1 薄あかりの魔軍。船出

 王都の、西の森。

 月あかりの木漏こもれびがさし、真っ赤な目の少女は、まぶしそうに手をあげた。

 星空を見上げると、飛行の旅を思い出して身震いする。

 闇のエルフ、アニヤーク。


 彼女は、古代のひとに抱かれて、飛んで北の大地を横断した。

 念願の外の世界に出たものの、はじめから刺激が強すぎたのだ。

 しかし、疲れがとれた今は、色とりどりの外の世界を楽しんでいる。


 紳士の友人は大勢だ。

 松明たいまつを使うのは魔軍に加わった第三の民。汚れた顔に、ぎらつく目が光る。

 その炎に照らされる赤い肌は、オーガだ。

 黄色の瞳でキョロキョロ見回し、牙をむき出す。こちらでも、あちらでも。

 遠くで巨人の影が、咆哮ほうこうした。

 灯火ともしびで、赤と黄と茶色がゆらめく魔軍は、夜の森に野営している。葉が落ちて、灰色に枯れたコナラやクヌギの影が、風に揺れる。


 人が見れば心がこおる、荒涼とした景色。

 しかし、闇の少女はうきうきした。


「なんて、まばゆい世界!」


 そう叫ぶと、ふと高い丘に気づく。

 黒い人影がいくつも行き交う。背筋を伸ばす一人は、きっとあの紳士だ。

 彼女は笑顔になって、王都を滅ぼす魔の間をぬって、丘へと駆けた。


     ◇


 次つぎあらわれる崩れた顔。

 骨がむき出す顔。

 その同族らをねぎらい、古代のひとは丘の上でマリスを手渡し、考える。


 自分のように美しい姿の古代人は、もういない。

 あの愚かなばかりの民が、盗み出した神の善意で都市を作り、実に間のびした、味気のない歴史をきずいた。

 美学もなく、かつての優美な闇の世界は、追いやられた。


 それは、そもそもあの『狂人の息子』が、『闇の星』を盗んだせいだ。

 そう。神の善意グリーは日の下の蛮人にはふさわしくない。

 直接触れることはできずとも、それは。


「テテュムダイが残した、闇を照らす希望の星」


 古代のひとはそうつぶやき、王都のグリーを奪い返す思いを新たにした。

 そして口のはしを上げ、思い出す。

 先日のいくさで、あのいまわしい都市の壁を崩した時を––––。



 初冬の新月。

 王都の軍は、なぜか精彩を欠いていた。

 やま岩鬼トロールが中央の歩兵軍を抜くと、これまでが嘘のように敵は総崩れ。

 派手な装飾の騎馬団は、真っ先に逃げ出す。


 古代のひとは、ついに王都に侵攻した。

 思った通り、王都の西は蛮人が住まう醜い街だった。彼ら魔軍は、街をことごとく蹂躙じゅうりんした。

 ひときわ高い塔の上に、求める星を見出した時。

 同じくして、しらんだ空に恐怖した。

 いまいましい夜明け前に、彼らはやむなく撤退したのだ––––。



 丘の上から自軍を見下ろして、古代のひとひそかに誓う。

 年が明けた新月、次こそグリーを取り戻す。

 そして、再び星をかかげ、城を柔らかい光で照らそう。


 そのために、第三の民も軍に加えた。

 自分が何をしているのかもわからず、意志をなくした者たち。

 彼ら人間は、明かりがいるのが面倒だが、夜が明けたときも使えるだろう。


 ふと古代のひとは、丘を駆ける人影を見た。

 白金に輝く髪をふり乱して、真っ赤な目でこちらを見上げる。

 彼の顔に、自然と笑みが浮かぶ。

 今は闇のエルフも味方についた。あの魔力に立ち向かえる者など、敵にはいまい。


 古代のひとは裂けた口を開き、け物の笑顔になる。

 千年越しの復讐を果たせる喜びに、全身が震えた。


     ◇


 アルバテッラの夜が明けて、大河マグナ・フルメナの川面かわもが輝く。


 白い波頭なみがしらをたてて、大蛇神サーペントかたどった船首せんしゅが疾走する。

 長く、細い、優美な曲線をえがく、長船ロングシップ


 へさきの甲板に、洗練された身なりの騎士が立つ。

 風に黒髪と群青色のマントをなびかせて、目を開く。

 しかし口はぽかんと開けたまま。

 いでない今も、船は山からの冷たい風でがふくらみ、飛ぶように大河をくだる。

 異邦人マルコは、ほとほと感心した。


「すっごい、スピードだね!」


 ふり返った先では、日焼けした顔に白い歯を浮かべ、ハラネ国の王子キースがにんまり笑う。


「たいしたものだろ!

 だがマルコ、気持ち悪くはないか?

 はじめは皆––––」


「ぜんっぜん、大丈夫!」


 そう返すと、マルコははじめて乗船した日に思いをはせた––––。



 数日前。

 鉱山の街ニックスマインのほとりで、旅の仲間はハラネ国使節団の船を目にした。

 はじめマルコは、船が思いのほか小ぶりで底が浅いので、あやしんだ。


「これで王都まで大丈夫?」とアルに訴えたが、魔法使いは片目をつむった。


狂戦士バーサーカーの船だ。意外と丈夫らしいよ」


 それで仲間たちは、二艘にそうの船に別れて乗ったのだ。

 船は、雪壁山脈のふもと『おこりの森』の小川からくだった。森を抜ける間、みな甲板に座り身をひそめた。

 東のドワーフのバールと、さまよえるエルフだったアカネもそうしたのは、森の魔物に見つからないための習慣、だからだ––––。



 今、マルコは、森を抜け朝日で光る川の先を見つめている。

 遠くに見える段差を過ぎれば、川幅は広がるだろう。


 となりに、もう一艘いっそう長船ロングシップが並んだ。

 目を向けると、アルと月の巫女みこエレノアが笑顔で手をふる。

 先導者ユージーンは、黒髪の少女に耳打ちしている。

 王女レジーナは強くうなずくと、マルコの方へ晴れやかな笑顔を見せた。


 マルコも笑顔を返し、流れ行く光の先を、いつまでも見つめていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る