第25話 ローズの記憶

 どこへ連れて行かれるのかとアンジュは不安だったが、目的の場所は案外近く城の中だった。アレッシュは薄暗い物置部屋の鍵を開けると人のいないそこへ入る。


「さあ、ここからは日の光を心配することはありません」

 そっとアンジュから上着をとると、アレッシュは雑にガラクタが入れられた木箱を避け、その奥にある五段ほどの棚を横にずらした。

 石畳の床に、一箇所だけ正方形の切れ目が入った部分が見える。アレッシュは慣れた手付きで石の一部分を押しできた溝に手を入れ隠し扉を開いた。


「地下に潜るの?」

 ヒヤリとした冷気が流れる入り口を見下ろし、微かに声を震わせたアンジュを安心させようとアレッシュは穏やかに微笑み頷く。

「大丈夫です。この先には、いざと言う時に王族が身を隠す部屋がいくつかあるだけ。今は使われていないので人もいませんから怖がることはないですよ」


「そんなところに、私の身体が?」

「ええ……不慮の事故で目を覚まさなくなったあなたを見つけたわたくしは、けれどあなたの魂がまだこの世に留まっていると信じ保護していたのです。人気のないこの場所で」

 アレッシュは古びたランプに火を灯すと地下へ降りてしまう。アンジュは戸惑いながらも後に続いた。そして階段を下りると狭い幅の通路に出る。

 いくつか壁の左右にドアが見えたが、アレッシュはそれらを素通りする。目的の部屋はもっと奥にあるようだ。


「今は使われていないと言っていたけれど、アレッシュはなぜこの場所を知っているの?」

 言ってから自分が自然と彼の名を呼び捨てにしていることに気付きハッとしたが、アレッシュはその呼び方がいいと笑った。以前のあなたにもそう呼ばれていたからと。

 アンジュも記憶はないままなのに、なぜかこの呼び方のほうがしっくりとくる。


「この場所は大人たちには忘れられた場所ですからね。幼い頃はわたくしやセラフィーナ様、それから……アーロン殿下、城の子供たちの遊び場でした」

 確かに薄暗くて不気味な場所だが、子供が数人集まれば冒険をするような気分が味わえそうだ。


「とはいえいつの間にかわたくしたちも忘れて、ここ最近まで来ていなかったのですがね」

 アレッシュが足を止め木製の両開きの扉を開ける。

 ランプの明かりだけを頼りにここまで来たので、開かれた先にあった部屋の眩しさにアンジュは驚き目を細める。


「ああ、ここは地下ですが一部奥の天井がステンドグラスで出来ているので、光がある場所でした。体調は大丈夫ですか?」

 アレッシュが気遣いまた上着を貸してくれようとしたが、アンジュはそれを手で制した。

「いえ、この光はそれほど苦痛じゃないみたいです」

 微かな息苦しさはあるものの、ステンドグラスを通り色を変えて差し込む光はアンジュの魂に苦痛を与えることはなかった。


 アレッシュはアンジュが無理をしているわけではないと納得したのか無理強いはせずゆっくりと部屋の奥へ進み出す。

 彼の視線の先を辿ると、そこには大きな水瓶を持ち佇む女神の像が立っている。そして……アンジュは像の手前にある石の寝台に寝かされている人物の存在に気付いた。


「この眠り姫を見て、なにか思うことはありますか?」

 試すようなアレッシュの問いに、アンジュは首を横に振る。

「……そうですか」


 寝台に寝かされていたのは、金髪の娘だった。

 静かに寝息も立てずにいる顔は、ゾッとするようなものではない。

 白い肌に長い睫毛、ツンと高い鼻梁と整った顔立ち。そのショートヘアの娘からは、動かなくとも中性的な美しさを感じた。


「この人が……私?」

「ええ。そうですよ、ローズ」

 自画自賛になってしまうかもしれないが、眠っている娘はとても美しい。だがこれが自分の姿なのだと言われてもピンとこなかった。


