佐久間和幸

 合い挽き肉三百グラム。卵に玉ねぎ、生パン粉に牛乳、塩胡椒。ソース用に赤ワイン、ニンニク、ケチャップ、オイスターソース、中濃ソース。


 炒めた玉ねぎを、よくねたひき肉と混ぜる。


 混ぜて、混ぜて。空気を抜きながらハンバーグの形に整えて。


 両手でキャッチボールのように投げていた肉だねが、まな板の上に落ちた。


「あっ・・・」


 真っ白なまな板の上に、赤い肉。その肉だねを、まな板からゆっくりと剥がした。

 にちゃにちゃと、音を立てて剥がれていく肉だね。


『奥さん、浮気してます』


 まさか、そんな・・・。

 きっと、なにかの間違いだ。紗代子が浮気してるだなんて。


『今も、ふたり会ってます。それが、どういう意味か、わかりますよね』


 クチャッと、ハンバーグのたねが手のひらから皿に落ちる。


 彼女の身体を貫く男。高揚し白い身体をくねらせ、喜びを感じている紗代子。


 嘘だ。


『じゃあ、証拠。それがあれば信じますか?』


 時計を見た。針は七時を目指してる。


 いやいや、もうすぐ紗代子は帰ってくる。そうだ、あの手紙を読んで、照れて帰りづらいだけだ。


 この自慢のハンバーグ。紗代子が美味いと褒めてくれたハンバーグを、今夜はふたりで食べるんだ。


 肉だねを焼く。芳ばしい匂いと共に美味しそうな焦げ目がつく。出来上がったハンバーグを皿にうつし、フライパンの肉汁にソース用の材料を入れ煮詰める。あとはハンバーグにかけるだけだ。


 ソファーに座り時間を確認した。


「八時か・・・」


 時間がたつのが長い。


 テレビをつけてみた。リモコンのボタンを適当に押しまくる。

 お笑い番組が始まってる。若い芸人ふたりのコント。内容は恋人の浮気を責める彼女。


「はあっ・・・」


 チャンネルをまわした。


 テレビの音も、時計の秒針も、何もかも耳に入ってこない。意識が廊下の先に向いてしまう。


 遅い。やはり、いくらなんでも遅すぎる。


『今まで、おかしいなと思ったこと、なかったんですか』


 そりゃあ、あったさ。でも、それが紗代子だと思ったから許してきたんだ。

 でも、あの話が事実だとしたら。


 かちゃりとドアノブが回る音がした。リビングの扉が開く。


「ただいま」


 背中から、ぶっきらぼうな口調の紗代子の声がした。

 

「お帰り」


 ごめんとも遅くなった理由も言わず、キッチンに向かう足音。


 恋は盲目なんて、よく言ったものだ。


 紗代子の少し我がままなとこも、好き嫌いがあるとこも、困ったことに全部好きだ。

 ほんとなら、こんな時間まで何してたんだと問い詰めたいが、今は、帰って来てくれただけで安堵してる。


『奥さん、浮気してます』


 いや、違う。ぜったいに浮気なんて。はっきりした証拠もないのだから。


 振り返ると紗代子はミネラルウォーターを手に、テーブルの上の料理を眺めていた。

 

 なんて言おう。久しぶりに作ってみたんだけど、一緒に食べようか。それとも、紗代子が帰って来るまで待ってた、とか。


 浮き立つ気持ちをおさえつつ、立とうとした腰が、すぐにソファーの上に落ちた。皮張りの生地が、ぎしりと小さな音を立てる。


 紗代子が、彼女のために作った料理を見下ろしながら口の端を上げていた。


 こちらを振り向いた彼女の目が細くなる。


「私、晩ご飯いらないから」


 侮蔑ぶべつするような眼だ。


 今、笑った?


 一瞬で血の気が引いていった。


 手紙は読んでくれたのか? あれを読んで、何も感じない。何も、響かなかったのか?


 見えるもの全てが、ぐるりと回った。


 自分が頑張って信じようとしていた何かが、足もとから崩れていくような、落ちていくような感覚。


 じゃあ、それじゃあ今の時間まで、何処で何をしていた? 誰と会ってたんだ。なあ、紗代子。


 頭の中で何度も浮かんでくる、それは。

 妻が浮気をしている。自分を裏切っている。それが事実かもしれないという、目の前の現実だ。


 料理にラップをかけ冷蔵庫を開けた。待ち疲れて、考えすぎて喉を通らなかった料理が一皿。冷蔵庫の奥で冷たくなっていた。

 それを横目で見ながら扉を閉める。


「お風呂、沸いてるけど」

「いい。シャワー浴びてきたから、いらない」


 紗代子は寝室に入っていった。


 嗚呼、そうなんだ。だからか。


「はっ・・・、ははは」


 いつもの香水の香りがしなかったよ。

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