41.エピローグの後に不穏な空気を漂わせるのは定石

「おい、まだ首が座ってないんだから慎重に抱っこしろよ?」


「わ、わかってるって! ガミガミ言うんじゃねぇよ!」


 ギーの忠告に対して、うっとうしそうに返事をしたライガが恐々といった様子で眠っている赤ん坊を抱く。かなり手こずったようだが、なんとか様になったようで、ライガはホッと息を吐きながら満足げな笑みを浮かべた。


「……ふ、ふん! そんなにちいせぇなりしてると、握りつぶしちまうぞ、こら!」


 いやいや。台詞と声色及び顔が全然マッチしていないっつーの。そういう事を猫なで声で言われてもなんとも思わねぇし、そんなデレデレ笑ってると迫力も何もねぇな。屈強な獣人族を束ねる長とは思えねぇよ。

 それでもライガの声に反応したのか、我が子がぱっちりと目を開けた。寝起きのくりくりな目でいかついおっさんの顔を見た途端、見る見るうちに泣き顔へと変わっていく。


「……ふぁぁぁぁぁぁん!!」


「あ、ちょ……! ラ、ライガおじちゃんだよー! べろべろばー!」


 舌を思いっきり出して必死にあやそうとするライガ。ナニコレ。めちゃくちゃ面白いんですけど。ニヤニヤと見ている俺とギーの視線に気づいたバカ猫が、不機嫌そうな顔で我が子をギーへと押し付ける。


「お、おい! ギー! なんとかしやがれ!!」


「たくっ……赤ちゃんっていうのはこうやって扱うんだよ」


 ライガから我が子を受け取ったギーは手慣れた手つきで抱き寄せ、ゆらりゆらりと揺さぶった。


「ほーらランス。怖いことなんてなにもないんだぞー? ここにはお前をいじめる奴はいないからなー?」


「ひっひくっ…………ふふ………きゃっきゃっ!」


「……随分と赤ん坊の扱いに慣れているんだな……」


 嬉しそうに笑っているランスを見ながら、ボーウィッドが感心したような声を上げる。横目で羨ましそうに眺めていたライガが、気に入らなさそうにそっぽを向いた。


「けっ! 赤ん坊なんて、常に戦いの中に身を置いている俺には相応しくないんだよ!」


「たーゆ」


「あっ……」


 ランスがギーの腕の中から手を伸ばし、ライガの腕に触れて笑う。それだけで常に戦いの中に身を置いている戦士の顔がにへらーとだらしなくなった。


「ほれ。ボーウィッドも抱いてみろよ」


「……い、いや……俺は……!!」


 ギーからランスを渡され、どぎまぎしながらボーウィッドがランスを抱っこする。初めて触る鎧の感触に不思議そうな顔をしていたランスも、次第に楽しくなってきたのか、鎧の突起部分を触りながらはしゃいでいた。


「……よかった……嫌われなかったか……」


「心配なんかする必要ねぇよ。うちの子は人見知りしねぇんだから。なぁ、セリス?」


「えぇ。昨日もたくさんの方がランスを抱きに来てくれましたが、皆さんに懐いておられましたよ」


 そうなんだよ。連日、うちの子を見たくて魔王城の中庭に人がわんさか来るんだよなぁ。昨日はフレデリカと一緒にマリアさんとフローラさん、それにレックスの野郎とアベルまで来たからな。アベルぐらいには敵意をむき出しにすると思ったけど、まるでそんな事はなかった。ランスは人付き合いが得意なんだろう、俺とは違ってな! うるせぇよ。


「……そうは言っても……赤ん坊には俺の見た目は……怖いだろ……?」


「ランスは男の子だぜ? 鎧とか大好きに決まってるだろ?」


「……そ……そうか……」


 ボーウィッドは安心した様にランスを抱きしめる。その様をライガがチラチラと見ながら身体をうずうずさせていた。


「お、おいボーウィッド! お前の身体じゃランスが冷えちまうだろ! 仕方がねぇから俺様があっためてやるよ!」


「……ふっ……よろしく頼む……」


 ボーウィッドがあまり刺激しないように渡し、ライガが割れ物を扱うような慎重さでランスを抱く。今度は泣くことはせず、ご機嫌で笑っているランスを見て、ライガもにんまり笑っていた。兄弟もそうだけど、ライガもギーもうちの子を大事に思ってくれている。なんか嬉しいな。やべ……俺の方が泣きそうになるんだけど。


「ママー! フレねぇさんからランスのお洋服もらってきたよー!!」


 中庭に浮かび上がった転移魔法陣から可愛いらしい服を持った可愛らしい天使が降り立つ。


「おかえりなさい、アルカ」


「あっ、ボーおじさん、ライガおじさん、ギーおじさん、こんにちは!!」


「おう、アルカ! 邪魔してるぜ!」


「相変わらずアルカは元気だな」


「……元気が一番だ……」


「ランスもただいまー!」


 ライガの腕の中にいるランスに、顔をとろけさせながらアルカが頬ずりした。え、なにここ天国かよ。もう間違いないだろ。だって、天使が二人もいるんだぜ? さながらボーウィッドは天国の門を守る番人ってところか。毛深くて汚らしいおっさんと緑の変態はさっさと地獄にお帰りください。


「つーか、いつまで抱いてんだ! ランス成分が切れるんだよ! 俺にも抱かせろ!」


「あ、てめぇ!」


 ライガの手から愛する我が子を救出する。猫の毛は赤子に良くねぇんだよ! それと俺以上にランスが懐いたら腹立つだろうが!

