第29話 拘束

「佐々木中尉。準備はどうだ」


 大庭大佐が聞く。

「万端です。いつでも動けます」

「そうか。大役になるが宜しく頼むぞ。ジパングの未来を左右すると言ってもいい」

「はい。細心の注意を払います」



 ジャクソン中尉と堂島軍曹は訓練に勤しんでいた。


「ジャクソン中尉。我々が中部方面隊と連携することはあるのでしょうか」

 ジャクソン中尉はうなずく。

「ああ、俺たちが取り逃がした連中が岐阜に逃げ込んでいるらしい。もしかしたら中部と合同の作戦があるかもな。取り逃がした連中が中部で悪さをしたら、こっちに嫌味を言われるだろうからな。関東のお偉いさん方の面子もあるんだろう」

「面子の為に出動ですか」

「俺たちは、文句は言えんよ。どうにも出来なかっただろうが、俺たちが取り逃がした連中ではあるからな」



 神崎大尉は柿下少尉とはそりが合わないのを感じている。それは柿下少尉が小林少佐の腹心であることだけでは説明できないと思った。神崎大尉ははっきり聞いてみた。


「柿下。君は小林少佐のどこが良くて、そんなに彼に付き従うんだ」

 柿下少尉は大尉の余りの率直な質問にあっけにとられた。

「どこが?どこがというか少佐は同郷であり公私にわたって助けてくださいましたから。それ以上にはありませんが」

「君は軍に対して理想を持ったりはしないのか」

 柿下は鼻で笑った。

「別に全てを斜に構えるつもりはありませんがね。人間が手に入れられる理想なんてたかが知れている。それは歴史が証明しているでしょう。私は家族のためにお金を稼ぐ。それ以上でもそれ以下でもありません。そのために小林少佐に付き従うのが、最もお金になるのです。それは人間の真実だと思ってますがね」


 そう言って柿下は笑った。



「榎本中尉、お疲れ様です」


 尾道曹長は榎本中尉にタオルを差し出した。

「ありがとう」

 榎本中尉は礼を言う。

「あの、中尉」

「ん?」

「最近、私、中尉に対して失礼な態度を取っていたような気がします。すみませんでした」

「あ?ああ、別に気にしてないよ」

 尾道曹長は悲しそうな顔をした。

「手が届きませんね」


 榎本中尉は何も答えなかった。



 佐々木中尉は十名の部隊を率いて新田大佐の執務室を訪れた。


「どうしたね、佐々木君。急に用件があるとは珍しいね」

 佐々木中尉は敬礼をした。

「本日大佐に質問があって参りました」

「質問?」

 新田大佐はお茶をすすった。

「どんな質問だね?」

 佐々木中尉はレポートを出した。

「新田大佐の銀行口座へ群馬と静岡、それに山梨から送金が為されております。これらは一体なんでしょうか」

 新田大佐は佐々木中尉をにらみ付ける。

「私は個別の入出金については良く知らんよ」

「場所が場所だけに確認する必要があります」

 新田大佐は急に声を荒げた。

「貴様、無礼だろう!上官に向かってあからさまに嫌疑を向けるとはどういうつもりだ!それ以上続けるならただじゃ済まんぞ!」

「何とでも仰ってください。入金されている百万円単位です。とても無事ではいられないのはあなたの方ではないですか」

 新田大佐は引き出しに手をかける。

「妙な動きは止めてもらえますか」

 佐々木中尉は銃を構えた。新田大佐は唸るように言う。

「貴様、誰の命令でここに来た」

「答える義務はありません」

「だったら私も君の質問に答える義務はないな」

 佐々木中尉は一枚の紙きれを出した。

「あなたの逮捕について許可が出ております。言っては何ですが、本来的な意味であなたほど逮捕にふさわしい方はいないかもしれません。逮捕とは証拠隠滅や再犯を防ぐためのものですからね」

 新田大佐は吠えた。

「だから何の話しだと言っている!」

「新田大佐。あなたをテロリストからの収賄、および情報漏洩の罪で逮捕致します」

 新田大佐は目を見開いた。

「そんなバカな話しがあるか!」

「そう思うのなら、どういうことか説明してもらいましょうか」

 新田大佐は言葉に詰まった。佐々木中尉は言う。

「あなたは一体、どれだけの兵をおもちゃにしてきたか。兵の熱意を自らの金づるとしか考えていなかったのですか」

「貴様は一体、何者だ。ただの中尉ではないのか」

「私は中尉ですが、諜報一課所属の特殊部隊員です」

 新田大佐は崩れるように椅子に座って、青ざめた。

「それじゃ…」

「あなたのしたことはほとんど軍の上層にばれていると思ってください」

 新田大佐は引き出しから拳銃を取り出し、自分のこめかみに当てた。その時佐々木中尉の拳銃が火を噴いた。「パンッ」という音と共に放たれた弾丸は綺麗な軌跡を描いて、新田大佐の拳銃を打ち抜いた。

