10.豪華な客室にテンション上がるのは一時で、やっぱり自分の家が一番落ち着く

 暗くじめじめとした陰鬱いんうつな雰囲気。レンガ造りの壁にはいたる所にヒビが走り、そこから雨漏りをしているかのように水が滴る。この場にいるのは大罪を犯した罪人と、この環境を好むどぶ鼠くらい。前者は娑婆しゃばの空気に恋い焦がれ、いつかは太陽の光の下に戻ることを夢見る者、後者は光の世界に別れを告げ、天敵のいないここを楽園と称する者。それが城の地下牢というものだ。

 だが、ここは少し趣が変わっている。まず第一にここには大罪を犯した者などいない。いるとすれば、長年つれそった幼馴染に裏切られた哀れな者達だけだった。そして、囚われている環境もまるで違う。石で作られたベッドと用を足すために用意された必要最低限度の仮設トイレ。それが独房に相応しい風景。しかし、ここは一流ホテルが驚くほどに設備が整えられていた。広い室内には羽毛で出来たフカフカのベッドに一人で使うには豪華すぎる浴槽。いつでも腹を満たしたり、喉を潤したりすることができる冷蔵庫も完備してある。おまけに一日三回、ここの主が給仕が豪勢な食事を運んでくれる。

 まさに、至れり尽くせりな状況。ここから出ることができないという事以外、何一つ不自由なく暮らせる場所であった。


「はぁ……」


 そんな部屋に置いてある家具を見ながら、ヘアピンをつけたショートカットの少女が大きくため息を吐いた。


「すごいなぁ、康介こうすけ君は。同じ'創作家'のスキルでも使い手が違うと、ここまで出来るものに差が出るんだね」


 家具だけではない。今自分達がいるこの城も、康介が一瞬にして創り出したものだ。小さな武器を作れるようになるだけであんなにも時間がかかっていた自分とはまるで違った。


「…………なに敵に感心してるのよ」


 煌びやかな食器に手を伸ばし、感嘆の息を漏らす紗季さきに、向かいの部屋で囚われている静流しずるがジト目を向ける。


「敵って……康介君は別に敵ってわけじゃ」


「私達のスキルを奪い、こんな所に監禁している奴が敵じゃないんだったら、どんな奴が敵なのか教えて欲しいわ」


 困惑した表情を浮かべる紗季に静流がぴしゃりと言い放った。彼女の正論を前に、紗季は落ち込んだ顔で持っていた食器をテーブルに置く。そんな彼女を見つつ、静流は頭痛にうなされているかのように手を頭に添え、大きくため息を吐いた。


「迂闊だったわ。まさか康介のスキルがあんなものだったなんて。私か隼人はやと、どちらかのスキルが残っていればまだ対処もできるんだけど……ねぇ、隼人?」


「…………」


 そう言いながら、静流が隣の部屋にいるであろう男に話しかけるが、返答はなし。ここに入れられてから数日が経過するが、彼は一言も言葉を発してはいない。再び静流は盛大にため息を吐いた。


 キーッ……。


 その時、地下牢に続く扉が開いた。紗季と静流が目を向けると、そこには正にテンプレートを裏切らないメイド姿の女性が立っている。ただし、その顔には一切の感情はない。


「食器を下げにまいりました」


 業務命令のような淡々とした口調。紗季と静流は黙って給仕に食器を渡す。話しかけても一切の返答がないのは、初日に試しているので無駄な努力をすることはしない。


「……やっぱりすごい。私は人間を創り出そうなんて思いもしなかったのに」


 自分の差し出した皿を受け取り頭を下げる給仕を見て、紗季が思わず呟いた。


「人間というよりは人形よね。……まぁでも、確かに常軌は逸しているわね。こんなもの作ろうだなんて、普通の人間は思わないわ」


 紗季とは対照的に気味の悪いものを見るような目で給仕を見ている静流が言う。魔物や兵器ならまだしも、見た目が完全に人であるものを、スキルの力を使って生み出したことが、静流はどうしても受け付けられなかった。その声音に、康介を非難する色を感じ取った紗季が僅かに表情を曇らせる。


「そんな言い方……まるで康介君が普通の人じゃないみたいに……」


「普通じゃないでしょ、どう考えても」


 静流が呆れ顔で紗季の顔を見た。


「康介はいつも自分が読んでいるファンタジー小説のようなこの世界に来て変わってしまったのよ。そのうち、ここの世界にいる人達も私達もまとめて始末して、魔王でもなってしまうんじゃ」


