紗代子 焦り

 席を立ち、支払いが全て終わっているのを確認した上で店を出た。ろくな会話もなく、言いたいことだけ言っていった明奈が乗った車。シルバーのSUVが去った方角を一瞥いちべつした。

 夫に愛されない妻、相手にされない女。娘の私に張り合おうとする哀れな女だ。

 昼を回り、人通りも多くなってきた。

 明奈達が去った方角に背を向けた。

 一歩、また一歩、足を前に運ぶたびに、嘲笑う明奈の顔が目の前にチラついた。

 和幸が美月を選ぶ? ありえない。

 和幸が愛してるのは私だ。でも——不意ふいに足が止まった。

 出掛けに見た和幸の後ろ姿。ベランダに立つあの人には、何もかも捨てて、この世から消えてしまいそうな儚さがあった。あの和幸が生きるのを迷うくらい悩んでいたとしたら、もしも本当に、あの女に気持ちが向いてしまったら。

 

 目の前で青にかわった横断歩道。そこを渡らずに、浩介との待ち合わせ場所と逆の方向へ足を向けた。運良く前方から空車のタクシーが目に入った。そのタクシーをとめて乗り込んだ。


 運転手に行き先を告げると、車はスムーズに走り出した。後方に流れる街の景色、歩道を歩く男女を目にしては視線を前方に向けた。その度にバックミラーにうつる運転手と目が合う。

 今は、そんな気分じゃない。

 

「止めて、ここでいいわ」

 

 駅前の調剤薬局。その手前でタクシーから降りた。比較的に広く大きな自動ドア。そのガラスの向こうでカウンターに立つ和幸の姿が遠目からでも、はっきりと見てとれた。

 和幸が誰かに呼ばれて振り返った。その隣に、あの美月が寄り添うように立つのを見て、その場を、そっと離れた。

 和幸は笑っていた。もしかしたら。

 

 振り返りそうになるのを堪えた。ほんとうに、あり得るのかもしれない。和幸が美月を選ぶということが。

 

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