第14話 歌姫は腕の中でほくそ笑む

「レイヴィン、よかったらこれから――ひっ!?」


 ノックもなしに部屋に入ってきたセラフィーナからレイヴィンはアンジュを咄嗟に背に隠すように動いてくれた。けれど彼の首に腕を回し抱きついたセラフィーナにはっきりと見られてしまった。アンジュの姿を。


「なんなの、貴女っ、なぜこんなところに!?」


 セラフィーナはレイヴィンの腕にしがみ付き怯えた声を上げる。

「どうしたんだセラフィーナ」

 レイヴィンは少しも動じることなく、怯えるセラフィーナの姿に首を傾げた。

 アンジュは今さら隠れることもできず、おろおろとするばかりだ。


「だって、そこに、そこにっ」

 震える指先でセラフィーナがアンジュを指す。

 だがセラフィーナの指先に視線を向けたレイヴィンはいたって冷静なまま、アンジュが見えないという態度を貫くようだ。


「どうかしたのか? 壁を指さしたりして」

「壁? 違います! レイヴィンには見えないの、そこにっ」

「そこに一体なにが見えるんだ?」

 セラフィーナの肩を掴み自分の方を向かせレイヴィンが問うと、彼女はしばらく歯をがちがちと鳴らしていたが、一呼吸置いて気持ちを落ち着かせたようだった。


「……レイヴィンには、なにも見えていないの?」

「ああ、お前が指さした先に見えるものは壁しかない。だから、お前がなにを見てそんなに怯えているのか分かってやることもできない、ごめんな」


 まるで壊れ物を扱うように優しくレイヴィンはセラフィーナを抱きしめた。

 アンジュにとっては目の前で見せ付けられて気持ちのいい光景じゃない。

 だが目を逸らしかけ、自分を射抜くような視線を感じゆっくりと顔を上げた。


 優しくレイヴィンに抱きしめられ、彼の手で髪を撫でられているセラフィーナと目が合う。

 レイヴィンにいないものとされ立ち尽くすアンジュの姿が彼女にはとても惨めに映ったのかもしれない。セラフィーナはこちらを見るとにやりと口元を歪め笑っていた。


「っ!」


 そしてアンジュへ見せ付けるように彼の胸へ顔を埋めると小さな肩を震わせる。

 それは一見怯え震えているようで……けれどアンジュには確かに分かった。


 ――彼女は笑っているのだと。


「レイヴィン、ごめんなさい。私の勘違いだったみたい、この部屋には私たち二人以外誰もいないわ。誰も」

「ああ、幻でも見たんだ。もう怯えなくていい」

「ありがとう、レイヴィンはいつでも私にだけ優しくしてくれるのね」

 私にだけを強調する。先程アンジュに向けられた笑みとは別人のように、儚げで愛らしい微笑みを浮かべて。


「ああ……俺はいつだってセラフィーナの味方だよ。初めて会ったあの夜からその気持ちは変わらない」

「嬉しい」

 レイヴィンに指先で頬を撫でられると、セラフィーナは気持ち良さそうに目を細めた。


「ところでセラフィーナ。なにか用があって来たんじゃないのか?」

「ええ。せっかくの豊漁祭、二人っきりで出掛けませんか? もちろんお忍びで」

「嬉しい誘いだが、二人きりは問題だろう。いくらお忍びとはいえお前には婚約者がいるし、国王の目もある」


「……問題ないわ。アーロン殿下は病に臥せっているらしいですし、陛下も今夜は城を離れているの」

「そうか」

「大丈夫。誰も文句は言えないわ。なにせ声を無くした歌姫を回復に導いた、貴方はこの国の救世主ですもの」

 謳うようにレイヴィンへの賛美を述べながら、セラフィーナは彼の手を握る。


「この国の救世主になるつもりはないけどな。俺は、セラフィーナだけの救世主になれればそれでいい」

「レイヴィン、私今まで生きてきた中で今が一番幸せ」

 満面の笑みで彼女は言う。それは婚約者が寝込んでいるとは思えない、心から幸せそうな表情だった。


(……なんか、なんか胸がもやもやする)


 レイヴィンを応援し影ながら使い魔として支えると決めたのに、こんなことではダメだと思うけれど。


 彼の優しい眼差しをセラフィーナは独り占めしている。


(そんな目で、他の人を見ないで……)


 胸が苦しくてとにかくこの部屋にいるのは限界で、アンジュはドアの隙間から廊下へ飛び出した。



◆◆◆◆◆



「はぁ……熱っ」

 廊下の窓からは日の光が射し込んでいた。それは優しい木漏れ日のような日差しだったが、アンジュの魂は途端に拒絶反応をみせ全身に焼けるような痛みを受ける。


「くっ……」


 今すぐこの場から離れたいのに痛みで思う様に動けなくて、なんとか窓と窓の隙間に出来た物陰まで移動し蹲る。

 闇の中でしか存在できないなんて、と蹲ったままアンジュは俯く。


(私はいったい、なんのためにこの世に残っているんだろう)


 なんだか無性に泣きたくなってきた。

 記憶も身体もなにもない自分が、とてもちっぽけで孤独に思えて。


「おや、こんなところで蹲ってどうしたのです?」

 頭から上着を被せられ、光から守られたアンジュは呼吸が楽になり顔を上げる。

「……アレッシュさん」

 そこには屈んで蹲るアンジュに視線を合わせてくれているアレッシュの姿が。


「実は……諸事情によって今レイヴィン様の身体に憑依しているのはとても居心地が悪くて。よかったらアレッシュさんのお部屋に避難させてもらえないですか?」

 この前のアレッシュの好意に、本当に甘えてしまってもいいだろうかと遠慮がちに伺う。


「もちろんです。紅茶でも用意……おっと、それは無駄ですね。飲めない、ですよね」

「そのお気持ちだけで十分です」


 快く部屋へ招き入れてくれたアレッシュのおかげで、アンジュは少しだけ寂しい気持ちが楽になった気がした。

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