第15話 ぼんやりとした時間

 川口大尉の葬儀は横浜基地にて行われた。川口中隊はの本体と思われる部隊と衝突。激戦の末、川口大尉含め戦死者十五名を出し、堂島進軍曹の指揮により退却していた。私は川口大尉が戦死するとは夢にも思っていなかった。それは榎本少尉も桐野中尉も同じだった。


「何でこうなるんだろう」

 榎本少尉が呆然とした顔つきで言葉を出す。

「私は…」

 私も言葉が出て来なかった。

「私は一番聞きたかった人の最期の言葉が聞けなかった…」

 桐野中尉は口を真一文字に結んで、言葉を出さなかった。涙を必死にこらえているようだった。私は言う。

「これって酷くないですか。弱い新兵ばかりの隊を率いて、きっと川口大尉は自分が積極的に前線に出たんですよ。これって上の人のミスじゃないんですか!」

 私は桐野中尉を抱きしめるように言った。桐野中尉は何も答えなかった。私は自分の魔法力の無意味さを考える。敵の遺言ばかり吸い取ってしまう、この力に何の意味があるかと思う。誰より最期の言葉を聞かないといけない人の言葉を聞けなかった。私は言いようのない無力感に襲われた。

「仕方ないよ」

 榎本少尉はうなだれながら言う。

「俺たちに出来ることは無かった。何かミスをしたわけでもない」

「でも…」

 私は納得がいかなかった。

「桐野中尉、どうなんですか」

 私は桐野中尉の顔を睨み付けていたと思う。それでも桐野中尉は言葉を発さなかった。横から堂島軍曹が近づいてきた。

「土方少尉、川口大尉をお守りできず申し訳ありません」

 彼は涙を浮かべながら頭を下げた。私は努めて冷静さを装いながら、言葉を返す。

「堂島軍曹の責任は無いと思います。良く生きて帰ってきてくれました」

「大尉は土方少尉のことをいくつか聞かせてくださいました。少尉のお話しをする時の川口大尉はとても楽しそうでした。そのことが心に残っています」

「そうですか…」

 尾道曹長が割って入る。

「堂島軍曹。お気持ちは分かりますが、これ以上土方少尉に荷物を背負わせないでください。少尉は多くの意志を背負っていらっしゃいます。我々は少尉の荷物を少しでも軽くしてあげる必要があるのです」

 堂島軍曹はにわかに敬礼をした。

「申し訳ありません。不注意でした」


 私はニコリと微笑んだ。精一杯の笑顔を作った。

「大丈夫です。ありがとう堂島軍曹」


 ◇


 静岡の作戦について、拠点の制圧は小林中隊によって達成されている。

 川口中隊の撤退は、あくまで作戦における犠牲が、全体では多数であったという評価だった。全体として目標は達成されており、軍の査定はプラスに働いた。小林大尉は少佐へと昇進した。川口中隊は解体され、それぞれの中隊へ編入された。堂島軍曹は佐々木中隊へ異動した。私は小林少佐に呼び出された。


「一度君とはゆっくり話しをしてみたいと思っていたんだ」

 小林少佐はデスクの上にある緑茶の香りを楽しんでいた。座っている椅子は黒皮で、前の世界で言えば社長椅子のようだった。

「君の活躍は私の耳にも届いているよ。高い魔法力を有しているそうだね」

「ありがとうございます」

 私は呼ばれた理由が分からず、けげんな顔をしていたと思う。

「君は異世界から転生してきたのだから、こちらの世界のことは勉強中だとは思うが、どうだ。この軍で出世していきたいと思っているかね」

 私は唐突な言葉に驚いた。

「正直言えば、昇進がどんなものか、まだピンと来ていません。昇進に積極的かと言われると違うような気もします」

「なるほど。何が気になるんだ?」

 私は感じていることをそのまま話すか迷った。それは桐野中尉が彼のことをあまり好んではいないらしいということが引っかかっていたからだ。

「何と言いますか、軍が本当に国民の為になっているか、などです」

「ほう」

 そう言って小林少佐はこちらに正対した。

「この世界の軍は民の為に存在していないように見えるかね。前の世界では、軍はそんなに民の為に存在出来ていたのかな?」

「前の世界で、軍のことを意識したことはありませんでした。そもそも平和で豊かだったので。こちらの世界は貧困があふれていますから、軍ももう少し何か出来るような気がしてならないです」

