第26話 牽制

 ――キミに伝えたかった言葉を、秘密の場所にいるアノ女神に預けておいたよ。


「……あっ」

 視界に女神像が入ってきてふと王子の手紙を思い出す。

(ここは幼い頃にセラフィーナ様やアーロン王子の遊び場だった。もしかして!)

 閃いた瞬間、すぐにレイヴィンのところへ駆けつけたい衝動に駆られる。


(そうだ。今の私はレイヴィン様にお仕えすると決めたんだもの)

 まだ彼が聞きたいと言っていた答えが何なのかさえ思い出せないままなのに、ここで投げ出すことはできない。


「ごめんなさい、アレッシュ」

「わたくしへの贖罪は、言葉だけで済ませるおつもりですか……?」

「今の私にはどうしてもしなければならないことがあるの。そして、貴方の元へ戻るという約束はできない……ごめんなさいっ」

「まっ!?」

 待てと叫ぶアレッシュの声が響いていた。

 けれどアンジュは彼の上着に囚われる前に身を翻し、地下からレイヴィンのいる地上へと急いだ。



◆◆◆◆◆



 日差しをなるべく避けアンジュは廊下を駆け抜ける。

 シーツを運ぶメイドも台車を押す給仕もすり抜け元の階へ戻ると遠くの方で歌声が聞こえてきた。


 どこか懐かしく感じる旋律に惹かれ近付くと廊下の奥にあるバルコニーで歌うセラフィーナとそんな彼女を見守るレイヴィンの姿をみつけた。

(どうしよう。セラフィーナ様がいては近付けない……)

