23.そういえばルシフェルって魔「王」さまだった

「こ、こちらへ。ご案内いたします」


 壮年の騎士が僅かに震える声で来訪者を城へと招き入れる。経験豊富な彼が固くなるほどの大物。無理もない、何を隠そう彼の後ろを歩いている美少年は魔王ルシフェルその人なのだから。

 彼が今訪れているのは王都マケドニアにそびえ立つメリッサ城。人間の王が住まうこの地に、ルシフェルが出向くのは滅多にない事だった。どちらかの王がどちらかの王の本拠地にわざわざ足を運ぶ事により力のバランスが崩れる恐れがある。そのため、催事や会談でも極力他の街で顔を合わせるようにしていたのだ。


 それにもかかわらずルシフェルはオリバーに会いに来た。その意味が分かる騎士が緊張するのは当然の事だった。


「こちらでオリバー王がお待ちです」


「……ここ?」


 ルシフェルがいぶかしげな表情を浮かべる。てっきり謁見の間に通されるものだと思ったが、騎士の男に連れてこられたのはオリバーの私室だった。


「それでは私は失礼いたします」


「うん、ありがとうね」


 うやうやしくお辞儀をする騎士の男に笑顔を向ける。そのまま背を向けて歩き去っていく彼を見送り、その姿が見えなくなったところで、ルシフェルは部屋の扉を開けた。


「……久しぶりだな、魔族の王よ」


 王の所有物としては質素な椅子に座りながら、パイプを咥えたオリバーが親愛の念の籠った笑みを向ける。


「シンシアの生誕祭以来かな?」


「あぁ。あの時も貴殿には人間領こちらに来ていただいたな。本来ならば、次は私がそちらに足を運ぶのが筋なのだがな」


「相変わらず真面目だね。魔族のみんなはそんな事全然気にしないのに」


「人間の中にはそういう事に敏感な者もいるのだよ」


 ふぅ、とゆっくり煙を吐き出し、パイプを机に置くと、オリバーはルシフェルに向き直った。


「して、確認したいことがあるという事であったが、一体どういった話かな?」


 世間話をするような軽い口調であったが、その目は真剣そのもの。ルシフェルが来た理由など百も承知であるオリバーは、彼からどのような追及があろうと、全て包み隠さず話す覚悟ができている。


 そんなオリバーを少しの間見つめていたルシフェルだったが、小さく笑みを漏らすと、近くにあった椅子にドカッと腰を下ろした。


「いや、もういいよ。人間君達魔族僕達に敵意がないってことがわかったから」


「…………なに?」


 予想外の発言にオリバーが怪訝な顔を見せる。その反応を楽しむ様に、ルシフェルは口角を上げた。


「このお城、全然人がいないでしょ? 最近影が薄かったけど、それで僕の実力を忘れちゃった、なんてことがあるわけないし。これなら大事な王様が殺されても文句が言えない警備体制だよ?」


「……その覚悟はできている。それほどに魔族側が被った被害は甚大だ、と推察したのでな」


「うちの外交大臣の評価がお高いようで」


「それはお互い様であろう?」


 オリバーの射抜くような視線を受けたルシフェルは困ったように笑いながら小さく肩をすくめる。


「話は聞いてるよ。なんでも異世界の人間がこの世界に迷い込んだらしいね。だったら、君が責任を取る必要はないんじゃないかな?」


「だが、彼の質問に安易に答えてしまった私に全く非がないとは言えない。とはいえ、貴殿達と対立するつもりは毛頭ない。そうなれば、この老いぼれの命を差し出して、共通の敵を倒すため、魔族と人間に結託してもらうしかないだろう」


