早坂美希 興奮

 三年前に流行った韓国ドラマ。先月から又、再放送している。話の流れなど分かってるのに、ついつい観てしまう番組のオープニング曲。しっとりとした、物悲ものがなしげな曲がキッチンから流れてくる。

 

「あら、やだ。ごめんなさぁい」

 

 曲に合わせて鼻歌を歌いながら、キッチンの入り口に置いてあった携帯電話の画面を確認した。黒々とした画面に渡会佳津羽の文字が浮かび上がる。

 電話の相手、それとも携帯電話の着メロが気になったのか、真樹が此方こちらを見てる。携帯電話を指差し、佳津羽からだとアイコンタクトをとった。

 

「はい、早坂です。渡会さん、どう? 気持ち落ち着いた?」

 

 真樹が身構えてる。やはり、あんな修羅場しゅらばを見てしまったら、いくら真樹でも気にはしていたんだろう。そして、その後の紗代子の件。固唾かたずを呑む真樹と本人からの電話で、やっと本題が出来る状況になったと胸が躍った。

 

『……早坂さん、さっきは見苦しいとこ見せて、ごめんなさいね』

 

 まだ、怒りが収まらない佳津羽の低い声が聞こえる。

 

「そんなことないわよ。渡会さんも大変ねぇ。大丈夫? 今からうち来る? 話なら、いくらでも聞くから」


 そうね、と口籠くちごもる佳津羽が鼻をすすった。

 

『今日は、やめとく。ちょっと一人になりたいから。それより早坂さん。お願いがあって電話したの。いいかな?』

「いい、なんでも言ってよ」

『私、ここ引っ越すから。それでさ、あの人の事なんだけど』

 

 佳津羽が言う、あの人とは紗代子のことだ。

 

「なに? どうしたの?」

 

 携帯電話を耳に押し当てながら、真樹が待つテーブルにもどった。真樹の丸い目が、何かあったのかと問いかけてくる。それに手を振って席に着いた。

 

『なんかあったら、教えてくれないかな』

 

 割と低い佳津羽の声が、さらに低くなる。なにかあったら——、つまり紗代子の行動を報告して欲しいということか。それは大したことではない。聞きたいなら、なんでも話そう。

 黙ったまま、佳津羽との会話を聞いている真樹から目をらした。

 こちらとしても、紗代子の話題を話せる人がいてくれた方が有難ありがたい。真樹に話したところで、なんの手応えもないのだから、話していて面白くもなんともない。

 グラスに手を伸ばし、ミルクコーヒーを飲む。

 それにしても佳津羽が出て行くのは驚きだ。確かに、ひとりでマンションを借りる余裕などないだろうし。ましてや他に女を作った元旦那と暮らしていた部屋だ。早く出て行きたいのも分かる。

 真樹を横目で見ながら、耳に当てた携帯電話を持ち替えた。

 佳津羽が居なくなるのは残念だが、彼女から連絡してくれるなら、なんでも話そう。でも、このマンションを出て行くというのに紗代子の事が、そんなに気になるのか。

  

「まあ、いいけど。でも、どうして? 部屋出るなら、あんな女のことなんか、もう、どうでもいいじゃない」

 

 佳津羽が口籠くちごもった。舌打ちとも聞き取れる音が、電話口の向こうから微かに聞き取れる。何も言わなくなった佳津羽に、これは触れてはいけないことを言ってしまったのだと気付いた。

 

「あっ、いいのよ、言わなくてもいい。そうよねー、あんな酷いこと言われたんだものねぇ。腹も立つし、気になるわよねぇ」

 

 まるで佳津羽が目の前に居るみたいに、ひらひらと振る手を静かに下ろした。

 

「わかった、私に任せてよ。もう、なんでも教えてあげる」

『悪いわね』

「いいのよぉ。渡会さんと私の仲じゃない」

 

 溜息をつく佳津羽に「ところで此処を出て、引っ越し先は何処どこ」と聞くと、淡々とした口調で実家だとこたえた。私の記憶が確かなら佳津羽の実家は、此処から車で一時間くらいか。

 

「そう、まあ会えない距離でもないし、遊びに来なさいよ」

『ありがとう、そうするわ』

 

 やっと声に柔らかさが出た佳津羽が、片付けがまだ残ってるからと電話を切ようとする。止めはしない。それより今後、佳津羽が何かしらことを起こしそうでゾクゾクした。

 

「わかった。また連絡して。見送りくらいさせてね」

 

「うん」と言いたい事を言って、佳津羽は早々に電話を切った。真樹と向かい合う。此処に真樹が居なかったら、飛び跳ねたい気分だ。

 

「今の電話、渡会さんからよ。渡会さん、このマンション引っ越すんだって」

 

 佳津羽との電話中、ずっと気にしていた素振りの真樹の表情が一気に冷めていく。そうなんですか、と関心がない口調で冷めたコーヒーを飲んだ。

 美味しくもないのに、私が飲んでる方を本心は飲みたいくせに、ハッキリものを言わない。見た目は可愛いのだが、この子の性格には拍子抜ひょうしぬけする。ほんと煮え切らない子だ。

 

 指でテーブルを小突いた。

 ほんと、話に乗ってこないなら。興味がないなら、さっさと帰ればいいのに。

 何気に見た窓の外に、紗代子の旦那、和幸の姿を見つけた。

 目の前にいる真樹が、その和幸の後ろ姿を目で追っていた。

 これは女の感だ。面白くなるかも、と思ってしまった。

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