第32話 秋の香り

 私は軍の階級についてあまりはっきりとは認識していなかったが、こちらの世界では曹長の上が少尉なのだそうだ。聞けば私の居た世界ではその間にもう一つ階級があったという。


 ◇


「尾道少尉。昇進おめでとうございます」


 私は尾道少尉にお祝いのハンカチをプレゼントした。尾道少尉は大いに照れていた。

「何で昇進なんでしょうね。私は人質に取られた挙句、撃たれただけなんですけどね」

 そう言って彼女は笑った。榎本中尉は首をふる。

「いや、少尉の覚悟があってこそ、素晴らしい結果が引き寄せられたんだよ。あの時君が俺と土方中尉に語りかけたことは、大いに昇進に値するよ」

 私もうなずく。尾道少尉は嬉しそうにしていた。ジャクソン中尉が近づいてくる。

「よう新しい少尉。もう快復したのか?」

 尾道少尉は言う。

「まだ完全じゃないですけどね。日常生活は問題ないですよ」

「そうか。良かったな。ところで今度新しい指揮官が東京から来るそうだぞ。どんなヤツかな?何か聞いてるか?」

 私も榎本中尉も首を振った。

「そうか。とにかく普通なら文句は無いよ。前の指揮官は考えられる限り最低だったからな」


 そう言ってジャクソン中尉は笑った。


 ◇


 横浜基地に赴任してきたのは大庭海人大佐だった。佐々木中尉から少しだけ聞いていたが、新田大佐を調査していた本人がやってくるとはだれも思っていなかった。土方中隊の福岡曹長は神崎中隊へ編入され、土方中隊には新しく竹村香奈軍曹が副長として抜擢された。


 大庭大佐は五人の中隊長を呼び出した。

「今聞かせたとおり、土方中隊、榎本中隊、神崎中隊、ジャクソン中隊、林中隊の五中隊の体制を継続する。尚、東京の佐々木中尉は横浜との連絡の部署についたから、何かあれば頼ってもらっていい。何か質問はあるかな?」

 私はいの一番に手を上げた。

「失礼します。大佐に伺うのは適当でないことは承知しているのですが、山上伍長以下五名の処遇はどのようになるでしょうか」

 私はこの五人について少し負い目のようなものを感じていた。

「ん?ああ。そうか」

 大庭大佐は小刻みに頷いた。

「気にするのは当然かと思う。諸氏から受けている減刑の嘆願についても、ある程度は考慮されるだろう。しかし全くの無罪とはならん」

 私は黙って聞いている。

「これは軍だからというわけではなく、法治の面からの問題だが、私的な刑、つまりリンチというかな。そういうものを許してしまっては、国家はなりたたんからな。彼らに同情の余地がおおいにあることは、承知している。しかし無罪放免にしてしまったら、似たような事件が次々起こって収集がつかなくなるおそれがある。だからある程度のケジメは必要だ。そこは諸氏にも理解してもらいたい」

 私は聞く。

「刑に服して釈放されたのち、軍に復帰することは可能なのでしょうか」

 私は彼女らの生活を心配していた。

「現状ではそれは何とも答えられんな。正直どちらの可能性もあるので、この場で何か言うことは難しい」

「…分かりました」

 私に出来ることは無い。

「土方中尉。君の心情は理解しているつもりだ。しかしどうしても付けるべきケジメはある。承知して欲しい。他に質問はあるかな?」

 ジャクソン中尉が手を上げる。

「岐阜に逃げた勢力を追いかけて攻撃する可能性はありますか。それがあるなら是非うちの中隊は立候補したいのですが」

 大庭大佐はうなずく。

「軍の作戦としていつか岐阜を攻撃することはあり得る。しかしその作戦に我々が参加するかどうかは分からん。管轄は中部であるし、名古屋の基地が我々の助けを拒否すれば、我々だけでは参加を決められん」

「状況としてはどうなる可能性が高いのですか」

 ジャクソン中尉は更に言った。

「そうだな。可能性だけで言えば、中部方面隊だけで岐阜を鎮圧する可能性が高いだろうな。中尉の気持ちも分かるが、中部方面隊にしてみたら我々の助けを受けたくも無いだろう。自分たちの手柄にしたがるだろうな」

「我々が参加できるように大佐からお願いすることは難しいですか」

「関東から中部に派遣するのは、国家レベルの話しだ。国政として岐阜を攻撃する判断になれば別だが、幸か不幸か岐阜の勢力はそこまでには達していない。我々には静観するしか出来んだろう」

「そうですか」

 ジャクソン中尉はうなだれた。

「中尉、そう気を落とさないでくれ。山梨の勢力の一部が岐阜に流れたのは、君のミスでは無いことは十分に承知している」

 榎本中尉が聞く。

「では当面の我々の目標は何でしょうか」

 大庭大佐は榎本中尉の方を向く。

「正直言えば、諸君らの今までの活躍によって関東の治安は保たれている。関東における明確な攻撃対象は消え去っている。勿論取るに足らない小規模な勢力があるにはあるが、警察に任せても良いレベルだ。なので諸君らは当分、訓練に励むこととなる。勿論、災害派遣などはあり得るだろうがな」

