第二章

第10話 後悔

 川口中隊は襲撃を受けて、そのまま進軍せず県境の軍施設へ撤退した。私は米倉軍曹を自分の不注意で死なせてしまった後悔に打ちのめされていた。桐野少尉が私の肩を支えながら語りかける。


「土方少尉。あなたはあの瞬間魔法力による無意識の中にいたわ。あなたが前に出たのは不注意だったかもしれないけど、あれは実戦経験が少ない時はまま起こることなの。気にしないで大丈夫よ」


 そう言って頭を撫でてくれた。正直私が死んでいれば全ては問題なかったのにと思った。私はこの世界に心の底から馴染んでいるわけではないし、未来を見通しているわけでもない。彼のように何とか希望を手繰り寄せようとしていた人を死なせて、自分が前向きになることは想像出来なかった。

 しばらく考えなかった、何のために自分は召喚されたんだろうという疑問が、再び頭をもたげてきた。私は桐野少尉に言う。


「彼と死ぬ間際に意識が混ざり合ったんです…」

「それもあり得るわね。お互いの魔法力が鋭敏になっている時だからこそ起きるわね。何を話したの?」


 私はお互い料理を作り合うことを約束していたことは言えなかった。

「こちらの世界を嫌いにならないで欲しいってことと、後を宜しくって言われました」

 桐野少尉が少し微笑んだ。

「そう、彼は真面目だったからね。死ぬ間際までそんなことを言ってたのね」

 そう言って桐野少尉はずっと頭を撫でてくれていた。私は頭をなでてもらえるだけ幸せなのだと思う。彼はもう頭をなでてもらうことは出来ない。それともあの世という場所が本当にあるなら、そこで頭をなでてもらえるのだろうか。そうだと救われる、と思った。


「桐野少尉は何故そんなにしっかりしておられるんですか。何故そんなに強いんですか」

 私の唐突な質問に桐野少尉は戸惑ったような顔をした。

「私も別に強いわけじゃないのよ。ただ召喚されたあなたの方がいろいろと大変だろうと思うと、手を差し伸べたくなるだけ。気にしないで」

「私も桐野少尉みたいに強くなりたいです」

 彼女は優しく微笑んだ。

「無理して強くなろうとしなくて良いわ。日々を一所懸命にこなしていたら、気が付いたら強くなっているものよ」

「そうなんですか」

「あなたも中学生になった時、小学生だったころの自分が幼く感じたでしょう?高校になったら、中学の時の自分が幼く感じた。その繰り返しなのよ」


 その時榎本少尉が私の部屋を訪ねてきた。


「ああ、桐野少尉。こちらでしたか。川口大尉がお呼びですよ」

「川口大尉が?分かりました。榎本少尉。土方さんをお願いできるかしら」

「承知しました」

「土方少尉、後でまた話しましょう」

 そう言って、桐野少尉は出て行った。榎本少尉は私の目の前に正座した。私は涙と鼻水が出ていたので、慌ててタオルで顔を隠した。榎本少尉は何も話さず押し黙っていたが、少し言葉を出した。


「米倉の件は、残念でした」

 私はタオルで顔を隠したままだった。

「死に際に意識が流れて来たそうで、能力が高い故にそういう経験までしてしまうんですね。まさかあなたの能力がそこまでとは思っていませんでした」

 私はタオルで顔を拭いて、榎本少尉を見た。彼はうつむいていた。

「米倉は小学校の頃から知った仲だったんで、僕も辛いですね」

「私のせいで、ごめんなさい…」

「いや、あなたを責めたいわけじゃないです。むしろ最期の意識を理解してもらってありがとうございました。最期の意識を感じるっていうのは、本当に高い能力が無いと出来ないことなんですよ、こちらの世界でも。だから心から感謝しています」


 そう言って彼は力なく微笑んだ。そして榎本少尉は意を決したように言った。

「これからは俺、全力で土方少尉を守りますよ。ずっと迷いがありましたけど、吹っ切れました」

 そう言って彼は私の手を取った。

「これからは俺、態度改めます。何でも頼ってください」

 彼は少し声に力を込めて言ってくれた。私は少し驚いたけれども、壊れかけたような私の心にはとても温かいものだった。


 ◇


「桐野少尉。君はどう思う。君の意見も聞いておきたい」

 川口大尉は苛立っていた。川口中隊以外の四つの中隊は計画のとおり、前橋市内に布陣しているようだ。唯一この川口中隊だけが作戦に失敗した。

「敵に情報が漏れていたかどうかの話しですか」

 桐野少尉は、無表情に聞いた。

「そうだ。なぜ我々の中隊だけが準備万端狙われたんだ。どうみてもあの攻撃は、進軍ルートを把握していたとしか思えん」


 彼は右手の人差し指で机をカリカリとひっかいていた。

「待ち伏せなのか、それとも鉢合わせたのか、正直断定は難しいような気がします。たまたま彼らの網に我々が、はまった可能性もあります」

「それが何故我々の部隊でなくちゃならん」

 彼は自分の出世を気にしている、桐野少尉はそう思った。

「幸い中隊は瓦解するに至ってはおりません。再度別のルートで進軍することも出来ます」

「そんなことは分かっとる」

 桐野少尉は亡くなった九名の隊員達を思った。川口大尉は深くため息をついて、言葉を発する。

「桐野少尉。作戦の失敗は私の責任だ。しかし失敗した作戦に参加していた兵たちにもマイナスの査定が付くことは君も分かっているだろう」

「はい。それは承知しています」

「だから次の作戦は残った兵たちの、将来の昇進がかかっている。次も前橋に辿り着けないとなったら、私の昇進も勿論だが、兵たちの査定も相当なマイナスだ。だから神経質にもなるんだ」


 桐野少尉は彼の言っていることは、理解は出来ると思った。けれどもここで作戦が洩れていたかどうかをあれこれ推測することに意味は無いとも思った。どのみちそれを証明するのは極めて困難だろう。


「情報の漏洩について何かお心当たりがあるのですか。そのようにも聞こえますが」

 川口大尉は真っすぐに中空を見据えて動かなかった。

「軍も悪魔が漂う魔界だよ。下手な推測は言葉に出来ん。何処に耳があるか分からんしな」

「であれば、お言葉ですが軍を進める以外に無いように思います」

 川口大尉は桐野少尉を睨み付けた。

「君はいい。正論だけにおぼれていれば良いのだから」

 桐野少尉はカチンと来たが、反論を言葉にはしなかった。


「大尉の心中は様々あるとは思います。それを正確に把握は出来ませんが、隊員一同進軍の命令が下されれば、皆勇敢に戦うことだけは確かです」

 それだけ言って、桐野少尉は川口大尉の部屋を後にした。


 川口大尉は前回と全く同じ計画ルートをたどって前橋へ行くことを決断した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る