 けれどアンジュも二人が離れるまで悠長に待っている余裕はなかった。

 じゅっと身体が光に焼かれ音を立てる。アンジュはタイミングを見計らうためバルコニーの入り口の影に蹲った。


「どうかしら、レイヴィン。これが今日私が精霊に捧げる歌よ」

「ああ、とてもキレイだ」

「今宵の舞台が、とても楽しみだわ。皆、私の姿が見たいがために、あの海へ集まるのね」

 バルコニーから見える遠くの海を眺め、セラフィーナは恍惚としていた。


 セラフィーナとは逆の方を向いたレイヴィンは、バルコニーの柵を背に彼女の言葉に相槌を打ちながら、入り口の影で蹲っているアンジュを見つけぎょっと目を見開く。

 気付いて貰えたアンジュは安堵しながら、なんとか手招きをしてみせた。

 レイヴィンはすぐにセラフィーナへなにか耳打ちすると、またあとでと言い残し落ち着いた足取りでバルコニーを出て戸を閉める。

 セラフィーナは特に怪しむこともなく、まだ遠くを眺めたまま鼻歌を続けていた。


『なにを考えてるんだ! 何度同じことを言われればっ』

 アンジュへ抱きすくめるように手を伸ばし自分の中へ隠したレイヴィンは、呆れと怒りの入り混じる声だった。

『ごめんなさい。でも、どうしても急ぎでレイヴィン様に報告したいことがっ』

『どんな事情があろうと、自分の魂を蔑ろにするな!』

 消えたらなんの意味もないだろと咎められ、その通りだと謝る。

『それで、報告って?』

『あの、もしかしたらオルゴールの手掛かりがつかめたかもしれません』

『っ……とりあえず、部屋に戻るぞ』

 レイヴィンは少し驚いた顔をしたあと続きは部屋でと自室へ戻ったのだった。




 カーテンの締め切られた部屋に入りレイヴィンの体から抜け出すと、アンジュは地下で見つけた女神像のことを話した。

「セラフィーナとアーロン殿下の遊び場だった場所、か……確かに探してみる価値はありそうだな」

 少しでもレイヴィンの役に立てただろうかとアンジュの顔が綻ぶ。

「だが」

 レイヴィンは渋い顔をして一歩アンジュに近付く。


「お前一人で地下の部屋を見つけられたとは思えない」

 アレッシュと会っていたことを伝えるのは避けたかったが、もう誤魔化すことは無理かもしれない。

「二人の思い出の場所を、なぜお前が知っているんだ?」

「それは……」


「……まさか記憶が?」

「っ……はい、少しだけですが」

 アンジュは先ほど流れ込んできた記憶の映像と感情を思い出し、複雑な表情を浮かべながら頷いた。

「そう、なのか?」

 戸惑いながらも確かめるようにアンジュの表情を伺うレイヴィンは、肩の力が抜けたように見える。


「アレッシュのおかげで思い出しました」

 だが少しの安堵を浮かべていたレイヴィンの表情はその言葉ですぐに険しくなった。

「どういうことだ。まさか、お前……俺以外の奴とも会話ができるのか?」

「ごめんなさい。でも、大丈夫です。アレッシュは貴方とセラフィーナ様の仲を邪魔するつもりはないって」

「そんな言葉信じられるか!」

 声を荒げたレイヴィンに肩を竦める。


「お前、思い出したって、一体なにを思い出したんだ」

 すっと表情の消えたレイヴィンは、冷たい眼差しでアンジュを見据えてきた。

 怖くてレイヴィンと目を合わせたまま後退するが、彼もこちらとの距離を縮めようと歩みを進める。アンジュは一歩下がるごとに、一歩前へと。


「思い出したのは……私がアレッシュと恋人同士だったこと」

「……へー」

 ピクリと眉を動かしたレイヴィンは「他には?」と視線だけで問いただしてくる。

 アンジュは口を噤みたくなったが、正直にしなければレイヴィンの怒りを納められそうにない。


「……私が生前も貴方が好きでけれど振られて、セラフィーナ様に嫉妬して身勝手な腹いせに彼女を襲ったこともっ」

「バカ」

 なぜかレイヴィンの顔が悲しげに歪んで見えた。


「もう、彼女を襲うなんてバカな真似しません。信じてください、レイヴィン様」

「違うっ……お前は大ばかだ。俺がお前を振るわけないだろ」

「えっ……?」

「お前こそもっと俺を信じろ! 簡単に付け込まれるなよ、あいつの都合のいいようにっ」


 レイヴィンの言葉を遮るように部屋のドアが開かれた。

 ノックもなしに入ってくるのはセラフィーナかと振り向いたが。


「見つけた」

「アレッシュ……」

 息を切らせて肩を上下させたアレッシュが扉の前に立っていた。

 前にアレッシュ後ろにレイヴィン、挟まれたアンジュは身動きが取れなくて固まる。

 レイヴィンとアレッシュは互いを牽制するように、睨み合っていた。


「ノックも無しに、礼儀知らずな男だな」

「わたくしの姫君を連れ戻しに来ただけなので、すぐに失礼させていただきます」

「お前の姫なら、さっきからバルコニーで浮かれてる」

「ご冗談を。あちらは……あなたの姫でしょう!」

 レイヴィンとアレッシュが同時に踏み出した。

 アンジュは戸惑ったまま、自分に向かい手を伸ばしてきた二人の男性を交互に見やる。


「違う、こいつが俺のっ!」

 伸ばされたレイヴィンの手はアンジュの肩をすり抜けた。

 上着を広げたアレッシュは、アンジュを包むと自分の方に引き寄せる。


 アンジュは自分の意思を示す間もなく、アレッシュの腕の中に捕らわれていた。

 レイヴィンはアンジュを後ろから抱きしめたアレッシュを、唖然として見た。

「おや、知りませんでした? こうすれば、布越しですが彼女に触れることが出来るのですよ」

 そっとアンジュの頭を撫で、愛おしそうに頬を指が伝う。


「あなたはセラフィーナ様とよろしくやってください。わたくしはこの城を出て、この子と生きてゆきます」

「ふざけるな!」

 レイヴィンがこちらへ飛び掛りそうになった時だった。


「なんの騒ぎで――きゃぁ!?」

 騒ぎを聞きつけてやってきたセラフィーナの腕をアレッシュが掴む。

 そしてレイヴィンの方へ力いっぱい押し出した。

 よろけたセラフィーナをレイヴィンが抱きとめる。

 その隙にアンジュはアレッシュに抱きかかえられ攫われていた。

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