3. のらりくらりと生きていたらいつの間にか他人と差が付けられているから気をつけろ

 最近の朝のルーティンを教えてしんぜよう。

 小鳥のさえずりと共に起床。目覚めは上々といえる。今はこのキングサイズのダブルベッドを一人で使っているからとても快適だ。いや、喧嘩をして実家に帰っているとかではない。

 寝間着から着替えてリビングへと降りていく。朝食の支度をしているセリスに適当に挨拶をしてから、まず初めにやるのは身を清める事だ。決して汚い身体のまま部屋の中央にある揺り籠に近づいてはいけない。自分の中に巣食う欲望を必死に抑えつけ、顔を洗い歯を磨く。そして、全ての準備が整ったところで、ようやくアイドルをハグする権利が得られるのだ! 素晴らしき朝の習慣!

 ルンルン気分で洗面所から出ると、可愛い可愛いうちの娘が必死に弟を抱っこしてあやしていた。あっ……俺の役目が……。


「パパ、おはよう!」

「おはよう、アルカ」


 でも、この光景は眼福なのでこれはこれでよし。アルカの腕の中で気持ちよさそうにしている我が子を刺激しないよう、慎重に覗き込む。


「おはよう、ランス」

「きゃっきゃっ!」


 俺が優しく頬をつつくと、ランスは嬉しそうに笑った。普通に可愛すぎて吐血するところだった。この世にアルカよりも尊き生物などいないと思っていたが、こりゃ余裕でアルカ神に並び立つぞ。


「本当にランス君は可愛いなぁ」

「ねー! 可愛いよねー!」

「お、今流し目したぞ。こりゃ将来は世の女性を目で殺す罪な男になりそうだな」

「目で殺す? 目からビームが出るの?」


 アルカが不思議そうに俺を見ながら小首を傾げる。ぐっ……こちらも中々の愛らしさ。甲乙つけがたいとはまさにこの事。


「いつまでも見てられるなー」

「いつまでも見てられるのー」

「はいはい。二人共、ランスの授乳もあるんですから、さっさと朝ご飯を食べてください」


 ここで鬼嫁登場。だが、逆らうわけにはいかない。夜泣きに俺を巻き込まないよう、ランスと二人で一階の旧俺の部屋で寝てくれている心優しき悪魔に逆らう事などできるわけもない。

 朝食はいつもセリスが作ってくれている。ランスが産まれたからといって手を抜くような事なんて一度もない。二三時間に一回、母乳を上げなくちゃいけないというのに本当に頭が下がる。いやぁ、母親ってマジすげぇわ。一応城の人が家事を手伝うって言ってくれたんだけど、そこまで甘えるわけにはいかないってセリス自身が断ったんだ。俺だったら絶対全部やってもらうのにセリスは本当に偉いよ、うん。

 セリスのためにもパパっと朝食を食べ、感謝の念を精一杯込めながら両手を合わせた後はアルカとのスキンシップだ。始める前に中庭の周りに魔法障壁を張り巡らせて置かないと大変なことになる。ってか、前になった。そろそろアルカの戦闘力がシャレにならないレベルになってきたのですが、それは。しかもここの所、張り切り具合が尋常じゃない。


「闘技大会、とっても楽しみなのっ!!」


 俺の掌に自分の拳を叩きこみながら喜々としてアルカが言った。はい、原因はこれです。どこぞのバカな魔王とバカになってしまった王が酒の席で盛り上がって企画した催しのせいです。受勲式の翌日に、オリバー王が大々的に発表しました。当然、我が娘も出る気満々です。そんな危ない大会に出てお父さん心配……とはもちろんならない。むしろアルカが危ないので大会に出る人達が心配です。


「そろそろ行かなくていいのですか?」


 しばらくアルカとじゃれ合っていると、いつの間にやら授乳を終え、ランスを抱きながらウッドデッキで俺達を見ていたセリスが声をかけてきた。あー、そういや今日は仕事を頼まれてるんだった。


「アルカ、今日はおしまいだ」

「はーい!」


 俺の言葉に素直に返事したアルカは背後に作っていた極大の魔法陣を消す。あれだな、魔法陣の腕に関しては並ばれちゃってるんじゃないかな。しょぼーん。


「じゃあ、アルカは遊びに行ってくるのー!」

「あぁ。気を付けてな」

「いってきまーす!」


 即座に転移魔法を発動したアルカは一瞬で俺達の前から姿を消した。俺は砂埃を払いながらセリスの下に降り立つ。


「あー嫌だなー。行きたくねぇよー。ランスとずっといたいー」

「そんな我が儘おっしゃらないでください。この子が産まれてから、ルシフェル様も他の者達も気を遣ってくださって、クロ様の仕事は大分減っているんですよ?」

「……わーってるよ」


 セリスの言う通りだった。前は「あれ? 俺パシられてない?」って疑うレベルでいろんな事をやらされていたが、今は殆ど仕事が回ってこない。


「しゃあねぇ……面倒くせぇけど、行ってくるわ」

「いってらっしゃい、クロ様」

「たーゆ!」


 セリスとランスに見送られ、後ろ髪を引かれる思いで俺は魔王城の中庭から転移していった。

 やってきたのは獣人族の街、ゴア・サバンナ。今日の俺の仕事は完成間近に迫ったコロッセオにライガ達の集めた資材を運ぶ事だ。コロッセオは人間領の中心地、マケドニアの近くに建てられているから、外交大臣である俺の守備範囲の仕事っちゃ仕事だ。


