた。ルノは彼女の背後に回り、頷く。


「そう、それ」


 少女はそのハーブを摘み取り、ルノが持っていた籠の中にそっと載せた。

 見た目では少女の方が年上に見えるが、実際にはルノのほうが四つ上。しかしルノは年齢のことはさして気にしないので、少女の方もこの顔なじみの魔女に親しげに接していた。

 今日はこの少女ナオミの依頼で、とある薬を作ることになっていた。


「こんなその辺に生えてそうなので大丈夫?」


 籠の中をのぞきこみ、依頼主は不安そうだ。

 それも仕方ない。実際にこの籠の中のハーブはちょっと探せばその辺に生えているものだけど、ルノは必要なときに必ずあって欲しいので、あえて育てている。そして、依頼主が不安になるのは、今回の依頼が彼女の将来を左右しかねない重要なものだったからでもある。


「大丈夫。さ、台所に行こう」


 薬を作るとはいえ、ただの人間で、素人である彼女を専門の部屋に入れるのはためらわれる。台所でも問題ないので、そちらに通した。


 ナオミはラナケルの街でパン屋を営む両親の元に生まれた。店は兄が継ぐので婿を取る必要はなく、ある程度自由な恋愛ができる立場にあり、彼女自身、今気になっている人がいる。話に聞く限り、いい関係を築いているし、相手の立場も悪くない。誰にも反対されないだろう。


 しかし、ナオミと彼の関係はそれ以上の発展がなく、ずるずると変わらぬまま続いていて、それを何とかしたいとルノの元に相談にやってきたというわけだ。


 始めは惚れ薬が欲しいと言っていた彼女であるが、惚れ薬の危険性と煩わしさを説明し、代わりに別の薬の作り方を伝授することで納得して貰った。


「でも、何で私が作るの?」


 魔女であるルノが作った薬を売ってくれればいいじゃないか、とナオミは首を傾げる。


「この薬は簡単に作れるし、覚えておけば後で役に立つと思うの。それに伝授するだけなら、お代は要らないわ」


 ニコリとルノが微笑むと、ナオミも釣られて笑った。


「そうね、ありがとう、ルノ」







    ○ ● ○







 台所での作業をほとんど終え、二人は焼き菓子を摘みながら、居間でお茶を飲んでいた。

 薬はほぼ出来上がっている。あとは冷まして瓶に詰めるだけ。要は放っておけばいい。


「あの薬、見た目が飴色で蜂蜜みたいでしょう? だから飲み物にも混ぜられるわ」


 薬の盛り方もきちんと説明する。

 今回の薬は呪(まじな)い薬だった。魔法薬ではない。だから魔力を持たないナオミでも作ることができるのだ。


 精霊は魔力がないと魔法を起こしてくれないが、強い思いがあると、それに応えてくれることがある。魔力を用いずに精霊の力を借りることを呪(まじな)いという。

 そして、今回作った薬は薬というより、強壮剤とか、栄養剤と呼んだ方がふさわしい。でも、摂取すると気分が良くなる。それほど持続はしないけど、それをどう生かすかが大事なのだ。

