第17話 歌姫の本性
あれから少し時間は過ぎ日も傾き始めた。
カーテンの締め切られた部屋にいても、光に敏感なアンジュはそれを感覚で察することが出来る。
「レイヴィン様、遅いな」
呟いたとき丁度部屋のドアが開いたので、彼が戻ってきたかとアンジュはドアへ近付いたのだが。
「……レイヴィンはいないのね」
「えっ!」
セラフィーナが無遠慮にずかずかと部屋の中へと入ってきた。
やはりアンジュの姿が見えるようで、真っ直ぐにこちらへやってくる。
「まあ、彼がいなくて好都合かしら。貴女とお話しするには、ね」
アンジュは蛇に睨まれた蛙のように固まったまま彼女を見ていた。
「彼がいない部屋に、なぜ貴女は当たり前のように居座っているの?」
愛らしいいつもの声音よりもワントーンほど低い声。
レイヴィンの前に居る時の無邪気で可愛らしい笑顔が消えた、美しいだけの無愛想な表情。
やはり先程、レイヴィンの腕の中で怯えているフリをしながらこちらを見て笑っていたのは見間違いではなかったのだとアンジュは確信した。
「それは私が彼に付き纏っている亡霊だからです」
本当のことを告げるわけにはいかないのでアンジュは言葉を選んで答える。
「迷惑な話ね。彼は貴女が見えていないようですけど……彼と私の間をウロチョロされては私が迷惑だわ」
不快感を隠そうとせず、アンジュの目の前で立ち止まるとセラフィーナは美しい顔を顰める。
自分の恋人に亡霊が付き纏っているとあらば不快感を示すのは当然のことだから、悲しいけれど彼女の反応が普通なのだとアンジュは思ったが。
「なに、その顔。言いたい事があるなら言ったらどうなの。貴女ってそんなになっても憎たらしい女なのね」
その言葉にアンジュは違和感を覚える。
「でも、彼はもう私のものよ。私しか見えていないし、私のことを愛しているの」
「ええ、そうですね」
「どんな気分。自分の好きな男に見向きもされないで、指を銜えて見ているのって」
「え?」
セラフィーナの言っていることは先程から、まるで彼女がアンジュのことを知っているような言い方に思えた。それに……なにか引っかかる。
「あの……貴女は、私の事を前から知っていた?」
そんなわけない。そう思いながらも震える声で尋ねると、セラフィーナは「ふふっ」と愉快そうに笑った。
「貴女、本当に記憶がないのね。過去の事なにも覚えていないの?」
まさか、彼女は生前の自分のことを……そんな思いが頭を過った。
「セラフィーナ様は私の過去を知っているのですか?」
するとセラフィーナは可哀相にとわざとらしい同情の言葉を投げかけてきて。
「ええ、そうよ。望むなら生前の貴女を教えてあげてもよくってよ。聞いて後悔しても知りませんけど」
「っ!」
自分の知らない自分を知ることができるという緊張と微かな希望が芽生える。
セラフィーナはぴょこんとアンジュの目の前に出ると、クスリと愛らしい笑みを浮かべて「ただし」と付け加えた。
「真実を知ったなら、私たちの目の前から消えると約束してくださる?」
「え……」
「貴女だってそんな身でこの世を彷徨っているのは苦痛でしょ」
「それは……」
「いつまでも付き纏われるのは、私たちにとっても迷惑ですから」
戸惑ったアンジュの返事を聞かぬうちにセラフィーナは説明を始めてしまった。
「貴女はね幼い頃から身寄りもなく……メイドとして城で住み込みをしていたの」
身寄りがない。ならば、今自分がいなくなって悲しんでいる家族はいないのだという事実は、寂しくもあったけれど少しだけ安心した。
自分が死んで悲しむ家族の心配をしなくてすむから。
「そのまま拾ってもらえた恩を返して慎ましくしていればよかったものを、貴女は……分不相応にもアレッシュに愛されていたくせに、それを裏切りレイヴィンに心を移した不届き物なのよ」
「え……」
まったく予想していなかった言葉にドクンッと心臓が飛び跳ねて、身体中の血の気が引いた。
もちろん身体がないのだから血だって今のアンジュには流れていない。けれどアンジュの顔色は混乱からみるみると青ざめてゆく。
そんなアンジュの顔色を見て、セラフィーナはくすりと蠱惑的な笑みを浮かべた。
「どうしたのかしら、なにか思い出した?」
「いえ、なにも……」
動揺が隠せなくて絞り出した声が擦れていた。
(私は生前からレイヴィン様と出逢っていた? そしてアレッシュさんとも?)
「レイヴィンに告白したものの、玉砕して命を落としたってところじゃないかしら? だって、彼が愛しているのは私だもの。まあ、記憶もないうえ誰にも姿が見えないようじゃ、レイヴィンに確かめようもないでしょうけど」
レイヴィンは生前からアンジュのことを知っているなんて、教えてくれたことはない。
けれど……
(告白を受けなかったせいで私が命を落としたから、だからレイヴィン様はそれを気に病んで……?)
今思えば亡霊の自分をレイヴィンがなんの理由もなく使い魔にしてまで傍に置くだろうか。おかしいかもしれないと気付く。
「アレッシュが可哀相。彼はずっと貴女だけを愛しているのにっ」
「私が……アレッシュさんの恋人? けれどレイヴィン様に心奪われて裏切った?」
「ええ、その通りよ。けれどレイヴィンは私のもの。いつまでも付き纏われては迷惑だわ」
「…………」
自分のせいで命を落とした娘に同情し、贖罪の気持ちから側に置いてくれていたレイヴィン。そう思うと居た堪れない。
申し訳なくて、なにも覚えてないままレイヴィンに接していた自分に羞恥すら感じた。
「分かったなら、直ちにこの城から出てってちょうだい」
セラフィーナは今すぐにでも出てけと部屋の窓を開け放つと、颯爽と部屋から出て行ったのだった。
(もうレイヴィン様とどんな顔して会えばいいのか分からない……アレッシュさんとも)
アンジュの記憶はなにも戻らないままだった。けれど話を聞いて確かにアンジュの心はざわざわと反応していた。
この気持ちはなんだろう。苦しくてどうしようもなくて、罪悪感に苛まれているような感情が溢れ出す。
アンジュの瞳から大粒の涙が零れ落ちた。
身体なんてもうないくせに、涙が自分の頬をつたうのが分かる。
気が付けば日は落ちていて、パタパタと風に揺れるカーテンと窓をアンジュは虚ろな眼差しで見つめていた。
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