6.慣れない事はするもんじゃない

 今日は珍しくなんでも大臣……いや、外交大臣の仕事が休みだ。魔王軍指揮官の時は休日なんてなかったのに、今の役職は定期的に休暇をもらえてる。なんて、ホワイトな仕事なんだ。……まぁ、指揮官の時は勝手に休んでもよかったんだけどな。なんか自由に休んでいいって言われると、逆に休むタイミングを逃すんだよなぁ。

 いやいや、そんな魔王軍指揮官時代過ぎ去りし過去の事なんかどうでもいいんだよ。大事なのは今。そう、俺には身重の奥さんがいるという事だ。いつもは迷惑をかけてばっかりなので、こういう時くらいあいつの役に立ちたい。イケメン外交大臣はハイパーイケメン掃除・洗濯・炊事大臣へと進化を果たしたのだ。もう何も怖くない。この休日は思う存分セリスに楽をしてもらうぞ。


「ということで、今日は俺が家の事をやるからセリスはゆっくりしていてくれ」


 朝一で俺が意気揚々と告げると、ソファで編み物をしていたセリスが目をぱちくりとまたたいた。が、すぐにその表情を柔らかいものにする。


「……そのお気持ちは嬉しいですが、家の事はマキさんやお城の給仕さんがやってくださいますよ?」


「あぁ、知ってる。だから、昨日マキの所に行って今日は来なくていいって言ってきた」


「え? そうなのですか? どうしてまたそんな事を?」


「俺が家事をやるためだからに決まってるだろ!」


 意気込んでいる俺をセリスが若干不安そうな顔で見てくる。おいおい、そんな顔するなって。


「いつもセリスにまかせっきりだから偶には俺も家の手伝いしたいんだよ。お前が大変な時くらい、夫の俺が頑張らないとダメだろ」


「クロ様……」


 ちょっと照れくさかったので、セリスから視線を外しつつ鼻を掻きながら言う。ちらっと見てみると、セリスが少しだけ目を潤ませていた。


「ありがとうございます。……では、お言葉に甘えてしまってもいいですか?」


「まかせとけ!」


 俺は威勢よく返事をしながら、ドンッと自分の胸を叩く。少しは夫らしい事しないとな! 生まれてくる子に示しがつかないってもんだ!


 さて……まずは朝食からだな。つっても、セリスや城の給仕さんが作っているみたいには当然できるわけもない。だが、昔誰かが言っていた気がする。料理は愛情だって。愛情を込めて作れば、どんな料理だって絶対に美味くなるはずだ!


「とりあえず朝食だし、トーストと目玉焼き、後はサラダとかでいいか」


 いや、なんとなく生ものは母体に良くない気がする。少し寂しいが、トーストと目玉焼きだけにしておこう。流石にそれくらいは俺にだって作れるはずだ。万が一にも半生でセリスが食べないように、しっかり焼かないとな! 俺の魔法が火を噴くぜっ!!


 なにやら黒い塊が出来ました。


 えっなに? 俺の手って呪われてんの? アイアンブラッドで料理した時もそうだったけど、どうして俺が料理を作ると黒い塊が出来てしまうん? 


「えーっと……お、おいしそうな目玉焼きとトーストですね!」


 セリスがまな板の上に置いてある黒い何かを見て、ぎこちない笑みを浮かべた。おいしそうっていうか、かわいそうだよね。かわいそうな卵とパンのなれの果てだよね、まじで。


「ふぁーぁ……パパ、ママ。おはよう」


 俺とセリスが微妙な顔をしながら謎の物体を見ていると、アルカが部屋から出てきた。俺達の方へトコトコと近寄ってきたかと思ったら、途中で足を止め、盛大に顔をしかめる。


「……なんか臭いの」


 そう言いながらアルカは俺の方を見つめてきた。アルカよ、基本的に悪いことがあったらパパと結びつけるのは止めてくれ。でも、それで大体当たってるから悲しい。


「おはようございます、アルカ。今日はクロ様が私達のために朝食を作ってくださったんです」


「えー!? パパが朝食!? すごーい!!」


 途端にキラキラした目を向けてくる愛娘に俺は乾いた笑みを向けることしかできなかった。


「それでそれで!? パパは何を作ったの!?」


「……目玉焼きとトースト」


「わぁ! アルカ、目玉焼き大好き!! 上手にできた?」


 アルカから問いかけられ、俺とセリスは同時に絶望と破滅の暗黒物質目玉焼きとトーストへ目を向ける。アルカもそれにつられるようにまな板の上へと目をやり、一瞬ギョッとした表情を見せたが、すぐに笑顔になった。