「さーて、あのバカ猫はどこかなー……ん?」


 何やらあっちの方からえらい熱気を感じるぞ? どうせトレーニングで盛り上がってるだけだろうからあんまり近づきたくないってのが本音なんだけど、決まって獣人族の長はその中心にいるから行かないわけにはいかない。


「うひゃー……すげぇな、これ……」


 近づくにつれて何をしているのかはっきりしてきた。一言で言えば大乱闘。屈強な獣人達が誰彼構わず殴り合っている。流石は脳筋族、頭のネジが五、六本飛んでってる訓練してるなー。こいつらも闘技大会を前に気合が入ってるクチか。最早やってる事は蛮族のそれだな。とりわけ目立っているのが、大乱闘の中心でちぎっては投げちぎっては投げをしている金髪の…………金髪?


「え?」


 なんかすげー見覚えのある奴がいるんですけど? 一人だけがっつり人間なんですけど?


「やっと来やがったか。こっちは準備できてるぞ」

「いや、え? ちょ、あれ!」

「あぁ?」


 俺に気が付いて近づいてきたライガがテンパる俺を見て訝しげな表情を浮かべる。


「……あぁ、レックスの事か。あのバカ、よく訓練しに街に来るんだよ」

「え、そうなの? つーか、騎士の仕事はどうした?」

「んなもん俺様が知るわけねぇだろうが。さぼって来てんじゃねぇの?」


 どうでもよさそうにライガが言った。大いにあり得る。レックスなら騎士団の訓練をさぼるくらい何とも思わないはずだ。現に俺が城に行った時は大抵さぼってるし。


「誰があいつを連れてきてんだ?」

「誰も連れてきてねぇよ。転移魔法で勝手に来て勝手に訓練に混ざって勝手に帰んだよ、いつも」

「転移魔法……」


 おいおい、いつの間にそんなもん習得したんだ? ……って、別に使えるようになってても驚かねーわな。マリアさんはもとより使えるし、フローラさんもシンシアさんもエルザ先輩もいつの間にかできるようになってたし……魔法陣が難解で使える者が限られるって設定はどこいったんでしょうか?


「闘技大会に向けてか知らねぇが、かなり鍛えぬいてるぜ? 訓練に来てるのは俺のとこだけじゃねぇみたいだしよ」

「ん? どういう事だ?」

「フレデリカのとこには魔法陣を習いに、ボーウィッドのとこには剣を教わりに行ってるみたいだぜ?」

「…………まじ?」


 おぉ、勇者レックスよ、才能があるのに努力するなんて嘆かわしい。お前みたいな奴は努力しちゃいけないんだよ! お城の屋根でエルザ先輩の目を盗みながらお昼寝でもしてろ!

 獣人を相手に獅子奮迅の立ち回りを見せるレックスをボーっと見ていたら、ライガがニヤリと笑みを浮かべた。


「あれ、生身だぞ」

「は?」


 ちょっとライガが何を言っているのか全然わからないんですけど。なまみ? なむあみだぶつ的なサムシング? 帰依を表明する定型句を略しちゃった感じ? なんでも略すこのご時世に苦言を呈するわ。


「あの訓練は身体強化バーストなしだ。純粋な身体能力が向上すれば、魔法による強化の効果も跳ね上がるからな」

「……つまり、レックスも?」

「あぁ。素の力だ」

「化け物かよっ!!」


 人外への道を歩き始めたところじゃねぇぞ!? 肉弾戦のスペシャリストである脳筋集団に素手で勝っちゃあかん! やっていい事とやっちゃいけない事があるんだよ! まぁ、聖属性魔法が使えるあいつが獣人達を圧倒していても別におかしくねーよなー、なんてぶっこいていた俺の余裕を返せ!!


「聞いたぜ? レックスの野郎、一度もお前に喧嘩で勝った事ねぇらしいじゃねぇか」

「あ? あぁ、まぁ……」


 あの一戦はどっちが勝ったか微妙だけどな。俺とセリス以外誰も覚えてないし、ノーカンでいいだろ。


「今やりあったらやばいんじゃねぇのか、お前」

「…………」


 いつものようにライガを鼻で笑う事が出来ない。ばーか、俺がレックスに負けるわけがねぇだろ、なんて軽口も叩く余裕がない。まてまてまてまて。強さだけが唯一あいつに勝っているところなんだぞ? このままあいつが俺を越えたら、マジで俺の立つ瀬がなくない?


「……うるせぇな。さっさとコロッセオに運ぶ資材を出せ」

「あそこに積んであんだろうが。とっとともってけよ」


 不貞腐れながら言うと、ライガはしかめっ面で自分の背後を親指で差した。俺は最後にちらりとレックスの姿を一瞥し、可及的速やかに資材を空間魔法にしまった。こんな事に時間を使ってる暇なんてない。ランスにうつつを抜かしている場合でもなかった。


 本格的にまずいですよ、これは。

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