第3話




 それは、甲州街道のスーパーマーケットに、友季子と一緒に昼食の弁当を買いに行った時だった。


 見覚えのある後ろ姿の女が、女の子を連れて買い物をしていた。ニット帽で顔ははっきり見えないが、その女の醸し出す雰囲気は、過ぎ去った日々の一端に記憶としてあった。


 顔を確かめて声をかける勇気はなかった。“美しい恋愛”ばかりを経験したわけではない、という後ろめたさが隆雄の中にあったからだ。


 友季子より2つ、3つ小さい子が女と手を繋いでいた。ふと、友季子に振り向くと、出来立ての弁当を選ぶのに夢中だった。


 買い物を終えたのか、女はレジに向かっていた。


「父さんはシャケ弁。選んだら車に戻ってなさい」


「えっ、お父さんは?」


「ちょっと、知り合いに会ってくる」


 隆雄は、2枚の紙幣と車のキーを渡した。




 近所に住んでいるのか、レジ袋を提げ、子供の手を引いた女は歩きだった。


 歩道から路地に曲がった女を尾けると、間もなく新築の一戸建てに入った。素通りして、表札を一瞥すると、〈沢田〉とあった。


 沢田という苗字には記憶がない。旦那の苗字か。さて、どうする。顔を確かめようか、やめようか。


 結局、隆雄はブザーを押していた。


「はーいっ」


 明るい返事と共に玄関に向かって来る足音がしていた。


「どちら様ですか」


 中から尋ねた。


「久保田隆雄……です」


 過去に付き合いがあれば、名前に思い当たるはずだ。


「えっ! タカオさん?」


「ええ」


「宮崎の?」


「……え」


 宮崎は隆雄の出身地だった。だが、当のあんたは誰なんだ? 出身地を知ってるぐらいだから、相当親しい関係だったに違いない。早く顔を見せてくれ。隆雄の焦燥感に応えるかのように、慌ただしく鍵が開けられた。


 開いたドアの、そこにあった、その顔を視た途端、走馬灯のように青春時代が蘇った。


「……マコ……ちゃん?」


 少しふっくらしていたが、キュートな顔立ちは変わっていなかった。


「……タカオさん」


 すがるような弱々しい視線も当時のままだった。


「……元気だったのか?」


「……ええ」


 感極まったのか、眞子は瞳を濡らしていた。隆雄は抱き締めたい衝動を抑えた。


「……おかあさん」


 女の子が傍に来た。


「あ、娘です」


「こんにちは」


「……こんにちわ」


 女の子は恥ずかしそうに眞子の後ろに隠れた。


「……じゃあ、電話をくれ。住所も書くよ」


「ええ。私も書くわ。待ってて、書くもの持ってくる」


 眞子が背を向けた。


「お名前は?」


「……サワダミホ」


「ミホちゃんか。何年生?」


「……2年生」


「2年生か。おじさんにも5年生の娘がいるよ。今度会ったら仲良くしてくれる?」


「うん、いいよ」


 ミホははにかむように笑った。




 車に戻ると、ハンバーグ弁当を食べながら友季子が含み笑いをした。


「……なんだよ、気持ち悪いな」


「クッ。サワダって誰んち?」


「なんだお前、尾けてたのか」


 シャケ弁の蓋を開けながら、友季子を睨んだ。


「だって、きょどうふしんだったんだもん。こりゃあ、なんかあるなと思ってさ」


「……悪趣味だな。親子の間にも秩序があるんだぞ」


「子供が親のこと知ったら、どうしていけないの?」


 友季子が涙を溜めてムキになっていた。それに気づいた隆雄は、びっくりした顔をした。


 ったく、感情的なんだから。隆雄はそう思いながら、


「……後でゆっくり話すから泣くな」


 となだめた。


 友季子は鼻をすすっていた。


「夕食は何食べよ――」


 食べ物で釣ることにした。


「すき焼き」


 友季子は横を向いて即答した。


「ううむ……よしっ、すき焼きにしよう」


 ったく、腹いせで高いのにしやがって。隆雄はそう思いながらも、機嫌直しに成功したので一安心だった。

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