「な…」

「あなたの自殺を止めることなどわけないことです。申し開きは軍法会議でお願い出来ますか」

「いつから分かっていたんだ」

「私は諜報部隊として横浜基地に送り込まれました。かなり早い段階からだということです」

 新田大佐は冷ややかな目で見る。そして精一杯の皮肉を言った。

「だったら君も軍の若者たちを殺した共犯のようなものだ。私の仕組んだシナリオをそのまま泳がせていたのなら、君らも共犯だ」

「大佐、私は万が一の場合、あなたを殺害する許可も頂いております。反乱罪でこの場で死刑になりますか。その場合、残されたご家族の処遇は保証できません」

 新田大佐は呆然とした。佐々木中尉は言う。

「可愛い娘さんがいらっしゃいますよね」

 新田大佐は椅子に座ったまま動けなかった。佐々木中尉が命令を発する。

「連れていけ」


 新田大佐が逮捕されたことを横浜の基地は知らない。



「ねえ、榎本中尉」

「ん?」

「この前の返事なんだけど」

「ああ」


 彼はリンゴの皮むきを止めた。

「あの、こんな私で良いんですか?」

 彼は私の手を取って真っすぐに見つめた。

「君がいい」

 私は頭が真っ白になったけれども、必死に小さく何回も頷いた。

「…よろしくお願いします」

 次の瞬間、彼はぎゅっと私を抱きしめてくれた。私は彼の腰のあたりに手を回した。

「守っていくよ」

「うん」

 そのまま時間にしたら五分もなかったかもしれないけれども、私はこちらの世界に来て感じたことのない安心感に包まれた。

 私たちは唇を重ねた。安心とはこういうことなのかもしれない。私は唇を重ねたまま、涙があふれてきた。そのまま彼の胸を借りて、泣いた。ずっと一人で戦っていたような気分だったのかもしれない。堰を切ったように泣いた。

「大丈夫。安心していい」


 私はそのまま眠りについていた。



 佐々木中尉の部隊十名は横浜の基地に到着した。ジャクソン中尉は佐々木中尉を見て、驚いた。


「あれ、佐々木中尉じゃないか。どうしたんだ?」

 佐々木中尉はジャクソン中尉を一瞥いちべつして言った。

「小林少佐はいるかしら?」

「ああ、多分いると思うけど」

 その時ジャクソン中尉は佐々木部隊の重々しい空気を察知した。

「何をするつもりなんだ?」

 佐々木中尉は一枚の紙を取り出した。

「小林少佐に対し逮捕令状が出ています。ジャクソン中尉、あなたに命令します。小林少佐の執務室まで案内してください」


 ジャクソン中尉は言葉を発することが出来なかった。皆が影で言っていた悪口が現実になったと思った。



 小林少佐の執務室には尾道曹長が訪れていた。


「尾道曹長、君は今の仕事に何か不満はあるかね?」

 定期的なヒアリングではあったが、尾道曹長は小林少佐の笑い方が気持ち悪いと思っていた。

「いえ、特にありません」

「要望は何かないか?」

「要望…」

 自分が榎本中尉を憎からず思っていることは、軍にとっては何の関係もないことだった。ただ榎本中尉と同じ中隊に居られることは嬉しかった。

「出来ればこのまま榎本中尉の中隊に所属しておきたいです。榎本中尉とは大変仕事がしやすく、私も注意を尊敬しています」

「ほう」

 小林少佐は顎に手を当てた。

「まあ、それは現状のままだから、構わないが、しかし曹長。たかが中尉に完全に寄りかかるのも、処世術としては良いとも思わんぞ」

 尾道曹長は意味が分からなかった。

「私のように少佐クラスになってこそ、頼りがいがあるというものだ。女が男に頼るということは、結局は金か権力だからな。君はその辺を考えてみて、誰に頼るのかもう一度考えてみるのが良いぞ。君が断らないなら、君を私の側近として置いても良い」


 そう言って小林少佐は笑った。その時執務室のドアが開いた。

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