「なるほどな」

 彼はあごをなでながら、私を見ている。どこかにニヤ付いた顔に見える。

「では土方少尉。私から言っておくが、君は昇進を目指すべきだ。何事もある程度の権力を保持しないことには変えられない。無力な一人の兵が正論を言ったところで、誰が聞くだろう。そうは思わんか」

 私は答えられなかった。

「何を目的とするかはそれぞれの自由だ。しかし金が目的だろうが、正義が目的だろうが、それを実現出来るのは、力を持った人間のみなのだよ。それは仮に平和な世の中であっても、かわりはなかっただろう」

 それはそうかもしれないと思った。

「であれば、少尉。私の側近として昇進を目指せ。私は君の魔法力を必要とするし、君は自分の疑問を解決するために、権限を手に入れればよい。悪い話しではないだろう」

 確かに悪い話しではないと思った。

「側近とは具体的にどういうことでしょうか」

「特段大きく変わることは無いが、君への指示は桐野中尉を通さず、私が直接下す。君は中隊に所属する小隊長のような立場にするつもりだ」

「私が隊長ですか」

「すぐにではないがな」

 私はその時ふと一つの言葉が出て来た。

「小林少佐。川口大尉が戦死されたことをどう思われますか」

 小林少佐の目つきが少し変わったのが分かった。

「その質問は私を試しているのかな」

「そういうつもりはありません」

「君からの評価を落とすかもしれんが。はっきり言うが、私は川口を評価していなかった。彼は部下の為と言いながら、決断を何もせず、安全な道ばかりを歩きたがった。ヤツの死期を早めたのはヤツ自身だと思っているよ」

