和幸 傷心

 夏を彷彿ほうふつさせる陽光が、駅に向かう学生の上に降り注ぐ。梅雨も明け本格的な暑さを目の前にして、学生のシャツが目に眩しい。それを空調が効いた室内から、ぼんやりと眺め目を細めた。

 まるで別世界だ。向こうは光ある世界、一度は、この手に掴んだと思ったのに、するりと手から離れてしまった。今の自分に手の届かない場所。浩介という男との関係を認めた、あの日。紗代子は、はっきり男と別れると約束した。なのに、その後に掛かってきた、あの女からの電話で、わずかに見えた希望が足元から崩れ落ちた。

 

『このまま気付いてない振りをするつもりですか? 貴方が奥さんのことを信じたいのは分かりました。でも二人の関係が続いているのは事実なんです。もしも・・・少しでも私の言葉が胸に引っかかるのなら、一度、試したらいかがですか?』

『なにを試せと言うんですか』

『少しだけ二人の様子を見るんです。泳がせてみましょう。その間、二人に何もなければ、もう終わりにしましょう。私も貴方に連絡しません。でも、もし私が言ってるのが当たっていたら——』

 

 グラスの破片で切った足の裏が痺れた。近所のコンビニへ包帯を買いに行った紗代子が今にも扉を開けて部屋に入って来そうで、何度も後ろを振り返った。

 

『佐久間さん、貴方は、どうしますか?』

 

 彼女に言われた、あの日から、ずっと考えてきた。紗代子を信じたい、そう思う反面、紗代子の行動や仕草に疑念疑念を持ってしまう。今朝も帰りが遅くなりそうな紗代子を疑いつつ、止めもしなかった。今頃、義母の明奈と会ってる頃だろか。久しぶりの親子水入らずでの食事、それが本当だと信じたい。

 

「佐久間さん」

 

 背後から不意ふいに声を掛けられ、振り返った。最近、髪を団子に結び始めた美月が、すっと横に並んでくる。どこか遠く、一点を見つめ立つ美月に一瞬だけ焦った。

 

「聞きましたか?」

 

 美月が、ぽつりといてきた。

 

「何をですか?」

「田宮さんのことです」

「ああ——」

 

 ムードメーカーだった彼女の顔を思い出し、聞いてるよと頷いた。夫となる男性と共に、転勤先へ越していった元同僚。あの田宮樹理が妊娠した。昨晩、帰り際に柳瀬修二から、そのことを聞いたばかりだ。

 

「おめでたい話だよね。本人に直接言えないのは残念だけど」

「そうですね。私も、そう思います」

 

 ふたりで頷きながら外を見る。帰宅する学生や夕飯の買い出しに出る人が、目の前を通って行く。今のところ薬を求めにくる人の気配はない。病院も、午後の診察が始まったばかりだから、忙しくなるのは、これからだろう。

 美月を横目で見た。いつもと違う髪型が気になるのか、後れ毛を気にしている。うなじに指を伸ばす美月と目があって、慌てて視線を逸らした。田宮樹理の送別会以来、紗代子が美月との仲を誤解して以来、話す機会が増えたと思う。それはおそらく、美月の気遣い。元々彼女とは、一緒に働いていても仕事の話とか、挨拶程度しかしてこなかったが、紗代子が彼女に食ってかかったことで、自分が負い目を持たないように話し掛けてくれてるのだろう。

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