22.鬼嫁の包容力に勝るものなし

 アラモ砦に作られた会議室、巨人族でも楽々入れるほどの広さを有するこの部屋に錚々たる顔ぶれが集まっていた。魔族のそれぞれの種族を統括する長、所謂いわゆる魔族の幹部達が頑強に作られた長机を囲んでいる。こんなことは三月に一度行われる魔族会議以外にはあり得ないことではあるが、それとはまるで雰囲気が違っていた。


「……なぁ、おい。俺達はなんでこんな所で顔つき合わせてんだ?」


 重苦しい沈黙を破ったのは獣人族の長である虎人ワータイガーのライガ。元々態度がいい方ではないが、それでも今日の彼は獲物を前にした時よりも更に鋭利な殺気を放っている。


「あのバカがやられたんだ! だったら、俺達がやる事は一つしかねぇだろ!」


「……大声出さないでよ。耳に響くったらないわ」


 ライガの隣に座っている青肌の美女が不機嫌そうに顔をしかめた。精霊族をまとめるウンディーネのフレデリカ。普段は妖艶な態度をとる彼女も、今は苛立ちを隠そうともしていない。


「うちの大将が確認に行ってるだろ。相手が決まらない以上、喧嘩も出来ねーよ」


 魔人族の長、トロールのギーが頬杖を突きながら呆れた顔でライガを見る。


「何を確認することがあるって言うんだよ! クロをあんな目に合わせたクソ野郎をぶちのめせばいいだけだろうが!!」


 ライガが力任せに机を殴りつけた。彼が感情的になるのはいつもの事なので、わざわざ反応する者はこの場にいない。


「…………落ち着け…………」


 会議室に痺れるような低音ボイスが響き渡り、この場にいる全員がその声の主に顔を向ける。そこにはデュラハン族の長、白銀の甲冑であるボーウィッドが静かに腕を組んでいた。


「…………怒りに任せて行動し……人間と戦争にでもなったらどうする……?」


「上等だ! 先に喧嘩を売ってきたのはあいつらの方なんだからな!!」


「……それはつまり……マリアやフローラ達と敵対してもいいって事か…………?」


「ぐっ……!!」


 ボーウィッドの言葉を聞き、ライガは思わず口をつぐむ。


「ボーウィッドの言う通りよ。あの子達の敵になるなんて私は嫌だからね」


「俺もごめんだ。それに……この世界の人間は関係ないかもしれないだろ?」


 フレデリカに賛同しつつ、ギーは巨人族の長であるギガントの陰に隠れてビクビク震えている女の子に目を向けた。それにつられるように、全員の視線が自然と紗季へと集まる。


「別の世界からのお客さんってやつね……あんた、本気で信じてるの?」


「あぁ。俺はそう思ってる」


「けっ! そんな事はどうでもいい! クロをやったのはこの女の連れなんだろ!? 締めあげて居場所を吐かせるのが手っ取り早いだろ!」


「ひぃ!!」


 ライガの発言に、紗季は身をすくめてギガントの背中に隠れる。そんな彼女を安心させるように優しく肩に手を置いたギガントがライガを睨みつける。


「サキにひどいことすんのはオラが許さねぇべ! あんの男からクロ様を守ったのはこの子なんだからなぁ!!」


「てめぇはバカか? なんで敵と仲良くなってんだよ!」


「サキは敵じゃねぇべや!!」


 バチバチと火花を散らす二人。一触即発のこの状況で、紗季がおずおずと前に出てくる。


「……康介君はあんなことする人じゃないんです」


「あぁ!?」


 ライガに凄まれ心が折れそうになるも、必死に勇気を振り絞り、ライガを真正面から見据えた。


「ほ、本当は心の優しい人なんです!! だから、これは何かの間違いで……!!」


「だけどよ。その間違いとやらでこっちの仲間がやられているのは事実なんだ、サキ」


 声音は穏やかだが、厳しい言葉をギーが投げつける。ビクッと肩を震わせた紗季はおそるおそるギーの方へと顔を向けた。


「じゃれ合いにしてはやり過ぎた。現にあいつは死にかけたんだからな」


「そ、それは……!!」


「お前があの男を大切に想うのと同じように、こっちもあのバカを大切に想ってんだ。お前の仲間だからって何もしないってわけにはいかねーんだよ」


 ぐうの音も出ないほどの正論。何も言い返すことができない紗季が周りを見回すと、他の幹部達も同じ思いであることが痛いほど伝わってくる。確かに康介がしでかしたことは許されることではない。十人に聞いて十人が声をそろえて彼が悪いと言うだろう。そんなことは百も承知だ。

