1 王都の夜明けと、取引のゆくえ

 新月の闇が明けて、アルバテッラの東、雪壁の山から日がのぼる。

 西のさいはての海をてらし、森を越え平原を越え、足早あしばやに王都の西をてらす。

 魔の攻めに耐えきれず、崩れた城壁。しかし、その中まで傷は及ばず、その夜は明けた。

 貧民街をへて、目抜き通りと城壁塔の一画をてらす。

 朝の光は、そのまま貴族の区画をへて東へと抜けるだろう。


     ◇


 城壁塔の私室。窓際に光が差した。


 王女付きの政務補佐官、ユージーン・アリストクラットが机に突っ伏している。

 長い銀髪は台に散らばり、端正な寝顔のかたわらで、携帯杖ワンド魔蛍石まけいせきがぼんやり白くまたたいた。

 半目を開けて、彼はボソボソ「わかった」とつぶやく。それからゆっくり伸びをして、窓の外を寝ぼけまなこでながめ、考えた。


 魔法学院アカデミー研究長のコーディリアにもらった『お守りタリスマン』は確かに便利だ。

 遠くからの伝言もただちに届けてくれる。

 毎月起こる、魔軍の攻撃を王都は耐えきった。しかし、これからの調査が被害の実態を教えてくれるだろう。


「俺は、前に進めているのかな」


 彼は独りごち、これまでの歳月を思う。

 幼少の頃、魔力に恵まれた下級貴族として魔法学院アカデミーに入学した頃。

 かつてグリーを使う探究者として、大賢者ナサニエルは北の火龍を制した。

 そのあとを継ぐのは自分だ、と彼は微塵みじんも疑わなかった。


 時が過ぎて卒業を迎える頃。

『探究者』の職には親友のアルが選ばれた。

 総代のみが継げる『研究長』には、やはり仲間のコーディリアがなった。

 かろうじて彼は王室付きの『先導者』だ。

 大賢者ナサニエル、すなわち学院長もつとめたナット先生が、途中で投げ出した政治の仕事。


 ナサニエルの後任ということで、ユージーンは王にうとましく思われた。

 ついた役目は、末子である王女レジーナの家庭教師。

 それから、彼の孤独な戦いがはじまった。


 山積みの書類に目を落とすと、ユージーンは仕分けをはじめる。

 朝の光の中、黒い手甲がよどみなく動く。

 川賊かわぞく討伐の戦況報告。

 毎月の西からの魔物侵攻、その防衛戦の報告。

 王都の治安対策、行政報告などなど。

 そして最後に、忍ばせた使いがもたらした極秘情報、王女レジーナへの暗殺兆候。


 最後の書類を、彼は真剣に精読した。

 この10年、いくたびもの王女の暗殺計画を、彼はほぼ一人で未然に防いできた。

 てっきり、王位を争う兄姉きょうだいの背後の勢力によるものと思っていた。

 だが、兄姉きょうだいがみな早世し、レジーナが唯一の王位継承者となっても、王女を狙う手はやまない。

 ユージーンは、疲れが蓄積していた。


「アル、リア……俺もう、ほんと限界かも」


 彼は、半笑いの顔で、決して外では口にしない言葉を吐いてみた。


 魔法学院アカデミーを出てから現実に適応するため、様々なことを許してきた。

 ユージーン自身はそう思っていた。


 言わば、望んだ栄誉は友に取られた。

 今は王室の中で、理不尽な仕事に身をすり減らしている。

 これにはきっと、ナット先生の遠望深慮があるに違いない。

 だから許す。


 戦争、政治、勢力争い。

 これらは人のいとなみにつきものだ。

 だから許そう。俺が対処してやる。


 しかし、どうしても許せないことがある。度重なる魔軍の王都侵攻。

 人々がこれを見て見ぬふりをするのは、いったいどういうことだ。

 ユージーンが根本的な解決策を訴えても、城の者から帰ってくる言葉はいつも決まっている。


みやこは、神の善意に守られている」


 そして彼らは、天守の塔を、まぶしそうに見上げるのだ。



 窓の外、朝日が照らす王都の風景を、ユージーンはまた見つめる。

 はるか彼方かなた、西の城壁に立ち込める煙は、年々近づいていた。


 だがしかし、彼は携帯杖ワンドに目をやると微笑んで、手に取った。