 私は怒りの表情が顔に出ないように一所懸命になっていた。小林少佐は立ち上がって言った。

「君もいずれ分かる。人の上に立つというのは決断の連続となる。その時ある種の非情を持ち合わせていないと、部下を崖から突き落とすこともある」


 そう言って彼は含み笑いをした。


 ◇


「桐野中尉。気分がすぐれないのか?」


 吉川少佐は桐野中尉に語りかける。桐野中尉は首を横に振った。

「いえ、大丈夫です。川口大尉のことを考えていました」

 吉川少佐は小さくうなずく。

「君の言いたいことは分かる。しかし滅多なことは口外しないようにな。川口大尉の身に起きた理不尽は、全てあり得ることだ」

 桐野少尉も頷く。吉川少佐は続ける。

「軍も権力闘争に明け暮れて、庶民の方は見ていない。政治もそうだ。これではいつ社会に分断が到来しても不思議ではない」

「分断ですか」

「具体的にそれが何かは分からんがな。時代は救世主を求めるかもしれない」

「我々に出来ることはあるのでしょうか」

「今のところ無いだろうな。しかし、桐野中尉」

 吉川少佐は少しの間を置いた。

「小林少佐には気を付けたまえ。彼は昇進の為に手段を選ばないところがある。他でもない君だから言っておく」


 桐野中尉はコクリとうなずいた。


 ◇


 私は榎本少尉と私の部屋にいた。一人でいるのは不安になるから誰かいてくれるのは嬉しい。ただ男の人が部屋に来るのは、それはそれで落ち着かなくはなる。


「土方少尉。小林少佐に何か言われたとしても、気にしなくていいから」

 彼は特に内容を聞いても居ないけれども、気遣ってくれる。

「何でそう思うの?」

「小林の評判は君も聞いてるだろ。前から悪口しか言われてないよ」

 私はぼんやりと部屋の壁を見つめた。

「それに、小林は川口大尉が死んだ時も、あくびをしていたらしいからな。俺だっていい気はしない。悔しいよ」

「そう」

「でも、軍に戦死は付き物だから。上の人は誰かの戦死で心を動かしていたら持たないって話しは良く聞きもする。だから仕方ないのかもしれない」

 私は少し違うような気がした。でも何が違うのか良く分からない。私は全然気合が入らない声で榎本少尉に言う。

「私、昇進を目標にしてみる」

 榎本少尉が驚いたような顔をした。

「別にいいけど、急になんで」

「一人の兵隊で居ても、悲しい思いばかりがつのるから。何かを変えたいと思うなら、上に行くしかないような気がしてきた」

 榎本少尉がじっと私を見ていた。

「それは否定しないけど、上に行けば行くほど、悪魔が潜んでるって言われるよ。君はそれに耐えていけるのかな」


 彼が私のことを心から心配してくれているのは分かる。けれども私の心の中に迷いはほとんどなかった。


 ◇


 久しぶりの基地内での訓練に汗を流していた。隣では尾道曹長が精神を充填して拳銃を放っていた。


「尾道曹長。凄い精度ね」

 私は言った。尾道曹長は首を振りながら言う。

「少尉に言われても複雑ですね。私の能力では全く少尉にはかないませんから」

 そう言って彼女は私の隣に腰を下ろした。私は彼女に聞いた。

「ねえ、曹長。聞いて言いかしら。どうしてあなたは軍に入ったの?」

 尾道曹長は不思議そうな顔をした。

「今更どうしたんです?」

「いえ、こちらの世界の人がどうして軍に憧れるのか、ずっと疑問があったから」

 尾道曹長はニッコリと微笑んだ。

「私も他の人と変わりませんよ。一番稼ぎの良い公務員だからです。それは少尉もご存じだと思いますけど」

「そうなんだけど、そんなに簡単に自分の命をかけられるものなのかなぁと思って」

 尾道曹長はうなずきながら言った。

「そうです。それくらい庶民の暮らしが酷いんですよ。親の生活まで考えると、軍に入るしか親孝行できそうもなくて」

 私は前の世界に残してきた両親をふと思った。

「偉いね」

「いえ、兄もそうしてましたし」

「お兄さんいたの?」

「もう戦死しましたけどね」

 私は聞いてはいけなかったかと後悔した。彼女は続ける。

「少尉、気にしないでください。兄は立派に戦死して、両親は恩給を毎月もらっていますから。亡くなっても兄の親孝行は終わってないんです」

 そう言って彼女は空を見上げた。

「私も兄を見習って、立派に戦死してみせます」

 私は驚いた。

「戦死を目標にするの?」

 彼女は少し困ったような顔をして、苦笑いのような顔を浮かべた。

「目標にするつもりはありませんけど、訓練中の事故死とかだと、少し恩給が下がってしまうんです。せめて死ぬなら敵の銃弾に当たりたいとは思います。勿論、生きて両親を養えるのが一番ですよ」

 そう言って彼女は今まで見たこともないような明るい笑顔をしてみせた。

「家族の恩給の為に生きてるのかな。凄いね」

 私は悲しくなった。

「少尉。そんな顔しないでください。少尉の居た世界がどれほど平和だったかは分かりませんけど、どんな世界でも人はタフに生きるものですよ。私は軍で生きる自分を後悔したことはないですから」

「あの、変なこと聞くけど、こっちの世界の、軍の人とかは恋愛とかどうするんだろう?」

 彼女はうつむいて少し笑った。

「それはこの軍の中でもありますよ。でも軍だと憧れてた人が次の日遺体になってることが時々ありますね」

 そう言って彼女はまた空を見上げた。

「恋愛って怖いかもしれないですね」

 彼女はポツリと言う。

「なぜ?」

「せっかく出来た、死への覚悟が、鈍ってしまいそうだから」

 私は彼女の心にある覚悟に驚いた。

「鈍って当然だと思うよ」

「でも、そのうち離れたくないとか、戦場に行って欲しくないとか、そんなこと考えだしたら、もう自分がこの場所にいられなくなりそうで」


 遠くで桜の花びらが散っていた。

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