30.恋は突然に

 魔族の幹部達を見送り、一人アラモ砦に残ったセリスは静かに救護室へと向かう。部屋へ入ると、黒髪の男が寝ているベッドの脇に置かれている椅子に、大きくなったお腹を支えながらゆっくりと腰を下ろした。


「……皆さん、クロ様の故郷を守るために行ってしまいましたよ?」


 布団からはみ出ているクロの手を優しく握りしめる。


「アルカも皆さんと一緒です。本当は止めるべきかとても迷ったのですけどね。あの子の気持ちは痛いほど分かるので、止めることは出来ませんでした」


 眉を落として笑いながらセリスはクロの寝顔を見つめた。相変わらず目を覚ます様子がないクロを見て、その笑顔は小さな穴の開いた風船のようにしぼんでいく。


「まったく……いつまで休んでいるつもりですか? 他の人達がお祭り騒ぎに出ているというのに、あなたらしくもない」


 ギュッと握っている手に少しだけ力を込める。それは自分の震えを誤魔化すため。フレデリカの回復魔法とシルフ達の薬のおかげでなんとか一命をとりとめた。そう頭ではちゃんと理解しているが、弱っている彼を見ているとどうしても脳裏に浮かんでしまうのだ。あの、雨に打たれて冷たく横たわるクロの姿が。もう二度と、あんな思いはしたくない。


 ガチャ……。


 背後の扉が遠慮がちに開かれる。セリスが目を向けると、異世界転移者である紗季が申し訳なさそうな顔で立っていた。


「また様子を見に来てくれたんですね。ありがとうございます」


「あぁ、いや……彼がこんな風になってしまったのは私のせいでもあるというか……」


 しどろもどろになりながら入ってきた紗季は、セリスの隣にある椅子に座る。そして、心配そうにクロの顔を覗き込んだ。


「まだ目を覚まさないんですね……」


「えぇ。本当、我が夫ながら休み過ぎですよね?」


 セリスが呆れた様子で笑いかける。それが強がりであることは、付き合いの短い紗季でもわかった。


「あのぉ……えっとぉ……」


「サキさんのお話、聞かせていただけませんか?」


「え?」


 どう声をかけたらいいのかわからずにまごまごしていた紗季に、セリスが少しだけ身を乗り出して尋ねる。突然の申し出に紗季は目をぱちくりとまたたいた。


「わ、私の話ですか!?」


「はい。元いた世界はどんなだったかとか、この世界に来てからはどう過ごしたのかとか……後は、どうやってアラモ砦に来たのかとか。話せる範囲で構わないので」


 そう言って、セリスが優しく笑いかける。その笑顔を見ていると、心が安らいでいくから不思議だった。紗季は少しつっかえつつ、自分の事を話し始める。自分達のいた世界では平凡な毎日を過ごしていた事。こっちに来てからは新しい事ばかりで刺激と興奮に溢れていた事。こういった世界に詳しい康介からスキルについて教えてもらった事。その康介に自分達のスキルが奪われてしまった事。話が進むにつれて徐々に紗季の表情が暗いものになっていく。


「……スキル、ですか。私達の世界にはない概念ですね」


「私達がいた世界にもないですよ。でも、本やゲームなんかにはありましたけど……」


「なるほど。それでサキさんはとらわれていた城から何とか抜け出し、助けを探していたら川に落ちてしまい、おぼれているところをピエールとギガントに助けてもらったって事ですか?」


 確認の意味を込めてセリスが尋ねると、紗季は静かに頷いた。


「という事は、サキさんのご友人はまだ城に捕まっているという事ですね」


「そうなんです……だから、早く助けに行きたいんですけど……」


 元気のない顔で紗季は口ごもる。城を抜け出し、隼人はやと静流しずるを助けて説得すれば、康介はすぐに目を覚ますと思っていた。だが、あの変貌へんぼうぶりを見るに、その期待はかなり薄そうだった。


「サキさんのご友人はどんな方達ですか?」


 すっかり意気消沈してしまった紗季を気遣って、セリスが優しく尋ねる。


「私の友達ですか? えーっと……隼人君は何をやっても上手くできちゃうヒーローみたいな男の子なんです。いっつも話題の中心にいて、クラスの人気者でしたね」


 頭脳明晰、明朗快活、スポーツ万能。三拍子そろった完璧超人。セリスの頭の中では、なんとなくレックスと姿が重なっていた。


「静流は私の大親友なんです!頼りがいがあって、男子にも負けない強さがあって、とっても美人なんです! ……あぁでも、セリスさんには敵いません。っていうか、私の世界にはセリスさんより綺麗な人なんていません」