「わ、わーおいしそー! パパ、すごいねー!」


 アルカとセリスの優しさに全世界の俺が泣いた。こんなわけの分からないものをこの二人に食べさせるわけにはいかない!! これは俺が責任もって処分する!!


「クロ様っ!?」


「パパっ!?」


 二人の制止を振り切って、黒い塊を自分の口に放り込む。


 …………。


 目を開けると、心配そうな顔で俺を覗き込んでいる天使の姿が目に飛び込んできた。なんだか頭がぼーっとする。


「アルカ……?」


「よかった! パパが目を覚ましたの!」


 俺は……ソファで寝ちまったのか? いや、昨日はちゃんとベッドで寝たはずだ。あやふやな記憶をたどりながら、なんとはなしにキッチンへと目を向けると、大きなおなかでセリスが料理をしていた。おいおいおい、あいつは動いていい身体じゃないって…………あ。

 そこまで考えたところで全てを思い出した俺。バッとソファから起き上がり、急いでセリスに駆け寄る。


「すまんセリス。後は俺が代わるからお前は休んでいてくれ」


「ふふっ、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。もうすぐできますから待っていてください」


 俺が申し訳なさそうに言うと、セリスは笑いながらフライパンでウインナーを転がした。くっ……ここで俺が手を出してさっきの悲劇を繰り返すわけにはいかない。不甲斐ないが、朝食はセリスに任せよう。料理のチャンスは昼と夜のまだ二回残っているからな。


「なら俺は掃除をしてくるぜ!」


「あっ……」


 セリスの返事も聞かずに、俺は二階にある物置部屋へと走って行く。確かこの部屋に掃除用具が……。


「はい、パパ! 探しているのはこれでしょ?」


 ごそごそと部屋の中をあさっていたら、アルカが箒と雑巾の入ったバケツを俺に差し出してきた。


「ママのためにお掃除やるんだよね! アルカも手伝うの!」


 アルカの満面の笑みを見て、俺はその場で硬直してしまった。なんて……なんていい子なんだ。こんなにいいお姉ちゃんがいてくれるなら、あの子も何の心配もなく生まれてこれそうだな。


「よーし! セリスのご飯ができるまで、二人で家を綺麗にするぞ! とりあえず二階からだ!!」


「おー!!」


 アルカがはたきを持って手を上にあげる。掃除は料理と違って火を使うこともないし、失敗しようがねぇだろ! よっしゃ! いっちょやったるで!!


 十五分後……。


 リビングにはセリスに怒られてしょんぼりと肩を落としながら朝食を食べる俺とアルカの姿があった。


「まったく……掃除をしようとしてくれたのは嬉しいのですが、逆に散らかしていたら意味ないですからね」


「はい……」


「ごめんなさい……」


 俺もアルカもこれ以上ないほど身を縮こませる。いやー、あれだわ。うん、最初は真面目に掃除してたんだけどさ。いつの間にかアルカと二人でチャンバラごっこに夢中になってたんだよね。そらセリスも怒るわ。朝食出来たって言いに来たら、寝室がめちゃくちゃになってたんだからな。本当にごめんなさい。


 はぁ……まじで何一つ役に立ってないんだけど。このままじゃ生まれてくる子にお父さんなんていらない、とか言われてしまう。やべぇよやべぇよ。


 なんだかんだと時間が過ぎたせいで朝兼昼となった食事を終え、皿洗いをセリスにやんわりと断られた俺は、大きなタライを持って庭へと出てきた。料理と掃除は失敗に終わった……俺に残された道は洗濯のみ。アルカが洗濯物が入っているかごを持ってきてくれている間に、俺はタライに水を張る。