 ランスが俺を見て笑いながら手を伸ばしてくる。あー癒しだわー。腕から伝わるぬくもりが半端ない。俺、このまま死んでもいいかも。


「そういや、なんでランスって名前にしたんだ?」


「……それは俺も気になっていた……」


 ギーの問いかけに頷きながらボーウィッドが俺の方に視線を向けてきた。ライガもそれは疑問に思っているらしい。あーそれね、それは……。


「いけ好かねぇ大恩人から名前をいただいたんだよ」


「いけ好かねぇ大恩人?」


 三人が同時に首を傾げる。俺が笑いながら隣に顔をやると、セリスも穏やかな笑みを浮かべていた。

 セリスが暴走した時も、いじけた異世界人を更生させる時も、憎まれ口をたたきながら力を貸してくれた。俺の遠い祖先でもある勇者アルトリウス。その名前は今でも知られているけど、そいつのもう一つの名前はみんな知らないからな。


 反逆の騎士、ランスロット。


 その大恩を忘れないためにも、俺達の息子にその名前を付けさせてもらったんだ。


 ちなみに髪の色はアルカよりも少し薄い茶色だ。金髪だったらどうしようかとひやひやしたが、どうやらうちの子は普通の子として生まれてきてくれたらしい。


「おぉー! 今日も錚々そうそうたる顔ぶれの人達があたしの弟を見に来てますね! ランスー! マキお姉ちゃんが会いに来たぞー!」


 俺達がランスを囲んでワイワイやっていると、エプロン姿のマキが城からやって来た。誰が姉じゃ、誰が。さっさと給仕の仕事に戻れ、この鈍間のろま頓馬とんまな賑やかしメイドが。


「ちょっと! 大臣様! ランスを独り占めしないでくださいよ! あたしにも抱かせて!!」


「ふざけんな。やっと俺の所に戻ってきたんだぞ? もう少しランスを堪能させろ」


「あたしなんて短い休憩時間を抜け出して、こうやって会いに来てるんですよ!? すぐに戻るんですから、ランスと触れ合わせてください!! いつも身の回りのお世話とかしてるじゃないですか!!」


 くっ……! セリスがまだ安静という事で、うちの家事を城の給仕さん達にやってもらっているのは確かだ。それをマキがやっているのかは定かじゃないが、その話を持ち出されるとこちらも強くでれない。


「……丁重に扱えよ?」


「わかってますよ! まったく……口うるさいお父さんでしゅねー」


 ニコニコと笑いながらマキがランスを受け取る。まぁ、いくらマキでも抱っこするだけなら問題ないだろ。魔王城の中庭で不測の事態が起きるわけもないだろうし。


 だが、俺は失念していた。この女が負の奇跡の体現者であるという事を。


「あっ……!」


 石ころも何もない平坦な地面で、何の前触れもなくマキが盛大にずっこける。いや、どんなミラクルだよ。転ぶ要素、何一つとしてなかっただろうが。

 いや、そんな事はどうでもいい。重要なのはマキの手から大空へと舞い上がったランスだ。俺とギー、ボーウィッドとライガが必死の形相で同時にスタートを切る。落下地点を予測し、両手を広げながら地面に滑り込んだ。


「たゆ」


 その瞬間可愛らしい声が耳に届き、俺達は空を見上げる。そして、誰もが唖然とした表情を浮かべた。


「……は?」


「……重力属性魔法だと?」


「……いやそれよりも……」


「……今、魔法陣なかったよな?」


 楽し気にふわふわと宙を浮いているランスを、四人のおっさんが馬鹿面ばかづら引っ提げたまま見つめる。普通の子として生まれてきたっていうのは俺の早とちりだったらしい。どうやらこの子はとんでもない男に育ちそうだ。


 口に手を当てて驚くセリスと、口をあんぐりと開けているアルカを横目で見ながら、俺はそんな事を考えていた。



 暗闇の中で浮遊する丸鏡に映った、家族や友人に囲まれて幸せそうな顔をしている黒髪の男を見て、その男は小さくため息を吐いた。


「……中々、上手くいかないなぁ。せっかくよその世界から無理やりレンタルしてきたっていうのに」


 次に映し出されたのは金髪の美女。先ほどの黒髪の男がメイドの少女に激怒している様を楽し気に眺めている。


「心まで操作したっていうのに、結局改心させられちゃったからなぁ。やっぱり、僕の力を貸したところで所詮しょせんは人間って事だね」


 映像が切り替わる。そこには自室でくつろぐ恐怖の魔王の姿があった。


「ちゃんと自分の役目を全うしてくれないと困るんだよね。何のために送り込んだと思っているのか……まぁ、仕方ないか」


 最後は騎士団で汗を流す金髪の男。


「……異物は三つ。どれか一つでも消し去れば歯車は狂うと思うけど、もう面倒だから全員排除しちゃうか」


 その男が立ち上がると同時に、映像が映し出されていた鏡が音を立てて砕け散った。そして、その男は暗闇の中をスタスタと裸足で歩いていく。


「──神の意のままに」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る