第2話 呼び声
午後三時を回ったその郊外のコンビニは、人もまばらでそれほど混んではいなかった。
「そこの確認ボタンをお願いします」
「これ?これ押すの?」
「はい、そこの確認って書いてあるボタンぽいところを……そこですね」
「これか」
その少し太めの四十代の作業員風の男は、二十代の男の店員に言われた通り、レジのモニターの確認ボタンを押した。
「ありがとうございます……こちらは三千円になりますね」
「あいよ、三千円。兄ちゃん、親切丁寧だな」
「そんなことありませんよ、はは」
店員はお金を受け取り、領収書に判を押して作業員風の男に返した。男はそれを受け取り、弁当の袋をひっ掴んでレジを離れた。
「ありがとうございましたー!」
男は手を軽く上げて挨拶してコンビニを出て行った。
「狭間くん、あたしが交代するから休みなよ。結構今日長い時間やってない?」
バックヤードから四角いメガネをかけた、ボブカットの若い女の人が出てきた。
「ありがとうございます、長谷部さん。今大丈夫ですか?」
「あたし、さっき来たばっかりだし」
「じゃあ、ちょっとお言葉に甘えてちょっとだけ引っ込もうかな?」
「なんかフラフラしてるよ?冷蔵庫に新製品のプリン確保しといたから食べて」
「わあ、マジですか!」
「けっこう甘い物好きだよね狭間くん」
「……そ、そんなことはありませんよ!」
長谷部はニヤリと笑った。
◇
狭間はバックヤードに下がって、店員用の冷蔵庫を開けてプリンと缶コーヒーを取り出した。次にダンボールの横の丸いパイプ椅子に座り、白い作業机に向かってプリンの蓋を開けて、プラスチックのスプーンでプリンを口に運んだ。そして満足そうにうなずいた。最後に缶コーヒーを開けて一口飲み込み、ほっとため息をついた。
レジが遠くに見えている。長谷部がお客さんとやりとりをしていて、その声が小さく聞こえている。
狭間は上を向いて放心した。心なし疲れているようにも見えた。
(……ショウ……)
「ん?」
誰かの声が聞こえた。女の人の声だった。狭間は周りを見回したがバックヤードには誰もいない。
「長谷部さんかな?」
(……必要……)
「え?」
狭間はレジのほうを見たが、長谷部さんはまだレジ作業を続けていた。呼ばれた気配は無さそうだった。
「一応聞いてみるか」
狭間はレジに客がいないのを見計らって立ち上がり、長谷部さんに声をかけてみた。
「あの、ついさっき、僕のこと呼びました?」
「いいえ、呼んで無いわよ。狭間くん」
「あ、そうですか。すいません」
そう言ってまたバックヤードに下がった。
「気のせいかな?疲れているのか俺?幻聴?やばくない?」
狭間はフラフラと歩き、ダンボールにけつまづいて、派手な音を立てて転んだ。すると、長谷部さんが心配そうにバックヤードを覗いてきた。
「大丈夫?」
「な、なんでも無いです!すいません!」
◇
午後十時になり、交代の時間になった。夜勤部隊の人たちがやって来た。狭間と長谷部は彼らと交替をした。狭間は男子用ロッカールームに入り、着替えて挨拶をして店を出た。
「狭間くん!」
駅へ行く道すがら、狭間に後ろから声をかけてきたのは長谷部さんだった。
「ああ、長谷部さん」
「駅まで一緒行こう」
「いいですよ」
狭間と長谷部は歩きながらコンビニの勤務のグチを言ったり、最近あった面白かったこととかを話した。
「……そう言えば狭間くん、こんな噂があるんだって」
「え?何です?」
「東京にね、ダンジョンがあるんだって!」
狭間は少し間をおいてこう答えた。
「ああ、それ知ってますよ。新宿駅のことですよね。確かにあそこは迷いますよね」
長谷部はニヤニヤしながら狭間を見ている。
「そうじゃなくて」
「そうじゃない?」
「本当にあるんだって!」
「……ダンジョンのことですか?」
「そうそう」
「……からかってますよね?僕だってダンジョンがゲームや創作物の中のものだって知ってますよ。そりゃ海外とか行けば……もしかして本物のダンジョンがあるのかもしれませんが。東京の大都会にそんな物ある訳が無いじゃないですか。やだなぁ」
「まあ、噂なんだけどね。実際あったら面白くない?」
「ダンジョンですか……モンスターとかいたりして。剣とか魔法とか使えたりして。ああ、ロマンありますね」
「だよねー」
「そうですね……もしあるなら、僕は剣士になりたいですね!剣技の数々を覚えて……そう!囚われの姫を助けたりして!」
「狭間くん、そういうの好きなんだ」
「あ、いえ!げ、ゲームとかそんな感じじゃないですか!」
「ふふ」
そんな話をしながら二人は駅まで歩き、手を振りあって反対方向のホームに分かれた。
◇
