幸せ【アルカ×マリア】

「いっくよー! マリアお姉ちゃん!!」


「ちょ、ちょっと待ってアルカちゃん!!」


 軽快に木の上を伝っていくアルカの背中を見ながら、マリアは必死に森の中を走っていた。


 ここはデュラハン達が住むアイアンブラッドの近くにある森。比較的魔物の少ないこの森に、アルカとマリアは二人で遊びに来ていた。どうしてそういう事になったか、それはマリアが商人の仕事でアイアンブラッドに来ていたのが事の発端だ。

 デュラハン族の打つ鉄により作られる刃物はとても頑丈で鋭く、かなりの高値だというのに人間領でもかなりの人気を誇っていた。そのため魔族との交易を一手に担っているコレット商会に注文が相次ぎ、てんやわんやの騒ぎになってしまっているのだ。このままでは暴動すら起きかねない雰囲気だったため、コレット商会の一人娘であるマリアが、友人のボーウィッドに直接交渉しに来たのだった。

 交渉自体はスムーズに進み、与えられた仕事が予定より早く終わってしまったため、暇になったマリアがアイアンブラッドの街をのんびり歩いていると、街に遊びに来ていたアルカと出くわした。何をしているのかと話しをきいてみると、これから森に遊びに行くという事だったので、時間を持て余したマリアも一緒に行くことにしたというわけだ。


 身体強化バーストを自らの身体に施し、全力で森をかけていく。アルカの方は身体強化バーストを使っていないようだった。やはり、子供といっても魔族。人間とは身体能力が違うらしい。アルカが特別、という意見も聞こえてきそうではあるが。


「や、やっぱりライガさんの言ってることは正しかったんだね……実戦経験を積んでいるアルカちゃんは凄い……!!」


 息を切らせながらマリアはライガの言葉を思い出していた。仕事で魔族領に来た時、マリアはライガが治めるゴア・サバンナにちょくちょく遊びに行っていた。遊びに行くと言っても、その目的は自己鍛錬。汗を流す楽しさを知ったマリアは屈強な獣人族の者達に交じって、トレーニングを行っているのだ。なぜ、商人である彼女が身体を鍛えているのかは神のみぞ知る話ではあるが、その時にライガが自分に放った言葉が、彼女の中でずっと気になっていた。


 ───マリア! 身体を鍛えるのも大事だが、実戦経験はどんな鍛錬にも勝るぞ!!


 どんな鍛錬にも勝る究極のトレーニング。それが脳筋になりかけているマリアの心を掴んで離さなかった。


「頑張ってついていかないと……じゃないと、立派な商人にはなれないよね!!」


 気合を入れ直して走る速度を上げるマリア。全ての原因はマリアの父であるブライトが娘に渡した【商人は体力が命】という本にあるのだが、それを言っても時すでに遅し。


「…………こうして森を走っていると、あの日の事を思い出すなぁ」


 そう呟きながら、マリアは僅かに口角を上げる。


 あの日……それは魔王ルシフェルに会うため、魔族領と人間領の狭間はざまにあるフレノール樹海を進んでいたことである。あの時も今と同じように森の中を駆け抜けていた。尤も、走っている理由が正反対ではあったが。


「あのままグランジャッカルの群れに襲われて死んでしまうって未来もあったんだね」


 思わず苦笑いを浮かべてしまった。笑い事ではないのだが、今となってはいい思い出だ。


「…………でも、なんで私はルシフェル様に会いに行ったんだろう?」


 ルシフェルに会いたい、と強く願ったのは憶えている。だが、その理由はいくら考えても思い出すことができなかった。一介の人間である自分が魔族の王に会いに行くなど、余程の理由でもない限り起こりえないこと。結果として魔族の者達と仲が深まり、交易を行うことで来たのだが、一体何がそうさせたのだろうか。何となくではあるが、クロムウェルが関係している気がしてならない。


「クロ君……」


 ぽつりと呟く思い人の名前。

 クロムウェル・シューマン。人間にして、魔族の大臣に名を連ねる男。マジックアカデミアにいる頃から自分が好意を寄せる相手であり……魔族であるセリスの夫でもある。

 叶わぬ恋をしていることに不満はなかった。だが、親友のフローラはそうでもないらしい。彼女自身も同じような恋をしているため、よく心配されるのだ。


 ───マリアも他にいい人を見つけた方が幸せなんじゃないの?