「康介君はそんなことしないよっ!!」


 普段は温厚な紗季からは考えられないような激しい口調に、思わず静流は口を噤む。紗季自身も予想外の大声に自分で驚き、バツが悪そうな顔で彼女から目を逸らした。


「……康介君はそんなことしない。彼はとっても優しい人だもん」


「…………」


「元の世界にいた時だってそう。私をいつも庇ってくれたり、守ってくれたりした。ここに来てからも、静流や隼人君と違って戦う力のない私をずっと気遣ってくれたんだから」


「…………」


「今は……うん! 少しだけ悪い夢を見ちゃっているだけなんだよ! だから、誰かが康介君の目を覚ましてあげれば、きっと前みたいに優しい康介君に会えるはず!!」


「…………はぁ」


 三度みたびため息。笑顔で夢物語を話す親友を見て、静流が険しい表情を浮かべる。


「紗季……あんたが康介に惚れてるのは知ってるけど、それにしたって夢見すぎ」


「えぇっ!?」


 ギョッとした顔をした紗季が慌てて静流の方に目をやった。


「ど、どうしてその事を……!?」


「紗季は分かりやすいのよ。当然、隼人も知ってるわ。……まぁ、当の本人は気づいてないでしょうけど」


「そ、そ、そ、そんなぁ!!」


 これまで懸命に隠し続けていたと思っていた自分の秘密が、二人に知られていたことを知り、紗季は動揺を隠せない。顔を真っ赤に染め上げ、あわあわと慌てふためく彼女を見て、静流は苦笑いを浮かべる。だが、その表情はすぐに厳しいものへと変化した。


「でも、だからといって、恋は盲目じゃ困るのよ。現実に私達が置かれている状況を見てみなさい」


 ほんのり桃色の空気を纏っていた紗季だったが、静流の言葉で一瞬にして真面目な顔に戻る。


「あんたは康介の目を覚ませばって言ってたけど、一体どうするつもりなのよ?」


「そ、それは……!!」


「助けを呼ぼうにもここは魔物が巣食う辺境の地。助けてもらう知り合いなんていないし、ましてやこの世界に人がいるかもわからない」


「っ……!!」


「そもそも私達はここに缶詰め。あいつの目を覚まさせるどころか、会う事すらできないのよ?」


「…………」


 事実を冷静に告げてくる静流を前に、紗季は暗い顔を俯かせた。彼女の言っていることは何一つとして間違ってはいない。ここに閉じ込められてからというもの、康介は一度として顔を見せに来てはいない。来るのは無機質な給仕係のみ。これでは説得することもできはしない。

 まさに八方塞がりの状況。このまま軟禁状態が続けば、事が動くことなどない。


「…………わかった」


 顔を下に向けたまま静かな声で紗季が呟く。彼女には秘策があった。いや、秘策何て高尚なものではない。苦し紛れの悪あがきに近い何か。それでも、何もしないでここで時間を浪費するよりはよっぽどましな事。ただ、これまでそれをする勇気がなかっただけだ。


「私が助けを呼んでくる。そして、康介君の目を覚ます……!!」


「な、何を言って」


「洗面所の排気口を通ればそれも可能だよ」


「えっ!?」


 予想外の発言に、静流は目を見開く。紗季の部屋と同様、この部屋にも排気口はあるが、おおよそ体が入る大きさではなかった。


「あ、あんたあそこを通れるの!?」


「試した時はかなりきつきつだったけどね。無理をすれば通れるはず。排気口なら外に繋がっていると思うし、これなら助けを呼んで来れるでしょ?」


 紗季が覚悟を決めた表情で静流を見つめる。一瞬、呆けた表情を浮かべた静流だったが、すぐに顔を左右に振り、勢いよく鉄格子を掴んだ。


「む、無理よ! 外ってあの魔物がたくさんいる無法地帯でしょ!? 危険すぎるわっ!!」


「そんなのわかってる! ……でも、これ以外康介君の目を覚ます方法はないから」


 それだけ言うと、紗季は確かな足取りで脱衣所へと向かっていく。そんな彼女を静流は止めるため、必死にガシャンガシャンと鉄格子を揺らした。


「待ちなさい! 紗季! 何か他に……他に作戦を……!!」


「……行ってきます」


 小さな声でそう言うと、自分の決意を鈍らせる鉄格子の音を遮るように、紗季は脱衣所の扉を閉めた。

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