 白い魔蛍石まけいせきを景色にかざし、片目をつむる。


「早く来い、アル。

 神の善意も悪意も平気だという異邦人を連れて。

 先導者たる俺が、行く先をみちびいてやる」


     ◇


 夕方の日差しが、大河マグナ・フルメナを黄金の流れに輝かせる。

 大河に沿った街道を、おんぼろ馬車がこわれそうな音をたてて疾駆しっくする。


「荷下ろしの準備を! チッツ!」


 商業の街ヌーラムに着くのが待ちきれないように、御者の若ドワーフが勢いよく叫んだ。

 しかしほかの仲間は、蒸し暑い残暑の中、誰一人動こうとしない。


 月の巫女みこ、エレノアは水の魔法ですずしくした荷台から出てこない。

 満載の荷物の片隅で、静かな寝息が聞こえた。


 竹がさが付いた屋根の上では、薄灰色の法衣ローブ姿の魔法使いと、金属輪鎧リング・メイル姿の戦士が、死んだように並んで横たわる。

 アルは半目のままヨダレを垂らしている。寝椅子のかたわらには、大きな杖が無造作に転がっていた。


 まぶたをヒクつかせると、マルコは寝ぐせが飛び出す黒髪をもたげて、なんとか起き上がった。

 河をながめ、寝ぼけた声をあげる。


「アル……壊れた船があるよ」


 だが気絶したように、アルの半目は微動だにしない。


「ねぇアル! ちょっと、見て!」


 乱暴にマルコに揺さぶられて、アルは、「カッ!」と変な声を出すと寝椅子から転げ落ちた。


「……ふあぁ。いったいどうし––––」


 馬車の屋根で、長身を伸ばしたアルの声が途中で止まる。


 バールの手綱たずなも止まり、左手の河へと顔を向けたまま。


 大河には、いくせきも船の残骸ざんがいが浮かび、船の墓場を思わせた。


 エレノアが、やっと荷台から顔をのぞかせた時。

 道の先、焼け落ちて黒々と並ぶ街路樹を、旅の仲間は呆然と眺めた。


     ◇


 日暮れたヌーラムの空はもはや青黒く、だが、まだ白い雲が浮かぶ。


 前と様変わりした水上料理店。

 旅の4人は馬車の前で立ち尽くしていた。


 甲板かんぱんにテーブルはなく、避難する人々であふれ返っている。

 不安そうな顔の若い母親が、乳飲み子をあやす。

 男たちが、母屋おもやの前で店員にからんでいる。対する店員たちは両手を前に、何度も首を横にふった。

 年寄りと子どもたちが、疲れきったように甲板かんぱんに座り込む。


「い、いったい、どうしたんだろう?」


 当然の疑問を口にして、バールは仲間に顔を向けた。


「こっちでもいくさ……か災害でもあったみたいだね」


 アルが鋭いまなざしで人々を見つめがら、答えた。


 その時。

 白いつなぎの衣装トーブを着た男が、群衆の隙間すきまをかき分けかき分けやって来た。

 風変わりな旅人たちをあわただしく見回して、たずねる。


「わたくしは、ここの店主のポピナと申します。

 失礼ですが……馬車の荷をうかがえますでしょうか?

 ご覧の通り、川賊かわぞくの襲撃以来、食を求める人が後をたたず大変……困っているのです」


 マルコとアルは、うかがうようにバールを見た。

 キョトンとした若ドワーフは、巫女みこと目が合う。

 ぎこちない笑みのエレノアは、ばつが悪そうに口もとをもぞもぞさせるまま。


 それからバールは、懇願する店主ポピナの顔をひとしきりながめると、ガックリと肩を落とした。


「取引……という状況ではなさそうですね」


 そう言って彼は、漁村ピスカントルとホスペスから仕入れた荷台の食料を、全てこの場に提供することを泣く泣く決めた。


 仲間の3人はほっとしたあと、若ドワーフの気持ちを察して複雑な笑顔をかわす。


「証書を!」と水上料理店の店主が、店員に指示する。

 そして、うやうやしくたずねた。


「お名前を、うかがえますでしょうか?」

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