「洗濯物持ってきたよー! あとこれはお洗濯する時にママがいっつも使っているもの!」


 タライの横に籠を置きつつ、アルカが小さな箱を俺に渡してきた。受け取り、中を確認すると、何やら白い粉が入っている。


「ははーん……これが洗剤だな? って、これだけ?」


 箱はお弁当箱三つ分くらいの大きさ。対するタライは、アルカが余裕で入れるくらい。絶対にこれじゃ足りないだろ。


「ううん! 脱衣所にたくさんあったの!」


「じゃあもっと持ってこなくちゃな!」


 俺とアルカは急いで脱衣所に移動し、持てるだけ洗剤の入った箱を持ってきた。うーん……これでも洗剤が少し心許こころもとないな。洗濯するのにどれくらいの量が必要かわからないけど、まぁ常識的に考えて水と洗剤が一対二くらいの割合だろう。じゃないと汚れも落ちないってもんだ。


「これで洗剤を水に入れて、服を洗っていけばいい感じか?」


「うん! ママはいつもそうしてたの!」


 よしよし。アルカの心強いお言葉も頂戴できたし、これはいけるだろ。後はアルカと遊ばないように服を洗っていけばオッケーだ。


「んじゃ、洗剤を入れていきますか!」


「はーい!」


 タライの中に洗剤をどんどん入れていく。おぉ、すげぇな。白い粉が水に入れた瞬間溶けていくぞ。ちょっと洗剤が足りるか不安になってきたわ。


「とりあえず、洗剤はこの辺で様子見るか」


 七箱目が空になったところで、一度洗剤を入れる手を止めた。ここからは必要な量だけ入れていくことにしよう。ふっふっふ……これだけ慎重にやっていけば失敗することもないだろう。


「じゃあ、服を入れて洗濯し始めるぞ!」


「綺麗にするの!」


 俺とアルカは籠の一番上にある服を手に取り、タライの中に突っ込み、ゴシゴシと洗い始める。途端に立ち昇る泡。泡立つって事は汚れが落ちてる証拠だろ。うんうん、今度こそ上手く出来てるみたいだな。


 ……ところで、尋常ないスピードでタライから泡が溢れているんだけど、洗濯ってこんな感じ? 手を止めても、泡が生まれ続けてるんですけど?

 瞬く間に視界は泡だらけになった。辛うじて見えるのは隣で洗濯をしていたアルカが慌てている姿だけ。かなりの広さを誇る魔王城の中庭が、今や大雪でも降ったかのように泡で真っ白に染め上がっていく。いや、絶対これまずいだろ。


「わ、わ、わ!! パ、パパー!!」


「ア、アルカー!!」


 俺の目の前でアルカが泡の大波にさらわれた。手を伸ばそうにも、俺も泡のせいで全然身動きが取れない。その間も泡は無限に増えている。泡の中でもがいている俺の目に、開けっ放しのドアから容赦なく小屋に侵入していく泡達が映った。あっ……。


「…………え? きゃぁぁぁぁぁぁ!! なんですかこれは!!」


 小屋の中から叫び声が……って、やべぇ! 妊娠しているセリスが泡に捕まって、壁とかに衝突したらシャレにならん! なんとかしてこの『侵略すること泡のごとし』を止めなければ! ってか、泡ってどうすりゃ消えるんだよ!! 燃やすか!? 魔王城ごと燃やせばええのんか!?


「──"泡を愛する海月バブリーラブリージェリー"」


 大混乱の俺の耳に透き通るような声が届く。その瞬間、頭上に水で出来た巨大なクラゲがふよふよと空中を漂いながら、中庭を埋め尽くしている泡を勢いよく吸い込み始めた。周りにあった泡も消えていき、地面に尻もちをつきながら呆然とクラゲを見つめる。


「……何してんのよ、クロ」


「まさか奥さんが大変な時期に、泡で遊んでいたわけじゃないわよね?」


「クロ君、こんにちは! セリスさんの様子を見にきたよ」


 声のした方に目を向けると、呆れ顔のフレデリカとフローラさんに、笑顔でこちらに手を振っているマリアさんの姿があった。おやおや、随分と珍しい組み合わせだな。とりあえず一言だけ言わせてもらおう。


 ありがとうございます。マジで助かりました。

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