「なるほど」

 榎本中尉は複雑な思いを持った。

 平和であることは素晴らしいと思う。

 けれども何もなければ昇進のチャンスが遠のくというふうに思った。

 それが素晴らしいことは分かってはいるが。

 神崎中尉が聞く。

「大佐。今回の騒動で我々は大きな疑心暗鬼が生まれていると思います。軍の現状についてどこまで信用して良いのか、話せる範囲で教えて頂けませんか」

 大庭大佐はレポートに目を落とす。

「話せる範囲だな。難しいところだが、全ては人のやることだ。完全な組織はあり得ないし、かと言って堕落しきるほどには人間は強くないと思う」

 大佐は独特の言い回しで言った。

「諸君らは軍に対して、性善説と性悪説のバランスをきちんととってもらえるように願いたい。性善説を取り過ぎると裏切られた時狂ってしまうし、性悪説を取り過ぎると、単純な作戦すら遂行するのが難しくなる」

「はあ」

 神崎大尉は不満そうな顔をした。

「軍も所詮、人だ。良くも悪くもそういう思いで、いざ命令が出たら完全に遂行してもらいたい。宜しく頼む」

 最後に林大尉が言った。

「ジャクソン中尉と似たような質問になりますが、我々の中隊は横浜に赴任して以降、何の戦果もあげられていません。活躍する場所を与えてもらえませんか」

 大庭大佐は言う。

「そのように士気旺盛なのは大変に有り難い。ただ覚えておいてもらいたいのは、軍が活躍する時代というのは悲劇の時代ということだ。軍がただ飯ぐらいと揶揄されるような時代であれば、その時代は平和ということだ。諸君らが日陰で不遇をかこつほどに、世間が幸せになることもあり得る。そこは肝に銘じてもらいたい」

「承知しました」

 林大尉は引き下がった。

 私はこの大庭大佐という人に、初めて上司としての器の大きさのようなものを感じた。

 器が大きいと言う言葉を実感したような気がする。

 仮にどれだけ魔法力が高くなっても、こういう言葉を出せる自分の想像がつかなかった。


 良い人が来てくれたと思った。


 ◇


 吉川クマラ少佐が私と榎本中尉の元を訪ねてくれた。


「今回、君らに命を助けてもらったよ」

 榎本中尉が言う。

「いえ、少佐がご無事で何よりです」

 私も言う。

「桐野中尉が信頼していた方ですから、お助け出来て私たちも嬉しいです」

 吉川少佐の顔が曇った。

「そう、桐野君の件だが、もう聞き及んでいるとは思うが、彼女に新田大佐のことを話したのはこの私だ。今でも余計なことを言ったと悔やんでいるよ」

 私と榎本中尉は言葉を出せなかった。

「私は恨まれても仕方がないかもしれないな」

 私は言う。

「恨むだなんてそれはありません。少佐が桐野さんのことを心配してこそ言われたのは、私たちにも分かります」

 榎本中尉も言う。

「そうですよ。桐野さんも少佐に恨みはないはずです」

 少佐は空を見上げる。

「だと良いんだがな。純粋な若者に、絶望的な状況というものを伝えることが、こうも罪深いとは知らなかった」

 外は秋の高い雲が流れていた。

「何にせよ、桐野君の遺志は継いでいこうと思う」

 私は口にする。

「少佐、それでは暗殺に加わった五名の減刑嘆願について、ご配慮をお願い出来ませんか」

 少佐はうなずく。

「勿論だ。私は彼女らの減刑について全力で行動しようと思う。それに加えて刑期が終わった後の復職についても、出来得る限りのことはしたいと思う」

「よろしくお願いします」

 私は頭を下げた。

「土方中尉、桐野中尉。君らも部下を持って大変だと思う。日々後悔することの無いよう勤務に励んでくれ」


 私と榎本中尉は敬礼をした。


 ◇


 佐々木大尉が私のところを訪ねてきた。


「調子はどうかしら」

 私は洗濯をしている。

「特に問題はありません」

「そう、良かった」

「今日は何かあったのですか?」

「何かあったというほどではないわ。大庭大佐に渡す書類があっただけ。それであなたのことが気になってね」

 そう言って佐々木大尉は笑った。私は怪訝に思った。

「何かありそうな顔をしていますよ?」

「ふふふ。あなたが断るのが目に見えてるから、言う必要もないなと思って」

 私は洗濯の手を止めた。

「何ですか。気になります」

「あなたの功績が認められて、あなたを東京に呼びたいらしいわ、軍の上層部は」

 私はあっけにとられた。

「東京で何をしろって言われるんですか?」

「何もないわ。ただの事務作業よ」

「それで何で呼ばれるんですか」

「手元に置きたいのでしょうね」

 私は呆れた。

「手元に置きたいだけの理由でここを去る意味は無いですよね」

「そう言うと思ったから言わなかったのに、しつこく聞いてきたのはあなたの方よ」

 そう言って佐々木大尉は笑った。

 そして付け加える。

「大丈夫。本人の意思を無視してまで連れて来なくていいと言われているわ。だからあなたの気が進まないようなら、東京への転属はないから。安心して」

 私はホッとした。

「それに大切な人から離れたくもないでしょうしね」

 私は驚いた。

 顔が赤くなったと思う。

「何でそんなことを知ってるんですか」

「新田大佐の動向を調べてる間、当然中隊長の動向も調べていたわ。そうしたらあなたたちの関係が判明してきた。私はそんなこと調べるつもりはなかったけれども、あなたと榎本中尉がもし、新田大佐の意思で動いてたら、ね」

