第11話 学生と死生観
齢二十にもならない、ガキの戯言でしかないのかもしれない。
それでも、自分は死にたくはない。老いていくことを痛感する日が怖い。生きることは生きることでしかない。
これは自分が抱えるある種の死生観だ。
一つずつ順を追って話そう。
まず、死ぬこと。(ここでは生命活動、鼓動が止まることを指す)
死ぬことには興味がある。どのように死ぬのか、死ぬときの感覚はどうなのか。死んだその時の感覚はどうなのか。そんな死に際の感覚に興味はある。
だが、「死にたくない」のだ。
矛盾している、人間誰しも死は怖い。等反論は幾何にも挙がるであろう。
しかしながら、自分はこう言いたい。
「生きていれば常に死がつきまとう。今こうして書いているときに、部屋に殺人犯が乗り込んでくる可能性も、大地震が起きて潰れ死ぬ可能性もありうる。
そんな死が必ずつきまとうのだから、その可能性は避けたい。
私は死ぬとき位は自分で選ぶか、ポックリいきたい。だから、死にたくない。」
自分が望む死で死にたい。だからこそ、今は死にたくない。さらに言うのであれば、生きる支えである楽しみな出来事を経験したい。
非常に利己的に生きているのかもしれない。だが、死ぬくらい利己的でいいのではないか。
次に、老いだ。以下、若造故の解釈が多く含まれる。
まだ衝撃的な老いは感じていないのだ。これから先、肌が弛み、髪が白くなり、体が痛くなる。そんな先の老いに精神がついていくのか心配である。
この時の心配とは、自身が思い描く理想と乖離することだ。
既に老いという概念に対し、ある種の理想を抱いているこの自分が現実と乖離しているのかもしれない。
最後に生きること。
これは4話学生と生きること、で話した。しかし、それに付随しいつか話そう。
生きることは生きること以上でもそれ以下でもない。
非常に言語化が難しく、感覚的な話になってしまうが赦していただきたい。
生きることを懸命に続けるうちに、いつしか心にぽっかりと穴があいた気分になってしまう。
逆に、堕落して生き続けると虚無感に襲われる。
両者の天秤をバランスよく保つ他ないのだ。
それを突き詰めると、生きる。生命活動を続けることは生きるのとしかないのではなかろうか。
如何せん重たい話をしてしまった気がする。ここで綴るのは特段重い話ばかりだが。次は好きなものについて話してみようか。
好きなものを語ることは、少々憚れるものですから。
蛇足ですが、十話は消さずにいることにしました。消すのが勿体ないなと感じてしまったもので。
では、また次のお話で。
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