第20話 時間

 山田大尉と桐野中尉は吉川少佐の部屋を出た。


「山田大尉」

 桐野中尉が声をかける。

「ん?」

 山田大尉は無表情に向き直った。

「大尉は先程の話し、ある程度知っていたのかもしれませんが、それにしてもまったく動揺されてませんね」

 山田大尉は初めて表情を崩した。

「ああ、新田大佐とその取り巻きに対する反発は東京でもかなり強いからね。先に言うけれども、彼らの後ろには足利義樹、陸軍大将がいるって噂だ。俺達の処分はついでかもしれないが、陸軍の上層は自分たちの意のままになる組織の構築を図っている。吉川少佐が所属している改革派のグループは上層には目障りなんだよ」

「私は知らない間に改革派にコミットしていたのですね」

「もし後悔するならば、今回の話しは聞かなかったことにすればいい。ただ吉川少佐も君に見どころがあると思えばこそ、計画の深層まで話したとは思う」

 吉川少佐にはここまで育ててもらった恩がある。それに部下に対する接し方にも尊敬の念を感じていた。

「山田大尉に迷いはないのですか」

 山田大尉は小首をひねった。そして微笑んだ。

「自分の滅びを想像すれば怖いさ。でも自分の保身ばかりで昇進してもな。そのうち誰かが蝦夷地に送られることに、そういった軍や世の中の理不尽に、何も感じなくなる自分の方が怖いかな」

 この人は見た目よりもずっと純粋なのだと思った。

「そうですか」

「数日考えてみてくれ。その結果作戦に参加しないとしても、俺は、多分吉川少佐も君を責めたりしないから。そう」

 山田大尉は思い出したように言った。

「俺が新田を恨む理由を正直に言えば。蝦夷地に恋人を送られてしまったからさ」

 桐野中尉は山田大尉を見据えた。

「そうだったんですか」

「そして、去年亡くなった。凍死したと聞いたよ。迷いが無いのは実のところそんな理由でしかない」

 そう言って山田大尉は笑った。そして付け加えた。

「俺の覚悟に君が付き合う必要は無いよ。吉川少佐も君に酷な要求をしていると思っているよ」

 桐野中尉は言う。

「昇進を目指してそこから仕組みを変えていこうという考え方では駄目でしょうか」

「勿論それでも良いさ」

 山田大尉は優しく桐野中尉に語りかける。

「そのやり方が正しいだろう。けれどもそれだと権力を握れるのは一握りさ。そして権力を握る頃には、若い頃の情熱を忘れているだろう。情熱を持たない保身が上手い人間だけが上へ登っていく。心ある人間は潰されていった。俺はそういうものをいくつも見てきたから、もう待ちきれなくなってしまったんだ」


 山田大尉はそう言って窓の外を見た。青葉が眩しく輝いていた。



 私は桐野中尉がここ数日ふさぎ込むような雰囲気を持っていることを理解していた。


「桐野中尉、ここ数日なにかあったんですか」

 桐野中尉がハッとした顔をしてこちらを見る。

「ううん、何でもないわ」

 私は笑った。

「その様子で何でもないは無いでしょう」

 桐野中尉はそれを聞いて、何の遠慮もなくため息をついた。私の前でこうもあからさまに落ち込んでいる中尉を始めて見た。

「何かあったんでしょう。私で良かったら話してもらえませんか」

 桐野中尉は私を横目で見た。

「土方中尉。あなたはこのジパングの理不尽をどうにかするため、ひたすら昇進を目指すのよね」

 私は唐突な言葉にキョトンとした。

「はい、まあ、そのつもりですが」

「私は余計な情報が入り過ぎているのかもしれない。何処に希望を持てば良いのか分からなくなってきた」

 そう言って彼女はうつむいた。この世界のジパングは閉塞感に包まれている。榎本少尉が声をかけてくる。

「どうしたの、お二人さん。暗い顔して」

 桐野中尉は立ち上がって、

「何でもないわ」

 とだけ言って立ち去ってしまった。

「え?どういうこと?」

 榎本少尉は納得がいかないという表情でこちらを見てくる。

「私も分からないよ」

 そう言って私は首を振った。榎本少尉が言う。

「何だか桐野中尉、ここ数日様子がおかしくない?」

「私もそう思うけど、何も話してくれないから」

 二人で桐野中尉の後ろ姿を見送っていた。不意に後ろから声をかけられた。山田中隊のジャクソン中尉だった。

「よう、お二人さん。デートか?」

 彼はアメリカの黒人だったが、子供の頃にジパングに帰化している。

「いえ、違いますよ」

 私は何の気なしに答える。

「そうなのかい?」

 ジャクソン中尉は榎本少尉に再び聞いた。

「自分はそのつもりでしたが、今のところ振られております」

 そう言って榎本少尉は敬礼をした。

「ははは、そうか。そりゃ作戦が上手くいけばいいな」

 そう言って、ジャクソン中尉は榎本少尉の背中をバシバシと叩いた。私は気になっていることを聞いた。

「ジャクソン中尉。一つ聞きたいのですけど、ここ数日桐野中尉の様子が変なんです。心当たりは桐野中尉と山田大尉が同時に吉川少佐に呼ばれたことなんですけど、ジャクソン中尉は山田中隊ですから、何か聞かれてませんか」

