佐久間和幸

「佐久間さん。奥さんと夜の営み、あります?」


 井之上美月みつきの唐突な質問に、飲み込んだ卵焼きが喉の奥に詰まりそうになった。


「なに? 突然」


 大人しくて、いつもまわりの会話を黙って聞いているような女性が、いきなり歯に衣着せぬ物言いで突拍子もないことを言ってきたから、こちらも驚くしかない。


「いえ、なんとなくですけど。最近の佐久間さん。どこか元気がないっていうか、苛立ってるっていうか」

「そ、そう?」

「はい」


 美月はツナサンドを一口頬張った。


「うちの猫、正雄君って言うんですけど。正雄君、雌猫ちゃん恋しさに、一度、家を飛び出しまして、車に跳ねられそうになったことがあるんです。佐久間さん。その正雄君と同じ顔してます」

「ねこ・・・ははっ」


 飼い猫と一緒にされ、返す言葉が見つからなかったが。

 確かに胸の真ん中に真っ黒な、どろっとした重苦しい感情がいつもある。仕事と切り離さなきゃいけない。わかっていても気づけば紗代子のことを考えてる。そんな自分を美月に言い当てられるなんて、まったく駄目だ。


「まあ、結婚三年目っていう節目なのかな。いろいろね。あるよね」


 さらっと自然に言ったつもりだったが、言葉の端々に本当の気持ちが乗ってしまう。そんな自分に美月が心配そうに、こちらを見た。


「三年目なんですね。あっ、よく聞きます。三ヶ月、六ヶ月、三年目、六年目。そのあたりに倦怠期がくるとか。あれですよ、そういう時こそ夜の営みって、大事らしいです」


 人差し指をたて、何度も頷きながら話す美月に思わず照れてしまった。


 倦怠期。そんなものですむのなら、こんなに不安にならないのだが。


「で、その正雄君。今は、どうしてるの?」

「はい。目を離すと脱走を試みるので。近くに交通量の多い道路もありますし去勢しました。今では、おデブな我が家のマスコットです」


 美月が携帯電話を取り出した。ホーム画面に美月がピースサインで写っている。その横には仰向けで眠っている、美月の顔と同じ大きさの胴回りの黒猫がいた。


「ははっ、可愛いね」


 その時、休憩室の扉が、二度ノックされた。この後、自分と交代する越岡こしおかたかしが顔を覗かせた。


「佐久間さんに会いたい、っていう人が来てるんだけど」


 自分に?


「えっ、誰?」

「名前伺ったんだけど言いたくないらしくて。女性なんだけど、どうする? 居ないって言って帰ってもらう?」


 自分に会いたい?


「んー・・・」


 気持ち悪さはあるが、帰ってもらっても自分がここで働いているの、わかって来ているのだろうし。そんな居留守使っても、また来るだろう。


「いい、行くよ。待っててもらって」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る