第4話
次にルノが目を覚ますと、見たことのない天井が広がっていた。
ここはどこだったっけ。何をしていたのだったか。
しばらく回りの悪い頭で考えていた。しかし、ある瞬間、唐突に思い出して、跳ね起きた。
「フー、フー!」
ルノが愛猫にして、自らの影の僕の名を呼ぶと、体にかけていた毛布の下から黒猫が顔を出す。
『どうしたの?』
「良かった。無事なのね」
ふと気が付くと、気を失う前に襲われていた圧迫感は嘘のように消えうせていた。
ルノが寝ている間に、ルノの影が広がり、余裕が出来たようだ。影とは不思議なもので、詰め込めば詰め込むほど、どんどん広がるようだった。
影は足元から広がる、何でも詰め込める大変便利な収容袋だった。その力を理解してゆくほど、師匠がどうしてこの力を恐れていたのか分かってきた。
ルノはこの力に目覚めたばかりで、大したことはできないが、この力はとにかく強力で、魔法でどうこうできるものではないのだ。
愛弟子がそんな力を持っているなんて、おっかない。師匠はだからルノをどことも知れぬ地に吹き飛ばしたのだろう。
そのとき、ベッドの向こうにあるドアが軽くノックされ、ルノが返事すると、一人の修道女が入ってきた。
「失礼致します。おはようございます。具合はいかがですか?」
「大丈夫です。ここは教会ですか?」
「ラナケルという街にある、教会兵舎です。魔女様ですよね?」
「はい。手首の証を見たのですね?」
修道女はコクンと頷いた。
魔女とは魔力持ちがなれる職業の一つだ。しかし、魔女の技は魔女へと受け継がれるもので、他の魔力持ちの職業とは一線化す。そして魔女はその利き手の内側に魔女の証という印が刻まれている。
「あの、私、気を失ったみたいで、何も覚えていないんです。何があったか教えてもらえませんか?」
「それに関しては後ほど魔女監視官の者が説明いたします。何か食べられそうですか?」
「はい。ありがとうございます」
修道女は一度部屋を出て行き、盆に朝食を載せて戻ってきた。ルノは運ばれてきた朝食を平らげると、顔を洗い、身支度を整える、修道女の案内である部屋へと通された。
ルノはそれまで師匠と共に田舎の森で暮らしていた。森の近くにある村には教会はあっても、常駐している聖職者はいなかった。しかし、教会が魔女を監視、管理しているとは聞いたことがあった。
その噂の教会の魔女の監視とやらに、ルノが引っかかったらしい。
管理とか、監視とか仰々しい言葉が並んでいるが、そんなに怖くなかった。魔女だから、と迫害されることはないと知っていたからだ。
「待っていたよ」
ルノを迎えたのは若い男だった。二十代中頃の、青い瞳が印象的な、好青年だ。
あれ、何だろう、この人。
ルノは初対面のはずの彼に、妙な親近感を抱いた。
「ありがとう、下がってください」
彼は修道女を下がらせると、ルノを部屋の奥にある卓へと通す。
「さ、掛けてください。いろいろ聞かないといけないからね」
ルノが椅子に浅く腰かけると、その向かいに彼が着いた。
「まずは名乗らせて貰うね。僕はシアンと言います。このラナケルの街で司祭を勤めながら、魔女の監視官をしています。名前を教えてもらっていいですか?」
「ルノ、と言います。シアン様」
ルノは手首にある魔女の証を見せつつ名乗った。
「ルノさんね。君は魔女だけど、まだ若いよね? 今いくつなの?」
「えっと」
年を問われ、口ごもる。正直に言って、果たして信じてもらえるだろうか。魔女は確かに長命だが、人間と同じように老いる。今でこそ、成長の遅さは竜の子だったからと分かったが、それを説明していいものか。これまでは成長の遅さは魔女だから、と言ってきたが、目の前のシアンは魔女の専門家でもある。
嘘は良くない。
余計な疑いをもたれても良くないだろう。
「十八です」
恐る恐る正直に告げると、シアンは意外にあっさりと受け入れた。
「へー、何だ。思ったより若いじゃないか」
「え、信じるんですか!?」
「嘘だったの?」
「そんなことないです。でも、十八に見えないから、すぐに信じてもらえるなんて」
「人間だったらね。でも、君は竜の子だろう?」
「どうして」
「気配とか、感覚かな。僕も竜の子だけど、気付かなかった?」
「えっ」
ルノはただ驚きで、シアンを見つめた。