 ジャクソン中尉は頬をかきながら言う。

「それは俺も同じなんだ。何も聞かされてないが、山田大尉はじっと考え込む時間が増えてるな。むしろ俺が聞きたくてこっちに来たんだけどな」

「そうですか」

「管理する立場だ。言えないこともいくらでもあるだろうけどな。しかしああいう悩み切った様子は見たことないから、余程大変な作戦でも命じられたのかなと思っちゃうね」

「そうなんですけど、私も中隊長の立場だから、作戦であれば私にも話しがあるはずなんですよね」

 ジャクソン中尉もうなずく。

「そうなんだよな。それにここの指揮者は小林少佐だからな。作戦の指示なら小林少佐が呼ぶだろうとは思う。だから俺も戸惑っているんだよ」


 三人で話しても結論は出なかった。



 そうして時間だけは経過していった。

 横浜の基地は今日も訓練に明け暮れている。


と言うそうだ」

 小林少佐は言った。私と桐野中尉、佐々木中尉、神崎大尉、山田大尉の全中隊長が執務室に呼ばれた。

「各県にそれぞれ何らかの組織があるが、というネーミングはいかがなものかと思う。この名前でテロリストなのだ」

 私は、この人は何を言ってるんだろうと思う。

「ネーミングは彼らの勝手だし、軍の作戦にも影響はない。しかし大衆をだまそうという魂胆が丸見えで大変見苦しいネーミングだと思う」

 彼は私たちの方は見向きもせずに話していた。

「まあ、それは置くとして、問題は、彼らが静岡の残党と群馬の残党を吸収したという噂があることだ。ほぼ確かな情報だ。特に群馬のリーダーが合流したのは戦力的にも警戒しなければならん。相当な使い手のようだからな」

 私の討ちもらした人間か。

「故にこの横浜に命令が来た。三つの中隊をもってこの拠点を制圧せよとな」

 私は一歩踏み出した。

「少佐、是非私をその中に入れてください。討ち漏らしたのは私の責任です。その責任を取らせてください」

 小林少佐は目を細めて言う。

「そうか。その言葉は大変いいぞ。君もようやくやる気になってくれたか」

 彼の言っていることとは少し違うと思ったがのリーダー、田中を討ち漏らしたことは未だに考えてしまう。願ってもないチャンスだと思った。

「では、他の二中隊だが…」

 小林少佐が言い終わる前に、桐野中尉が一歩前に出た。

「少佐、私もお願いします。土方中尉にばかり武功を取られてはかないません」

 私は嬉しいと思った。けれどもその場に微妙な空気が流れたのを誰もが感じ取った。小林少佐は一呼吸置いてから、桐野中尉の方を見た。

「桐野君。君は東京からの評価が芳しくないようだぞ」

 そう言ってニヤニヤと笑った。桐野中尉は怯まなかった。

「そうであれば尚更お願いいたします。その評価をくつがえさねば、私も私の部下たちも今後の展望がありません」

 そしてまた少しの沈黙があった。桐野中尉がここのところ表情がさえなかったのはこれかと思った。恐らく桐野中尉は東京からの自身の評価が低いことを知っていたんだ。山田大尉も一歩前に出た。

「自分もお願いいたします。桐野中尉と同じく、私も自分の評価をくつがえさねばなりません」

 佐々木中尉と神崎大尉はことの成り行きをあっけにとられた表情で見ていた。小林少佐は相変わらずニヤニヤしていた。

「五つの中隊のうち、どれを派遣するかは私に任されている。私としては確実に山梨の拠点を落としてくれれば、誰でも構わんのだがね」

「必ず制圧してみせます」

 桐野中尉は胸を張って言った。私はそういうことを言う桐野中尉を始めて見た。

「良いだろう。派遣する中隊は山田中隊、桐野中隊、土方中隊とする。しかし自分らから言い出した以上は、失敗した場合の責任は覚悟しておけよ」

 そう言って小林少佐は椅子に座った。


「もう一つ付け加えておく。静岡で川口大尉が戦死した時、敵の指揮を執っていたのは、霧島真喜人という男だ。こいつが隊長らしい。そしてこいつも山梨の部隊に合流している。それだけ山梨の部隊は強力な可能性がある。くれぐれも油断はするなよ」



 私達五人は小林少佐の執務室を後にした。私は桐野中尉に声をかける。


「そういうことだったんですね、桐野中尉」

 桐野中尉は苦笑いのような表情を浮かべる。

「そうね。東京の私の評価が芳しくないという情報は入って来てたから、少し焦りがあったの。でもこれで挽回して見せるわ」

 山田大尉も声をかけてくる。

「桐野中尉、良いのか。君はそもそも中隊長を降りることだって可能だろう」

 桐野中尉は山田大尉を睨み付けた。

「それが可能だとして、そんな道が取れると思う?もう私は部下を持たされた。ここで退いて、軍に居場所はないわ」

 私は二人だけの会話の意味を正確に理解していなかった。

「分かった。ともかく派遣される以上は必ず成果をあげよう」


 山田大尉の言葉に、私と桐野中尉はうなずいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る