和幸 慟哭

「そう・・・」

 

 口角こうかくを上げ満面の笑みをたたえながら、濡れた前髪を掻き上げた。

 

 正直、身がすくんだ。

 美月に向き直った紗代子の顔。対峙する美月を前に、彼女の中で青白い怒りの炎が静かに燃えているのがわかる。

 美月も紗代子に対して、受けて立つという姿勢を崩してはいない。

 

 何故こんな事になってしまったのか。ただ美月を、駅まで送るだけだったのにだ。

 

 二人を前に、どう言葉を掛ければいいのかあぐねいでいると、紗代子が指を、そっと絡ませてきた。

 

「ねえ、貴方。ほんと可愛い方よね」

 

 まるで男の体温を求めるよう、絡んでくる指先。美月に見せつけるためだけに、密着してくる身体。紗代子の、ふっくらとした唇から漏れる息が耳の奥をくすぐる。そして意味深に囁いた言葉。

 

「貴方も、結構やるのね」

 

 のっぺりとした感情のない紗代子の顔が、そこにあった。

 

 何を言っているんだ。

 美月と何か関係をもったとでも言いたいのか。それとも、これから何かが始まるとでも。

 

 能面、そう女面だ。

 能楽の演者が舞台で舞うかのように、ゆったりと動く紗代子が美月に微笑んだ。

 

「美月さん、ごめんなさいね。貴女に不愉快な思いをさせてしまったみたい。でも、悪気があったわけじゃないのよ」

 

 紗代子が肩に頭を乗せてきた。

 

「この人、こういうひとでしょう。私以外の女に、全く興味を示さない人だから。でも珍しく可愛いと一緒に歩いてるのを見て、少し揶揄いたくなっただけなの。悪く思わないで」

 

 紗代子が「ねえ」と上目遣いで胸を押し当ててくる。

 

 やめてほしい。これ以上、何も言わないでくれ。そんな上辺だけ仲良さげにしても、もう美月は気付いている。それとも美月に、こんな小芝居を見せたいのか。

 

「やめないか・・・」

「嫌よ、やめない」

 

 辛辣しんらつな返事が返ってきた。

 紗代子が唇と唇が重なる距離まで、近づいてきた。

 

「私、これから他の男と遊んでくるわ。それが嫌なら、この女じゃなく私を選びなさい」

 

 

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