9 戦時の村

 ピスカントルの砂浜。

 夕方の空が、全てを赤く照らす。


 必死の形相で、マルコは格闘していた。

 浅瀬に膝までつかり、あしの先を泳ぐ魚を、槍で突く!

 だが、「あ〜」と声をあげ、ふり返った。


「バールもやってみる? 難しいもんだよ」


 岩に腰かけるバールは、無言で首をふる。ぐっと口を結ぶと、考えを頭にめぐらせた。


 変わった修行にいそしむマルコが、バールには理解できなかった。

 あのキースという男は、父母の名前はおろか、自分のことさえ満足に語らない。出自を明かさぬ男など。


「信用できない。

 そ、それに、その槍もあやしい。

 そんなこった装飾、王都でもなかなか見られるものじゃない」


 自分の考えにとらわれて、バールは思わず口にしていた。

 はっと気づき、あわてて口を手でふさぐ。


 マルコは、しげしげと槍をながめた。

 見たことないような、直線で描かれた幾何きか学文様がくもんようが、柄にみっちりときざまれている。


「たしかに。高価なものかも……。

 魚を突くのに夢中で気にしなかったよ!」


 マルコは恥ずかしそうに笑顔を見せた。しかし、すぐにまた魚に向き直る。


 砂浜のはしにある浅瀬には、キースが仕込んだあみの手前で、魚がうようよ泳いでいる。

 両側の岩場の上に一匹ずつ、先ほど彼が仕留めた魚がねていた。

 あの戦人いくさびとは、何気なく槍をふるうと、突いた魚を右へ左へと打ち上げた。その突きと返しの素早さに、マルコの目は回った。

「やってみろ」とキースは槍を渡すと、自分はさっさとどこかへ行ってしまった。


 マルコは、「まずは一匹」と集中する。

 槍の間合いを見通す。最短で伸ばせる場所に、静かに入る魚を感じる。

 力を抜いて無心で突いた。


「……やった! バール! まずは一匹!」


 会心の笑みでマルコがふり返ると、今しがた岩に座っていたバールの姿は消えていた。


     ◇


「この人にはもっときれいな水を。こちらの人は……包帯を変えてあげてください。

 ……ああ、この添え木はかたくしないと」


 怪我人けがにんであふれる小屋の中で、エレノアは懸命に立ち働いていた。

 すでに村の治療師たちは彼女の指示に忠実に従い、状況はまたたく間に良くなっている。


 エレノアが初めにしたのは、暑さとよどんだ空気がこもる診療小屋を換気し、魔法の霧で冷気を作ったことだ。

 いくさで傷ついた人たちも、その治療にあたる村の者も、涼をとることができて一気に生き返った。

 今では安らかな寝息をたてて、眠れる患者も増えた。


 一息ついたエレノアは、横たわる数十もの怪我人の向こうに、しゃがむ若ドワーフを見つけた。

 ひたいにあてる、彼女の手が止まった。


     ◇


「バール? ここで何してるの?」


 エレノアが声をかけた。

 バールは、木の囲いの中の怪我人をじっと見つめている。目を離し、向き直った。


捕虜ほりょも、充分に治療すべきだ」


 若ドワーフの意外な言葉に、エレノアは面食らう。

 だが、すぐに平静になると、近くの女へ「この柵の中の人たちは?」とたずねた。


 木のおりにいる面々は、バールの言う通りいくさの相手、南の異人で捕虜となった者たちだった。

 褐色肌で、髪の色は様々。おびえた大きな黒い瞳で、10人ほどがこちらを見つめる。

 エレノアは唇に指をあて考えたが、すぐに笑顔になる。


「いいこと言うね! わかった。

 それじゃ怖らがせないように、一人ひとりに術をほどこすから、バールも手伝って!」


 エレノアが周りの村人へ話をすると、次々と驚きの声があがる。それでも彼女は、丁寧に説明して周った。


 そんな姿を見ながらバールはつぶやいた。


「だ、大事な取引相手だから」


     ◇


 ピスカントルの日の入り前。

 砂浜では、100人足らずの人々が、新たな手伝いびとを囲み質素な夕食をとっていた。


 長老イアンから、ゆっくりとした4人の紹介が終わって、その場の人々はやっと食事にありつけた。


 マルコがわんに目を落とすと、身がほとんどない魚介スープに、少しのご飯がもられている。

 となりでバールがなげく。


「取引の商品だったのに……」


 微笑ほほえみながらマルコは、一口味見をしてみた。

 出汁だしがきいて悪くはない。

 だが、数日前のヌーラムの料理店と比べると、随分ずいぶんと粗末に思えた。


「ゆっくりんで、しっかり食べとけ」


 わんを持ったキースが、背後から声をかけて通り過ぎた。マルコは、「おいしいです!」とだけ返事をする。

 言われた通り、ゆっくり味わいながら食べた。


 バールのとなりの長椅子に、アルが腰かけた。

 彼は、若ドワーフごしに、マルコに鋭い目を向け問う。


「それで? 何か手がかりは?」


 マルコはゆっくりと口のものを飲み込むと、はっきり答えた。


「今のところ何も。敵も味方も、恐怖にかられたといった話はない。不思議な話も出ないよ。アルの方は?」


 あいだで聞いているバールは、アルとマルコの会話に戸惑い、交互に顔を向けた。

 かまわずアルが応じる。


「長老と、ひげの息子の話を合わせると、いくさのはじまりは最近だ。先月の取引あたりから、急に大量の小魚を要求されたらしい。

 たくわえが尽きて、それを用意できなくなったのが、争いのきっかけ。

 ……食べ物のうらみというのは––––」


 したり顔で目を閉じるアルをさえぎり、バールが声をあげる。


「い、いったい、何の話をしている?」


 ふっと息を吐いたマルコが、落ち着かせるように優しい笑顔を若ドワーフに向けた。


「バール、僕らはこの争いに……マリス、神の悪意の石が関わっていないかを調べているんだ。

 もしもそうなら、作戦をよく考えなきゃ」


「マルコは異邦人だから、そ、そこまでするのか?」


 バールが聞き返す。


「もう話したの?」とアルが驚いた時、背後で、なにかが砂に落ちる音がした。


 3人がふり返ると、エレノアがわんを両手で持ち、砂浜に座り込んでいる。

 マルコとアルは素早く立ち上がると、つかれ切った月の巫女みこを両脇から抱えあげた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る