「もしかして他の竜の子と会うのは初めて?」
コクコクと首を縦に振る。
「そっか、それなら仕方ないね。竜の子だってことはあまり言わない方がいい。まず良いように思われないからね。さて、それじゃあ今回のことをいろいろ聞かせて貰おうかな」
「分かりました。でも途中で気を失ってしまったので、きちんと説明できるかどうか……」
そう不安げに前置きをして、以前、師匠と森の中で暮らしていたというところから話し始めた。
「うーん、つまり今回の一件は君の力の暴走ってだけだね」
「そんな暴走だなんて、大げさな……」
「これは暴走だよ。その黒猫は君の力の一部なんだろう?」
ルノは説明の際、自らの影から黒猫の姿をしたフーを呼び出していた。シアンはフーを手で示す。
「これが君の意思に反した。だからこれは力の暴走だ。さっきの話からしても、まだ力が覚醒したばかりだし、力の扱いに慣れていないから、こういうことはよくあるんだ。それにしても君の力は面白いね」
「影の力が、ですか?」
「そうだ。そんな力があるなんて初めて聞いたよ。僕の氷の力よりずっと便利そうじゃないか」
「でもそっちの力のほうが誤魔化しやすいじゃないですか」
魔法でも氷を自在にできる。だから、竜の子としての力ではなく、魔法だと言い張ることができる。竜の子だと気付かれにくいのだ。
「確かにね。僕も昔公国で魔術師をしていたと言っている。この街の人はみんなそれを信じているよ」
「実際にシアン様は魔法が使えるのですか?」
「僕は魔力すら持っていないよ。この魔女監視官なんて仕事は知識さえあればこなせるからね。問題も支障もないよ。ただ資格があるだけさ。それに竜の子で魔力持ちなんて聞いたことがなかったな」
「そうなんですか?」
「ああ、珍しいことだ。それだけじゃない。竜の子の女ってのも、僕は初めて見た」
「じゃあ、男の竜の子は見たことがあるんですね」
「竜の子ってのはわりといるよ。みんな隠しているんだ。この辺りには僕しかいないけど。でも君の場合、その猫はとっても役に立つね」
「牛とかを丸のみにしちゃったことですか?」
「しゃべることだよ。空腹すぎると暴走してしまうけど、お腹が空いたと自己申告してくれるんだろう? つまり未然に暴走を防げるってわけだ」
「でもそう言われても、私、何も持っていなくて……」
ルノは身一つで転移させられてしまったのだから。
「それに関して、僕が力になれるだろう」
シアンは机に両肘をついて、顔の前で手を組んだ。
「僕の氷をこの黒猫に食べさせるというのはどうだろうか」
「いいんですか?」
「ただ、条件がある」
「な、何ですか?」
「この街の魔女になって欲しい」
「シアン様の監視の下でってことですよね」
「そうだ。お互いにとって利益のある話だと思うけどね。まずは僕の権限で君の身分を保証しよう。僕はここで長年司祭をしているから、街の人も君のことを信頼してくれるだろう。きっと魔女としての活動もうまくいく。ああ、あと一番大事なことを忘れていた。今君が引き起こした一件を片付けられる」
「なるほど。でもお互いにとって利益があるとおっしゃいましたよね? シアン様の利益って何ですか? もしよろしければ教えてもらえませんか?」
「鋭いねぇ。僕の利益はいくつかあるよ。まず、今この街には魔女がいない。医者はいるけど、やっぱり魔女がいて欲しいって時があるんだ。それから以前この街にいた魔女の屋敷があってね。そこの管理者を探していたんだ。魔女の君ならぴったりだろう? そして最後に、僕は魔女の監視官だ。でも監視対象の魔女がいないと立場がなくてね。一人でもいてくれると気持ち的にも助かるんだ」
「そういうことでしたか。いいですよ、分かりました。私もさっき話したとおり、行くあてがありませんし、家や身分を保証してくれるなら、願ったり叶ったりです」
「それじゃ、交渉成立だ。屋敷の鍵はこれ。君が起こした一件のことをこれから処理するから、悪いけど一人で屋敷に行ってくれるかい? 大紅葉の屋敷といえば、みんな分かるから」
「分かりました。シアン様、これからよろしくお願いします」
ルノはシアンから鍵を丁寧に受け取ると、お咎めも無しに教会兵舎を出ることができた。
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