第7話

 一週だけ、僕はメールで由芽に連絡し読み聞かせ会への参加を見送ることにした。取り立てて理由があったわけではなかった。由芽を幻滅させてしまったことは反省していたが、読み聞かせ会への参加を見送る理由となるほどではなかったし、それ以上に僕はあの後の由芽のことが心配だった。それでも参加を見送った理由は、ただ僕の心にほんの少しの後ろめたさがあったからかもしれない。けれどそれも、理由としては弱い気がした。

 二週間ぶりの読み聞かせ会の日。僕はいつもよりずっと早めの一時間前に図書館に赴いていた。由芽と会って話をしておこうと思ったのだった。しかし、グループ学習室に行っても由芽の姿はなく、彼女の居場所を図書館の職員さんに聞いてみると、彼女は特別な人しか入れない蔵書室におり本の整理をしているとのことだった。彼女の友人であることを告げ、説得し、特別に入室者カードを手渡された。入室ゲートはカードキー式でこれがなければ入れないらしい。僕は入室ゲートのある二階へと向かい、扉の脇にあるリーダーにすっと通した。ロックが解除され音もなくゆっくりと扉が開いた。中へ足を踏み入れるとかなり暗く、そこからまた一歩踏み出すと電灯が点いた。人感センサーらしい。ふと脇を見てみると、図書館の構造である三階建てを、本館とは別の構造で突き抜けるように蔵書室が造られているらしく、一階と三階へ向かう階段があった。僕はまずこの二階部分から探そうと、人がいる場所の電灯が点くことを目印に明かりが灯っている場所へと注意深く歩いた。

 しばらく二階部分を探し歩いてみるが電灯が点いている場所には他の職員が作業しているばかりで由芽の姿は見当たらない。仕方なく僕は一階に向かってみることにした。しかし、一階は別の職員さんが本を整理しているようで、その職員さんに話をうかがってみてもこの階に由芽は来ていないという。無駄骨感を覚えつつ、僕は最後の階、三階へと階段を昇った。

 そこはやはり真っ暗だった。本棚で明かりが遮られている可能性もあるので、僕は奥へ歩を進ませた。すると、ぽつりと電灯の明かりが灯っている場所があった。歩きながら目を凝らすと、どうやら本を整理している人がいるようだ。近くまで歩いて、そこでようやく本を整理している由芽の姿を見つけた。

 向こう側からこちらに明かりが点いてやって来たので気づいた由芽が僕の顔を見て一瞬だけ目を丸くした。

「透くん。ここ部外者は立ち入り禁止だよ」

「職員さんに話したら通してくれた」

 小さく溜め息を吐いた彼女はちょうど本の整理を終えたのか、数冊の本を積んだカートを押してこちらに近付いた。

「終わったのか」

「うん。本の整理がてら今日読む本選んだだけだから」

 ここけっこう不気味だし、早く出よう。

 そう言う由芽に僕は頷いた。

 蔵書室を出てカードを職員さんに返し、話をしたいという僕の提案を受け入れてくれた由芽は図書館併設のアトリウムへ案内してくれた。そこは椅子とテーブルがいくつか用意され、飲み物の自動販売機も置いてあった。僕は由芽の飲みたいものを聞き、それを買って差し出した。一瞬だけ伸ばす手を止めたが、それでも次には受け取ってくれる。彼女はコーヒーを、僕はココアをそれぞれ開けて椅子に腰掛けた。

 二口ほど飲んで休息の間を設けてから、僕は切り出した。

「その、この間はごめん。無神経なこと言って」

 この間、と言った時点で彼女の手が缶を持ち直した。

「いいよ。もう気にしてない」

 いつもの調子で告げられた。僕は安堵した。この二週間で由芽が気持ちを持ち直したのだとしたら、それはそれで喜ばしいことだった。

「よかった。じゃあのん君はどうだ」

「のん君は初めからだいじょうぶ。あの子私に懐いてるから、ちょっと私に怒られたところで、へこたれたりしない」

「そうか」

 聞きたいことをすべてあっさり聞き及ぶことができ、そこでふと、先週の読み聞かせでなにを読んだのか気になった。

「先週。先週は、そうだなあ。なんだったっけ。たしかまた子どもたちの読書感想文の題材として読んだ作品だったような気がする。今度は春休みの」

「おいおい大丈夫か。それで、今日は」

 あ、と思って慌てて「ごめん、言わなくていい」と付け足した。けれど、由芽は僕の言葉なんてまるで聞いていないように、

「うん」

 とだけ告げた。

 もう暖かな春が近いから、気温の寒暖差に風邪でも引いたのだろうか。そんなことを思いながら今日もいつもの調子の読み聞かせを聞いた。作者はこの間とおなじ小川未明という人で、その作家の短編集だった。その中の短編を三、四作読んで、その日の読み聞かせは終わった。由芽には珍しいぼんやりした声とやわらかな文調が相まって、とても聴き心地よく感じられた。

 帰り際、風邪なんではないかと由芽にたずねてみたが、「そんなことないよ」と首を振られ、結局どこかぼんやりしているだけだったので、春ぼけか、と心配ながらもその日は帰ることにした。

 その日の夜、由芽からメールがあった。

『この間の選書ツアーの時、突然泣き出しちゃってごめん。あんなこと突然言われて透くんも困っちゃったよね。たぶんもうだいじょうぶだから安心して。』

 僕はそれに直ぐ返信した。

『僕だって大丈夫だよ。まさか泣き出すとは思わなかったけど。それに、今日の由芽だってぼんやりしてたけど、結局風邪じゃないみたいだし。来週はインタビューするから心づもりしててくれると嬉しい。季節の境目で気温の変化激しいから、風邪にだけは気をつけろよ。』

『うん。わかった。ありがとう。』

『じゃあ。』

 それで僕はスマホを充電器に差した。今日は先行研究まとめを休み、彼女が読み聞かせていた小川未明という作家の短編集を買い、それを読むことにしていた。今日由芽が読んだ短編のページを探し出し、彼女の声を思い出しながら、僕なりの抑揚で声に出して読んだ。


 ……

 ここにかわいらしい、赤ちゃんがありました。赤ちゃんは、泣きさえすれば、いつも、おっぱいがもらわれるものだと思っていました。まことに、そのはずであります。いつも赤ちゃんが泣きさえすれば、やさしいお母さんはそばについていて、柔らかな、白いあたたかな乳房を赤ちゃんの唇へもっていったからであります。

 ……

 ……

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