佐久間和幸
髪から落ちた水滴が、湯船にはった湯の表面に波紋をつくる。
いく重にも広がる輪の向こうで、この半年で四キロ体重が減った体が揺らめいた。
鏡に映る自分。
痩せたな。昔より頬が細くなった気がする。
浴室から出るとキッチンのサイドランプの明かりがリビングの窓に、ぼんやりと映っている。窓の外には、ここよりも更に濃い闇がある。ガラス越しに別世界を覗き込むよう。夜の
時計の秒針の音が、やけに大きく聞こえる。
寝室の前に立ち、一呼吸おいて扉を開ける。ベットの上には着替えもせず、こちらに背を向け眠っている紗代子がいた。
子供のように小さく
驚いたな・・・。
こんな状況なのに、なぜか冷静だ。いや、ただ単に何も考えられないだけか。
ベットに腰を下ろすと、背中越しに甘えるような吐息が聞こえた。
目が覚めたんだろう。こちらを
頼む、紗代子、言葉を・・・。
なんでもいい。一言、言葉を掛けてくれたら俺は。
振り返れば物言わず、自分を拒む紗代子の冷たい背中があった。
もう駄目なんだろうか。
その背中を見つめながら床に就く。
こんなに側に居るのに、紗代子が遠い。
「紗代子・・・」
抱きしめたい、そう思った。
そっと手を伸ばす。肩に指が触れた途端、紗代子が跳ね起きた。
「ちょっと、なに!」
虚しい、そこまで俺のことが嫌いになったのか。
「服」と後退りする紗代子を指差した。
紗代子は胸に手をあて「ああ、そうね」と、ベットの端で
「ねえ。電気消して」
眉間に皺をよせ軽く振り返る。
「もう寝るんでしょ。だったら消してよ」
ああ、そうか。わかった。
寝室に暗闇が訪れた。それでも俺の目には紗代子の姿が、はっきりと見て取れる。
幾度となく身体を重ねてきたのだ。唇を
ベットから立ち上がった彼女が、こちらに振り向いた。ゆらりと
駄目だ、ぜったい許さない。
ベットから飛び降り、彼女の手首を持ち上げ引き寄せた。
「ちょっと、なにするの? 放して」
嫌がる彼女を、そのままベットに押し倒す。
「紗代子・・・」
紗代子の身体を自分の体重で抑え込む。そして首筋から顎へと、夢中でしゃぶりついた。
「ねえっ、ちょっと・・・、やめて・・・」
嫌だ・・・、紗代子は俺のものだ。
紗代子の両足の間に自分の足を挟め、我慢する紗代子の顔を見下ろした。
「俺たち、夫婦だよな?」
睨み付けてくる紗代子の口を、半ば強引に唇でこじ開ける。舌を絡め何も言えなくさせると、
甘く柔らかい。
「紗代子」
好きだ。
力の抜けた紗代子の吐息に、身体の奥が熱くなる。
何もかも、めちゃくちゃに、紗代子を壊したい。
淫らに、
彼女のブラウスのボタンを全て外し、同時に自分が着ていたシャツも脱ぎ捨てた。
白い肌の隅から隅まで舌を這わせ、背中に腕をまわした。弓のようにしなる紗代子の下腹部に口づけをする。
「あっ・・・」
感じてくれている。そう思うだけで自分の中の男が目覚める。
目を閉じていた紗代子が、大きくのけ反ると、彼女の唇が、わずかに動いた。
「んっ・・・こう・・・け・・・」
時間が止まった。
いや、自分の細胞ひとつひとつ、熱く流れる血でさえも凍りついた。
今、なんて言った?
自分の身体の下で、うっとりと息を吸う紗代子に、腕から力が抜けていく。
気持ちが一気に萎えた。
ベットから降り投げ捨てたシャツを拾うと、そのまま扉へ向かった。途中、呼ばれた気がして振り向くと、まだ夢見心地の紗代子が、ゆっくりと上半身を起こし、こちらを見ていた。
「ごめん。今夜はやめよう」
扉を閉める。崩れそうになる身体を壁伝いに支えながらソファーに座った。
窓の外を眺めた。相変わらず、玩具のような街並みだ。
あの、ひとつひとつに、それぞれの幸せがあるんだ。
自分が掴みそこなった温もりが、そこにある。
溜息が出た。
「紗代子。君は今、いったい誰に抱かれていたんだ」
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