 ルノはある策略を伝授する。


「そうだ、薬をあなたの手料理に混ぜるといいと思うの」

「どうして?」

「薬の効果を、あなたの手料理を食べたからって誤解させるために」


 ナオミはすでに彼を招いて食事を作ってあげるほどまで進展している。だから、薬を盛るのは容易い。本当に、結婚まであと一息なのだ。


「なるほど。ルノはさすが魔女ね。そんなこと、思いつかなかったわ」


 別にこれは魔女の知恵でも何でもない。前世で見たテレビ番組で知った、危険ドラッグの売人の手法を参考にしたまでだ。

 でもとてもそんなこと言えないので、笑っておく。

 魔法や呪いも便利だけど、魔女という肩書きもなかなか使い勝手がいい。


「そうそう、でも一度にたくさん盛っちゃダメだからね」

「そうなの?」

「食べ過ぎるとお腹が緩くなっちゃうの。それだと逆効果でしょう?」

「じゃあ一回の上限ってどれぐらい?」

「大さじに一杯ね。甘い味が付いているから、入れすぎると料理の味が変わっちゃうし、良くないよ」

「気を付けるわ」


 下手をすると、ナオミの信頼に関わってしまう。それは非常にまずい。

 だが、この薬の材料はわりと簡単に手に入るので、あとはルノの手を借りずに作ることができるだろう。


 あとは、ナオミ次第なのだ。


「そうそう、ルノ。これ、私のお母さんから聞いた話なんだけど」


 ナオミはお茶で唇を湿らせてから、そう前置きした。


「ここに住んでた魔女、フレイラっていうらしいんだけど、どうやらシアン様のことが好きだったみたい」

「えっ!?」


 突然何を言い出すのかとお茶を噴出しかけた。


「突然ね」

「でも面白い話だったから、つい。でもね、フレイラ、急に消えちゃったらしいの」

「みたいね」


 ルノは屋敷の様子からそう予想していたので、頷いた。


「この屋敷に、フレイラの日記とかなかったの?」

「そういえば、そういうのはなかったわね。研究メモとかノートはたくさん残っていたけど……」

「お母さんによるとね、フレイラがいたのって今から二十年ぐらい前のことで、ルノみたいに薬を売るでも魔法で手助けしてくれるわけでもないらしくて」


 ルノは相槌を打ちながら、耳を傾ける。

 魔女らしいことをしていなかった、ということは、二階のあの蔵書が答えを出している。前の魔女フレイラは魔法の研究に没頭していたらしい。


「でもそれでシアン様は何もしなかったの?」


 この街の魔女監視官シアンが、魔法を人のために使わない魔女を見過ごしていたとは考えにくい。


「度々注意していたみたい。でも、結局変わらなかったって。きっとそうやってシアン様の気をひいていたんじゃないかって言っていたわ」

「そもそもどうしてそんな話が? フレイラがシアン様に想いを告げていたとか?」

「それがね、フレイラはシアン様をよく目で追っていたらしくて、で、そういう話になったらしいの。でも、シアン様も魔力持ちでしょう? 魔女の伴侶としてはふさわしいじゃない」


 そうか、シアンはこの街の人には氷の魔術師として知られているのだった。普段は司祭として教会に勤めているけど、司祭は妻帯を認められているし、魔女も別に結婚を禁止されているわけではない。寿命の長い魔力持ち同士なら、いい相手というわけらしい。


「シアン様からそういう話を聞いたことがないわ。彼からも前の魔女が突然消えたって聞いているし」

「さすがにそんな結果になった色恋沙汰は言えないんじゃない? 外聞悪いし。フレイラが突然消えたのも、シアン様に想いを告げて、断られたからって専らの噂になってたらしいわよ?」

「でもそれなら教会の方が問題にするでしょう? 魔女監視官が監視対象の魔女とそういう関係になってたって、まずいじゃない」

「それがね、丁度そのとき王国の王位継承争いがあって、この田舎でもゴタゴタがあったらしいの。それで魔女がいなくなって、その上さらにシアン様までいなくなったら、この街に魔力持ちがいなくなっちゃうじゃない。それはさすがにまずいってことで、みんな教会の方に通報しなかったらしいの」


 魔力持ちは当然その力を期待される。魔女のように手助けを求められることや、戦力としても。政況不安から来る治安悪化を恐れて、それなら口を噤むことにしたのだという。


「そうなんだ」


 二十年も前ならば、もう風化したようなものだ。シアンはちゃんとした人に見えたけど、それなりのことはしていたようだ。人は見かけによらないな。


 ただ、ルノは残された資料から、魔女フレイラは魔法実験の失敗で消えてしまったかもしれないとも考えていた。召喚魔法は魔法陣で遠くはなれた二点を繋ぐ。その過程で何か事故がおきてもおかしくないのだ。


 しかしルノのそんな予想も、ナオミの聞きかじった話も確たる証拠がなく、事実とは認定しがたい。

 頭から信じることはせず、そういう噂もあるという程度に捉えておくことにした。

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