 私は黙りこくるしかなかった。

「まあ、軍の規律はその辺緩いからある程度お目こぼしはあるけど、節度は弁えてね。部下の手前もあるのだから、男をいつもいつも連れ込むのはどうかと思うわ」

「連れ込むなんてそんな…」

「結果的に周りからはそうとしか見えないわよ」

 私はため息をついた。

 佐々木大尉は笑った。

「別に責めているわけではないわ。ただ軍はそういう場所なの。覚えておいて」


 そう言って、佐々木大尉は立ち去った。


 ◇


 私は今、榎本大尉の部屋にいる。

 佐々木大尉から言われたことを榎本大尉に話した。


「軍だからな。盗聴でもされてるのかな」

 私は盗聴されていたら、どれほど恥ずかしいことかと、気が遠くなりそうだった。

「佐々木大尉は最後で美味しいところを持って行くような人だったんだな。完全にやられた気分だよ」

 そう言って榎本大尉は笑った。

 私は数少ないレシピからカレーライスを作った。

「美味しいね」

 榎本大尉はそう言って食べてくれる。

「ありがと」

 これだけで幸せだった。

「なあ、土方」

「ん?」

「お前はこの世界に来たことに後悔は無いか?」

 私は微笑んだ。

「後悔してない。ただ一緒にカレーライスが食べられる、そのことがこんなに幸せに思えるとは知らなかった。この世界が私にそれを教えてくれたよ」

「そっか」

が教えてくれたいろんな人の遺言は、とても重たいとは思う」

「うん」

「でも人間ってその繰り返しで生きて来たんだろうなって、何となく分かってきた」

「なるほど」

「だからいろんな人の遺言をきちんと心に留めて、でも腐らないように気を付けながら頑張っていきたいなと思う」

「そうだな。俺もの能力には驚いたけど、たくさんの人の遺書が読める能力と思えば、もしかしたら悪くないのかもしれない」

「うん」

「少し怖いけど、遺言は残す人間の問題じゃなくて、聞く人間の問題だよな」

「ああ、そっか。そうだね」

 彼はカレーライスをたいらげた。

「なあ、土方」

「ん?」

「一つ思ったんだけど、軍がしてるのが盗聴じゃなくて盗撮だったらどうする?」

 私はカレーライスを噴きこぼすかと思った。

「それって凄く怖いんだけど」

「でもテロを防ぐためなら、道理はあるだろ」

「それって…」

「俺たちがキスするところも全部録画されてたりな」

 そう言って榎本大尉は大声で笑った。

「もう、本当にそうなら笑い事じゃないでしょ」

 私は彼を軽く平手打ちする。

「いいじゃないか。見られたところで減るもんじゃない」

 秋の鈴虫の音色が聞こえてくる。

 彼はそっと私に近づいてきた。私たちはキスをした。

「土方はもうすぐ、こっちに来て一年たつな」

「そうだね」

「よく頑張ったな」

「うん、嫌なこともいっぱいあったけど、信頼できる仲間に出会えた。それが何よりの財産だね」

「そっか。俺は絶対お前を手放さないからな」

 私は噴き出した。

「何それ」

「何で笑うんだよ。絶対守るって言う決意表明なのに」

「なんか面白かったよ、今の」


 そう言って二人で笑いあった。


 ◇


 その年の終わりは完成した。軍はその大きな威力と副作用を考慮して、配布を一部の将校に限ることも考えたが、特に魔法力の高い人間しか、意識を通わせるような現象が起きないことが判明し、大量生産へと切り替えた。

 それによって軍は大きな戦力の拡充を達成したが、同時にその武器の威力と効用が闇のルートを通じて民間に流れるのも時間の問題だった。事実それから程なくして、が民間に流通していることが判明し、を使った殺人事件も起きた。軍はそれからの生産を縮小したが、時すでに遅しという状況だった。


 岐阜のテロリストに対する攻撃は中部方面隊に任され、着実に進んで行ったが壊滅には至らなかった。そもそも国の中央を優遇する政策に国民の多くも賛同しており、テロリストを支援する民間同士が後をたたなかったからだ。また蝦夷地も含め、独立を画策する地域も存在しており、その勢いはむしろ増していくようだった。


 ◇


 私が理解したこと。それは、人とは意識を運ぶ入れ物で、人は愛と呼ばれるものを好んで運びたがるということだ。榎本中尉との関係を大切に育んでいこうと思う。それが私の命が存在する理由なのだと思う。

 

 私がこの世界へ来た理由を知るその日まで――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る