地元の駅に着いた狭間は駅の駐輪場から自転車を取り出し、走らせ始めた。
(……ショウ……)
また声が聞こえた。
狭間は道端で自転車を止め、辺りを見回した。特にそれらしい人はいなかった。そして再び自転車を走らせた。
「やっばいなー俺。早めに寝よう……」
(……ダン……ジョン……に……)
また声がした。狭間は道端でブレーキをかけて自転車を止めた。今度はその声に電子的なノイズが混じっていた。
「……スマホ壊れたかな?……ダンジョン?」
狭間は自分のスマホを取り出した。画面を見て通知も何も無いことを確認し、スマホを振ってみたり耳に当ててみたりしたが、特に何も反応は無かった。
(……早く……)
「この声、何だろう?ノイズ……?俺、機械仕掛けだったのか?いやいや、そんなバカな。なんだろうこれ?幽霊か?……いやそんな感じはしないし。と言うか、まるで助けを求めているような……」
アパートに帰った狭間はノートパソコンを開き、ネットで「幻聴」で検索した。狭間はしばらく画面を見ていたが、飽きたのか大あくびをして涙をぬぐった。
そして次に「ノイズ」を検索したが、機械のことばかり出る検索結果に不満そうな顔で首を傾げるばかりだった。
狭間はコーヒーをいれ、窓の外の月を眺めた。
そして、スマホでコンビニのバイトのシフト表を見てため息をついた。
「バイト生活……だな」
そう言ってベッドに転がり、しばらく天井を見ていた。
「……そういえばさっき長谷部さんがダンジョンの話をしていたな。……荒唐無稽とは思うが、まさかそこに何かが……」
彼はこんどは「東京」と「ダンジョン」とかのキーワードでネットを検索した。
そしてある掲示板で合致する情報を見つけた。かなり怪しかったが、キョウコというハンドルネームの人がそれっぽいことを書いてあった。
狭間はしばらく考え、そして返信をした。
すると、詳しくはネットでは話せないから、一度会おうと返ってきた。出来れば戦力になって欲しいと書いてあった。
狭間は少しの間をおいて、オーケーの返事をした。
◇
吉祥寺駅前の広場はクリスマスの飾り付けがされていた。夕闇にツリーがシルエットで見えている。ネオンとツリーの飾り付けが眩しく光っていた。
「あなた?ショウって人?」
キョウコが狭間に声をかけた。彼は振り向いた。
「君がキョウコさん?」
「そうよ。ああ、紹介するわ。こっちはミハル」
「どうもです」
ミハルはそう言ってぺこりとお辞儀をした。
「僕がショウ。本名は狭間って言うんだけど。でもショウでいいよ」
キョウコはショウを上から下まで眺め、そしてミハルの方を見た。ミハルは黙ってうなづいた。
「あなた、いくつ?」
「二十一」
「大学生?」
「いや、中退して今はフリーターをやってる」
「あたしの一つ上か」
「……そうなんだ」
「まあいいわ。やる気はあるの?体力に自信はある?」
「その……ダンジョンのことだよね?」
「それで来たんじゃないの?」
キョウコはそう言って眉をひそめてショウを見た。
ショウはキョウコに言った。
「まず確認したいんだけど、ダンジョンがあると言うのは本当なの?」
「……本当よ」
ショウはまだ信用していないようだった。
「信じていないようね」
「連れて行ってくれる?」
「もちろん。入口まではね」
「入口まで?」
「そっから先はあなた次第。とりあえずテストをしてみないと」
「テスト?」
「適性を見るのよ。適性がない人はダンジョンに入れないの」
「そうなんだ」
「いいわ、付いてきて」
キョウコはそう言ってしばらく歩き、ショウをあるビルまで連れて行った。そこには地階の店舗へ続く階段があった。階段の壁にはポスターやチラシが貼ってあった。そして、古びたネオンが壁にかかっていて、「サウンドプレース201」という文字が書いてあった。
「ここ?」
「そう」
「ライブハウス?」
「前はそうだったらしいけど。今はもうやっていないわ」
「……やっていないの?」
「付いてきて。こっちよ」
階段を降りてキョウコが鍵でドアを開けると、中は、まっくらだった。キョウコはランタンを取り出して明かりをつけた。
そこには廃墟然とした光景があった。大小のスピーカーが積み重なっていて、マイクやパイプ椅子が転がっており、あちこちにホコリが積もっている。
キョウコは奥にあるボイラー室と書かれたドアを開けた。そこはコンクリートで出来た小さな部屋で、床にはさらに地下へ続く階段があった。
「この先。降りるわよ」
キョウコはそう言って階段を降りて行った。ショウは言われるまま、後ろについていった。
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