紗代子 凪

 血色のない青白い顔、肌のツヤも良くない。目の下に、くっきり浮き出たくまが苦悩してきた佳津羽の時間を物語っている。しかし同情などしない。したところで佳津羽の現状げんじょうが変わるわけではない。

 

「渡会さん。ちょっとぉ、大丈夫なの? 私の家で休んでく? 話なら、ちゃんと聞くから。ね、そうしましょ」

 

 私から佳津羽を引き離した美希が、これ見よがしに視線を送ってくる。大袈裟おおげさに佳津羽をいたわる態度が、なんてわざとらしい。

 彼女のようなうわつらの優しさには反吐へどが出る。心にもない言葉で体裁をととのえて、これみよがしに良い人の振りをする。そんなことも分からず、あっさり騙されるような女。

 佳津羽が唇を噛みしめたまま、美希の言葉に反応する。

 人なんて所詮しょせん、皆んな一人なのだ。親だって頼れる存在ではない。裏切らないと思っていた人に足をすくわれ、その度に自分のおろかさを痛感つうかんする。だから人を信用してはならない。互いにあるのは、持ちつ持たれつ。人との繋がりの中に、それ以外などありはしないのだから。

 佳津羽は背筋を伸ばし、私をにらんできた。

 

「大っ嫌いよ、あんたみたいな女」

 

 よほど悔しいのだろう。乾燥した唇に血がにじんでいる。ギリギリと歯を食いしばる歯ぎしりの音が、ここまで聞こえてきそうだ。

 

「覚えておいた方が、いいわよ」

 

 佳津羽は疲れた表情に、意味深いみしんな笑みを浮かべた。

 

「いつか、あんたも私の気持ちが分かる時が来るから」

 

「ぜったいに」私を指差し戻って行く佳津羽に、この状況を面白がっている美希が、佳津羽と交互に見ながら彼女の後を追って行った。その後ろ姿が、なんとも滑稽こっけいで笑いたくなる。

 女は恋をすると綺麗になるというが、男に捨てられた女は、その比ではない。気持ちの持ちようによって化けるものだ。それもつやっぽく、比べものにならないくらい魅力的になる。そんなことも理解できない女。佳津羽が私より女として勝る日は、このままこないのだろう。

 佳津羽に追いついた美希が、二人でエレベーターに乗り込んだ。

 

國木田くにきださん! ほら貴女あなたも、早く来てっ」

 

 手招きする美希に真樹はコクリとうなずいたが、何故なぜかその前に上を見上げる。何かを探すような、または確認するような素振そぶり。携帯電話を胸に抱きしめ、マンションを見上げ目を細めた。

 うっすらと染まった頬、ゆっくりと手で口元を覆う仕草は、さながら愛しい人を目の当たりにした少女のよう。真樹につられて、つい見上げてしまったが、その先にはベランダから、こちらを見下ろす和幸の姿があった。

 真樹が慌てて、ちらりと私を見た。いつもは大人しく自信なさげな真樹だが、何故か、人を見下し敵視するような視線を送ってくる。

 ぷっくりとした真樹の唇が動き、その口元が微かに笑った。よく聞き取れなかったが、彼女の唇が形作る言葉は、はっきりと見てとれた。

 真樹は美希が乗ったエレベーターへ、小走りで向かった。

 ふわりと甘い真樹の残り香。彼女らしくない大人の香り。もう一度、ベランダにいる和幸を見た。正気のない和幸が私を見ていた。

 きっと真樹は、私に大きな声でアレを言いたかったんだろう。でも行動に移せたのは、あの程度。

 

 そう、そうだったの。

 

 思ってもみなかった人に挑戦状を叩き付けられたみたいで、思わず笑ってしまった。ぼんやりと見下ろしている和幸に手を振り、時刻を確認する。少し急がなければ間に合わない。

 歩き出しながらも、可笑しくて仕方ない。そう、あの真樹がね……。

 彼女が私に言った言葉。

 

『負けないから』

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