「あ、ありがとうございます」


 突然褒められ、反応に困ったセリスが動揺しながらとりあえず頭を下げる。それを見た紗季がくすっと笑った。


「そして……康介君はとっても優しい男の子です」


 声の端からほのかにただよう甘い蜜のような香り。それだけで、セリスは全てを察した。


「優しい男の子、ですか……」


「こんな大変なことをしておいて、優しいも何もないですよね」


 ベッドに眠るクロに目を向け、紗季が寂しそうに笑う。


「でも、私の思い出の中では本当に優しい人なんです」


「……その思い出の中のコウスケさんのお話、聞かせていただけますか?」


 セリスが微笑を浮かべながら言うと、紗季は少し驚いた様子を見せたが、すぐに困った顔で笑った。


「大したことじゃないんですけどね! でも、聞いてくれるなら嬉しいです!」


 そう言って照れたように頬を掻いた紗季は、情景を頭に思い浮かべながら静かに語り始める。


「これは学校から帰っている時の話なんですけど、その日はとっても天気が悪くて、夕方だっていうのに分厚い雲のせいで日が落ちたように暗かったんです」


 台風だったか爆弾低気圧だったかは忘れてしまった。だが、夜は天気が大荒れ模様だから外には出ないように、と朝のニュースで注意喚起していたのは覚えている。


「先生からも今日は寄り道しないように早く下校しろ、って言われてたんで、私達四人もさっさと学校を出たんです。でも、その途中で私が学校に家の鍵を忘れた事に気が付いたんです」


 両親が共働きである自分は鍵がなければ家に入れない。大雨に打たれながら親の帰りを待つのはどうしても避けたかった。


「三人とも一緒についてくるって言ってくれたんですけど、なんだか悪い気がして一人で学校へ戻ったんです」


 どんよりと呼ぶのも生易しいようなどす黒い雲。自然と駆け足になっていた。


「学校に着いたら誰もいない校舎を駆け抜けて自分の教室へと向かいました。そして、やっとの思いで着いた教室で自分の席を調べたら無事に鍵は見つかったんですけど、その時ピカッと雷が光ったんです」


 目も眩むような閃光。間髪入れずに鼓膜を襲った雷鳴。


「臆病な私はその場にうずくまりました。別に雷を見たのが初めてってわけでもなかったんですが、なんだかとても怖かったんです。追い打ちをかけるように、激しい雨まで降ってきました」


 まるで怯える自分をあざ笑うかのように、窓に打ちつけてくる雨。誰もいない薄暗い校舎がこんなにも不気味だとは思ってもなかった。この場にいたくないという思いと、この場から動きたくないという思いがせめぎ合い、教室の隅で縮こまることしかできずにいた。


「──そんな、どうすることもできないで一人教室で震えていた私の前に、現れたのが康介君でした」


 ガラッ!


 自分の膝に顔を埋めていた紗季の耳に扉の開く音が届く。そちらに顔を向けると、孤独と恐怖に苛まれ、涙でうるむ紗季の瞳に、息を切らせて立っている少年の姿があった。そして、その少年は紗季の姿を捉えると、自分の制服が雨でぐしょぬれになっていることも意に介さずに、安心した様ににっこりと笑った。


 ──よかった……戻って来て。


 その顔は今でもまぶたの裏にしっかりと焼き付いている。


 ──雷が嫌いだって言ってたからね。動けずにいるんじゃないかって心配だったんだ。


 あの時はただただ呆然としてしまった。だから、思ったことが素直に口からこぼれてしまったのかもしれない。


 ──え? もし、先に帰っていたらどうしてたのかって?


 そんな自分のどうでもいい些細な疑問に、彼は笑いながら答えてくれた。


 ──そしたら、無事に帰れたんだねって安心するだけさ。


 その声も、言葉も、自分だけに贈られたものとして、心の宝箱にしっかりしまっている。


 この瞬間、藤岡紗季は黒沼康介に恋したのだった。

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