 それでも、康介と培ってきた時間が紗季の心を締め付ける。彼を助けたい、その想いを消すことは紗季にはできなかった。だが、その方法がわからない。好きな人に何もできない無力な自分が悔しくて、涙が出そうになる。


「──その男を煮るか焼くかを決めるのは、やられた張本人なんじゃないですか?」


 張り詰めた会議室に鈴を転がしたような声が突き抜ける。反射的に顔を上げると、そこにはお腹を大きくした金髪の女性が立っていた。そのあまりの美しさに、紗季は思わず言葉を失う。


「……鬼嫁の登場だ」


 クックックと笑いながら軽口を叩いたギーを一睨みすると、セリスは空いた席に腰を下ろした。


「クロの様子は?」


「まだ目を覚ましません」


「そう……」


 セリスの返答を聞いたフレデリカは暗い表情で目を伏せる。致命傷を受けながらも、なんとか一命をとりとめたクロであったが、意識を取り戻すには至っていない。


「でも、大丈夫ですよ。あの人の生命力はゴキブリ並みですから」


「……それもそうね」


「心配なのはアルカの方です。クロ様の側からかたくなに離れようとしません。あの様子じゃ、いつ爆発してもおかしくないですね」


「そいつは……まじでおっかねぇな」


 アルカの実力を知るギーが盛大に顔を引き攣らせた。普段、怒ることなど一切ない彼女が癇癪かんしゃくを起したとなれば、地獄絵図が広がる事なんて容易に想像ができる。


「サキさん……でしたっけ?」


「え? あっ、はい!!」


 セリスに見惚れてぼーっとしていた紗季が、名前を呼ばれてハッと我を取り戻した。


「あなたのお友達の処遇はクロ様自身がお決めになると思います。他の者が手を出そうものなら、あの人は絶対に怒りますからね」


「あー……怒るだろうな。それに根に持ちそう」


「一ヶ月くらいはネチネチ言われるぜ、きっと。めんどくせぇ」


 ギーとライガが呆れ顔でため息を吐く。隣でフレデリカが口元に手を当てくすくすと笑った。


「だから、あの人が目を覚ましたら覚悟しておいてくださいね?」


「えっ……?」


 セリスの言葉で、紗季の身体を不安が駆け巡る。クロは康介のせいで生死をさまよう思いをした。そんな彼が康介の処遇を決めるとするならば、それ以上の事が康介の身に起こるかもしれない。


 そんな彼女の心持ちを察したセリスが優しく微笑みかける。


「二、三発殴られる程度では済まないかもしれませんから」


「あっ……」


 紗季の口から気の抜けるような声が漏れた。それと同時に安堵の涙が頬を伝う。


「ごめ……んなさい……!! ごめんなさい……!! 康介君が……ごめんなさい……!!」


 自然と口から零れる謝罪の言葉。溢れる涙を止めようともせず謝り続ける彼女を見て、ギーは小さく笑いながらライガに目を向けた。


「……サキを締め上げるか?」


「……答えがわかってる質問なんかすんじゃねぇよ」


 不機嫌そうにそう答えると、ライガはプイッと顔を横に向ける。そのままギーは慈しむ様に紗季を見ているセリスに視線を移した。


「相変わらず甘いな。お前ら夫婦は」


「……まぁ、私としては許したくないんですけどね。あの人は多分許すでしょうから。それに傷を負わされたクロ様が納得できる形であれば、私も文句は言えないです」


「いや、俺もギガントもピエールも怪我してんだけど」


「つーか、ピエールいたのかよ。何も言わねぇから全然気づかなかったぜ」


 ライガが会議室の隅に目を向けると、そこにはヴァンパイヤの長であるピエールの姿があった。みなの視線を一身に浴びたピエールはゆっくりと片手で自分の顔を覆う。


「ふっ。言の葉が飛び交う戦場、我輩わがはいには迷宮ラビリンスに思える」


「……会話に参加できなかったのね」


 不治の病を患う男、ピエール。もしかしたら彼こそがまことのコミュ障なのかもしれない。

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