 アンジュは近付き動かぬ女性の身体へ手を伸ばしてみる。すると触れることは出来ないが、頬に手を伸ばした瞬間。


「っ――」




『セラフィーナなんていなくなってしまえばいい』

 激しい怒りの感情が指先からアンジュへと流れ込んでくる。

『セラフィーナさえいなければ、彼は私を選んでくれるかもしれない。おまえが私から全てを奪ったんだ、全部全部全部! 私の欲しいもの全てっ』

 目を瞑ると悲しそうにこちらを見据えるセラフィーナの姿が見えた。

『ローズは私を、ずっと恨んでいたのね……』

『おまえなんて、消えてしまえー!』

『それで貴女の気が晴れるなら』

 襲い掛かったローズをセラフィーナが避けることはなかった……。




「ローズ、大丈夫ですか?」

 アレッシュの声がアンジュを現実に引き戻す。

 見たことのない映像と声、そして激しい感情がアンジュの身体中を駆け巡りよろけた。


(今のは……私の記憶?)

 まだ身体を持っていた頃の、だとしたら……。

 なんて怖い感情を自分は持っていたのだろうと身震いがした。今見たものが本当に自分の記憶だったなら、自分はこの手でセラフィーナを……彼女を襲ったことがあるのかもしれない。

 自分に流れ込んできた記憶の最後は、ローズがセラフィーナに襲いかかりセラフィーナが覚悟を決めたように瞳を閉じるところだった。


「もしかして、私がこんな姿になったのって……セラフィーナ様になにかしたから?」

「なにか……思い出しましたか?」

 アレッシュに探るような目で見られる。しかしアンジュはその視線に違和感を覚える余裕すらなくなっていた。

「なにも、でも……私がセラフィーナ様に襲い掛かって……」

 分からない、なにも思い出せない。ただぐわんぐわんと眩暈がしていた。


 一歩、二歩、アンジュはローズの身体から後退してゆく。

 とても自分の身体に戻ってローズとしてやり直す気にはなれなかった。

 あの重たく暗い嫉妬と憎悪の感情を抱え生きてゆくなんて、耐えられそうにない。



「怯えないで。あなたにはわたくしが付いています。もう一度、やり直しましょう。ローズとして」

 アレッシュが差し伸べてきた手を見て、アンジュは激しく首を横に振った。

「なんで、そんな風に言えるの? 私はあなたを裏切り他の男性に心惹かれた。そのうえ、セラフィーナ様を逆恨みして襲ったことがあるのかもしれない……」

(そんな自分に耐えられなくなって、自ら命を絶ったのかもしれない)

 ならば自業自得だ。責められる覚えはあっても、優しく手を差し伸べてもらえる資格はない。けれどアレッシュは穏やかな表情のまま、アンジュの方へ歩み寄る。


「なぜ、か。そんなの決まっているでしょう。わたくしが、あなたを愛しているからです」

 アンジュを逃がさぬように、彼は自分の上着を脱いで広げた。

 アンジュはそれに囚われないように身を翻し彼から距離をとる。


「私はあなたに愛される資格がありません」

「……いいえ、贖罪の気持ちがあるのなら、あなたは生きていかなければいけない。ローズとして、わたくしと共に」

「な、なぜ?」

 後退を続け、気が付くと水瓶を持った女神像の所まで追い詰められていた。


「どうか、わたくしを置いてどこにもいかないで、ローズ」

「……アレッシュ」

 自分に申し訳ないという感情があるのなら、贖罪として自分と共に生きろと。それがアレッシュの望みなのかもしれない。


(それが……裏切ったアレッシュへの贖罪が、私がこの世界に留まっていたことの意味なのかしら)


 分からない。思い出せない。

 慈悲深い表情をした女神の像が、そんなアンジュを見守るように微笑んでいた。

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