第35話 覚悟

項垂れ嘆くアレッシュを尻目に、セラフィーナは炎の外へ声を掛ける。


「レイヴィン、身体を取り戻したわ! お願い、この炎を消して!」

「ああ、分かった!」

 炎の外からレイヴィンの声を聞いたセラフィーナは、ゆっくりと地に足を着け立ち上がった。


 レイヴィンなら必ずこの炎の中から助け出してくれると信じ、慌てることはない。

 自分の掌を握って開いて、透けていないことを確認すると、今度は足元に倒れたまま動かないローズに視線を向けた。

 意識を無くしているようだが、寝息はたてている。彼女も本当の姿に戻れたようだ。


「違うっ!! あなたの入るべき身体はこれではなかったはずです、ローズ!!」

 アレッシュに肩を強く掴まれ揺さぶられる。

「いいえ、私はセラフィーナよ。記憶を取り戻したの、アレッシュ」

「……そう、ですか」

 すっと表情を捨てたアレッシュは、無気力にセラフィーナの肩から手を離す。


「そんなに嫌でしたか。全てを捨てて、わたくしと共に生きるという選択は」

「嫌です」

 こんなにはっきりと自分が拒絶されるとは思っていなかったのか、アレッシュは、ショックを受けた顔をした。


「なぜ……歌姫の身体を捨てれば、記憶を消せば、あなたは普通の女の子として生きて行けるというのに!」

「自分の記憶もない、姿も違う。全てを塗り替えられたら、そんなのもう私じゃない。死を選ぶのと同じ意味だわ」

「そんなことないっ、わたくしは誰よりもあなたを想っている、幸せにしてみせるんだ」

「ええ……ありがとう。私と貴方は似たもの同士ね」

 縋るように見つめてくるアレッシュの目は、捨てないでくれと震える子供のようだった。


「私も貴方を守りたいと思っていた。アレッシュを家族みたいに思っているわ、でも……」

 だからアレッシュが借金を背負わされた時この城に身を売って助けた。

 アレッシュを自分と一緒に引き取り育ててくれるように頼んだのもセラフィーナだった。

 全ては彼のためを想って、けれどアレッシュにはきっとそれが負い目だったのだ。


 アレッシュがセラフィーナを想いしてくれた今回のことが、セラフィーナを幸せにはしなかったように、自分の今までの行動も彼に自分の勝手な善意を押し付けただけだったのかもしれない。


「ごめんね。貴方はずっと苦しんでいたのね。私がこの国に身を売ったのは自分のせいだと思って」

 顔を歪めたアレッシュの頬を優しく撫でると、彼は涙を堪えるように目を瞑ってセラフィーナの手に自分の手を重ねた。


「ええ、そうですよ。わたくしのせいであなたはっ……この国に囚われた。それでもまだ、アーロン殿下なら、あなたを愛し幸せな妃にしてくれるかもしれないと、思っていた。なのに……」


 アーロンはもうこの世にいない。それはこの城の一部の者しか知らない禁句だった。

「アーロン殿下を病で失ってもなお、くだらない政のためにあなたは殿下のフィアンセのまま。世間には王子の双子の妹であるローズ姫が病でお隠れになったと伝え、そのローズ姫をアーロン殿下にしたてあげた。そんなの見てみぬフリできるはずがない!」


 アレッシュにはセラフィーナがどんどん不幸になってゆくように見えていたのだろう。

「やはり誰にもあなたを任せられない。だから、この手で幸せにしようと決めたんだ」

 抱きしめられ「好きだ」と耳元で囁かれた。

 その好きは自分がアレッシュを想う家族のような好きとは違うと、今のセラフィーナには分かる。


「あなたのためならなんだってする。だからっ――」

「本当? なんだってしてくれる?」

「ええ」

「じゃあ……笑顔で見送って。私の旅立ちを」

「っ――」


 その時だった。


 何かが崩れ落ちたような音が聞こえ、最初炎の影響で天井が崩れたのかと思ったのだが。

「きゃあっ、冷たっ!?」

 大量の水が噴き上がり足元に描かれていた魔法陣も水に溶けて文字がぼやけていった。すると轟々と燃えていた炎も燃料を失ったように弱まり消える。

 見るとレイヴィンは噴水が噴出す場所だった女神像の瓶の部分と水道管を破壊したようだ。


 それとどこからか、この場には似つかわしくない穏やかで優しい旋律が響いていた。

(これは、オルゴールの音色?)

「なんですっ、この音色は……」

 一瞬警戒の色をみせたアレッシュは、しかしオルゴールの音を聞いた途端その場に音をたてて倒れこむ。


 セラフィーナには効かないが、歌妖の一族ではないものには強力な威力があるらしい。

(これがレイヴィンの言っていた子守唄のオルゴールね)

 やはりあの女神像に隠されていたのだろう。羽衣に包まれているような心地になる、とても優しい音色だった。


 アレッシュが意識を無くしたのと同時にパタンと、蓋が閉じられる音がして音色が止む。

 レイヴィンも眠ってしまったのではないかと思い振り返ったが彼には影響がない様子だった。

 目が合うとどちらからともなく笑みが零れる。このまま彼の胸に飛び込みたかった。けれど。


「この奥だっ!!」

 ドタバタと扉の向こうから複数の足音が聞こえてくる。

 城の者たちに忘れ去られた隠し部屋とはいえ、あんな地響きが起きるような禁術を発動させたのだ。この前と違って深夜でもない時間に。

王宮魔術師たちが力を感知し兵士を引き連れやってきたのだろう。


「レイヴィン」

 この部屋の出入り口は一つしかないというのに、このままでは彼を巻き込んでしまうとセラフィーナは心配したが。

「大丈夫だ」

 レイヴィンは余裕の笑みで天井を指した。指先の方へ視線を向けると、熱風によりステンドグラスが割れ地上の光が射し込んでいる。


「お前も来るか?」

 セラフィーナは首を横に振って答えた。

「今は、まだ一緒にいけない」

「そう言うと思った」

 セラフィーナがそう答えるのをレイヴィンは分かっていたようだった。


「これはお前に預けとく」

 そっとオルゴールを手渡すと、レイヴィンはセラフィーナの耳元に唇を寄せる。

「――――っ」

 耳元で囁かれた言葉にセラフィーナは「ありがとう」と頷いた。


「ここだ、開けろ!」

 ドアの前で声がする。レイヴィンはセラフィーナが頷いたのを見ると、兵士たちが扉を開ける前にロープを天井の穴に引っ掛け軽やかに地下室から出て行った。


 本当は今すぐにでも彼の胸に飛び込んで攫われてしまいたかったけれど。


「私には、まだやることが残ってるもの」

 眠り続ける二人を眺めながらセラフィーナはそう決意していた。

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