「老いぼれって歳でもないでしょ? それに、そういう血生臭いのは全然楽しくない」


 そう言うと、ルシフェルは無邪気な笑顔を見せた。


「もっと気軽に行こうよ。魔族人間は友達でしょ?」


「……敵わんな。ルシフェル殿には」


 恐怖の魔王とは思えないほどに純粋な笑みを向けられ、オリバーは苦笑する他なかった。


「問題はこの後どうするか、だね」


 ルシフェルは空間魔法からワインの瓶とグラスを二つ取り出す。そして、一つを自分の側の机に、もう一つをオリバーの机に置いた。


「まさか許してもらえた上、酒まで振舞ってもらえるとはな」


「そもそも怒ってないよ。一応、異世界の人間とこっちの世界の人間が共闘していないかの確認をしにここまで来たけど、それもないってすぐにわかったしね」


 ワインのコルクを容易く抜き、二つのグラスに注ぐ。オリバーはお礼を言いながらそれを受け取り、ルシフェルの構えたグラスに自分のグラスを当てた。


「……ふむ。やはり、魔族領産のワインは最高だ」


「もし悪いことを企んだら、真っ先にお酒の交易をストップさせてもらうからね」


「それは困る。これは死んでも信頼を裏切るような真似は出来ぬな」


 グラスを傾けながら頬を緩めるオリバー。それを見たルシフェルは楽しそうにクスッと笑った。


「さて、魔族を敵に回さずに済んだところで、一つ確認しておきたいことがある」


 少しの間、優雅なお酒の時間を過ごしたところで、オリバーが真面目な表情を浮かべる。ルシフェルの方は特に気にした様子もなく、ワインの香りを楽しんでいた。


「……安心して? あの程度で死ぬようなクロじゃないから。殺しても生き返っちゃうような男だもん」


「それは……彼が相手だと冗談と笑い飛ばせないな」


「だから、コウスケだっけ? その人間の相手は目を覚ましたらクロがすると思う。他の者が手を出すことは絶対に許さないだろうね」


「目を覚ましたら、という事はまだ意識が?」


「アラモ砦のベッドでさぼり中。これはちゃんと給料に反映させないとね」


 明るい声で言うルシフェルと比べ、暗い表情のオリバー。それはクロが被害を被ったことによる陳謝の思いと、あのクロがまだ意識を取り戻さないほどに深手を与えたコウスケの脅威さ故。


「……だから、オリバーが気にすることじゃないって。それに、クロは同じ相手に二度負けるような男じゃない。きっと後悔するだろうね」


 ルシフェルが僅かに凶暴な笑みを浮かべる。それはオリバーの背筋をゾクリとさせるには十分な破壊力を秘めていた。


「というわけで、コウスケの方はクロに任せるとして、問題はクロが目を覚ますまでに、彼がちょっかいをかけてこないかって事だね」


「恐らく、なにかしら講じてくるだろう。この城を去る際に、『舞台は整える』と言っておったからな」


「随分と演出家気質があるんだね……それとも、異世界に淡い幻想でも抱いているのかな?」


 ルシフェルは薄く笑いながらワイングラスに口をつけた。


「どちらにせよ我々か、はたまた魔族の方かわからぬが、近いうちにコウスケ殿が行動を起こすのは間違いないだろう。そこで一つルシフェル殿に頼みがある」


「頼み?」


「あぁ。もし、我らの領土にコウスケ殿が攻め込んできたときは、助太刀なしでお願いしたい」


 ルシフェルの動きがピタリと止まる。そのままゆっくりとした動作でグラスを置き、オリバーの目を見つめた。


「……理由を聞いても?」


「それが彼の策略である可能性があるからだ。一方を攻め、助力に来たもう片方の守りが手薄になったところでそちらを攻める。ある意味、定石と言える戦術だ」


 オリバーの話を聞いたルシフェルは口元に手を当て、思考を巡らせる。オリバーの言っていることはもっともだ。元々、魔族を敵としてみなしている康介が人間側を餌にこちらを攻め落とそうとするのは十分考えられる。恐らく、これはオリバーが魔族を友だと考えているからこその発言だろう。だからこそ、ルシフェルは静かに首を縦に振る。


「わかった。でも、それはこっちが攻められても同じことだからね?」


「承知している」


 オリバーはニヤリと笑みを浮かべ、グラスを掲げた。ルシフェルも笑顔を見せ、自分のグラスをぶつける。


「さて……どのような厄介事が舞い込んでくるのやら……」


 そんな独り言を呟きながらオリバーはワインで喉をうるおした。


 その厄介事の正体がわかるのにそう時間はかからなかった。


 王都マケドニアから数キロ先の平原。起伏きふくが少なく、他の街への行路として利用されるこの地に、得体の知れない軍団が突如として現れたのであった。

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