 いつぞやの王都のカフェでフローラに言われた言葉。他に好きな人を見つけることが果たして自分の幸せに繋がるのか、マリアには判断できなかった。


「っ!?」


 そんな他愛のないことを考えていたマリアの足がピタリと止まる。アルカの姿を見失かったからではない。それも重要な事ではあるが、今は自分の身を心配しなければならない状況だった。


「ぐるるるるる……」


 突如として現れたのはライノークと呼ばれる魔物。強靭な角を頭部に生やし、その皮膚は弾力性があるため生半可な攻撃では傷一つつけることができない。そして、この魔物の恐るべきところはその突進力。四つ足で地面をしっかりと踏みしめ、高速で向かって来るその破壊力は数多の冒険者の命を奪ってきたのだ。

 そんな魔物が十匹以上、マリアを取り囲むようにのっそりと木の間から顔をのぞかせた。


「実戦経験を積む……これ以上のシチュエーションはない……かな?」


 言葉とは裏腹にマリアの背中には冷たい汗が流れる。ライノークは時として高ランクの冒険者をも死に至らしめる難敵。そんな魔物が複数体も自分の方に近づいてきているのであれば仕方のないことであった。


 だが、マリアは諦めたりはしない。そして、逃げるという選択肢もどこかへ放り投げた。生き残る可能性があるとすれば、まっすぐに前を見据え、正面から迎え撃つほかない。


「以前は逃げることしかできなかったけど、今の私なら戦える……!!」


 自分を鼓舞しつつ、魔力を練り上げていく。初級魔法シングルしか使えないのが心許ないが、それでも弱肉強食の地であるゴア・サバンナはマリアを何の抵抗もなくなぶり殺しにされるような軟弱者にはしていない。


「……行くよっ! ライノ」


「ごめんなさい! お姉ちゃんを置いてどんどん先に進んじゃった!!」


 覚悟を決め、ライノークに向かって行こうとしたマリアの目の前に、申し訳なさそうな顔をしたアルカが降りてきた。突然の事に、マリアは目をぱちぱちと瞬く。


「この森にはあんまり来たことがなかったの。だから、楽しくなっちゃって……」


「い、いやそれは全然気にしなくていいんだけど……」


「ん?」


 微妙な表情で周りを見るマリアに気づいたアルカが、その視線の先に目を向けた。そこにはアルカの登場に面食らっていたが、気を取り直し鼻息を荒げながら増えた獲物に襲い掛かろうとしているライノーク達がいる。それを見たアルカは不思議そうに首を傾げた。


「サイさん達、どうしたの?」


 クロや魔族の幹部達、そしてどこぞの竜王を名乗るエンシェントドラゴンには効果抜群の仕草も、知能の低い魔物には効かないようだ。やる気満々のライノーク達を見ながらうーん、と少しの間悩んでいたアルカだったが、何かに気がつき、笑みを浮かべながらぽんっと手を打つ。


「そっか! サイさん達はアルカと遊びたいんだね!」


 殺気が充満するこの場に似つかわしくない声でそう言うと同時に、アルカは自分の魔力を解き放った。


「いいよ。あそぼ?」


 その瞬間、アルカを中心に台風のような突風が吹き荒れる。知能は低くても魔物としてのランクは低くないライノークはそれを見て悟った。自分達の敵う相手ではない、と。

 そこからは早かった。蜘蛛の子を散らすように、四方八方へとライノーク達が逃げていく。その様を不思議そうに眺めていたアルカと、困ったように笑うマリアを残して。


「サイさん達、帰っちゃったの」


「きっと門限だったんだよ。アルカちゃんにもあるでしょ?」


「あっ、ある! パパとママから夜の六時までには帰って来なさいって言われてるの!」


 そうかそうか、と頷くアルカを見て、マリアは微笑を浮かべた。そして、またしても命を助けられたことに心の中でお礼を言う。


「それにしても凄いなぁ、アルカちゃんは」


「凄い?」


「とっても強いでしょ?」


 きょとんとしているアルカにマリアが笑いかけると、アルカは微妙な表情を浮かべる。


「アルカはまだまだなの。パパにだってルシフェル様にだって敵わない」


「あの二人は……ねぇ?」


 戦いにおいておおよそこの世界で頂点に君臨する二人。勝とうとすら思わないのが普通なのだが、どうやらアルカは違うようだ。


「アルカはクロ君に勝ちたいの?」


「勝ちたい!」


「それは……どうして?」


「きっと喜んでくれるから!!」


 元気よく答えるアルカに、マリアは目を丸くする。


「喜ぶ?」


「うん! パパはアルカが新しい魔法とか見せると嬉しそうに笑ってくれるの!!」


「笑って……」


「そうなの!」


 はしゃぐアルカに対し、マリアはどこか茫然としているようだった。


「パパが笑うとアルカの身体がぽわ~って温かくなって嬉しくなるの!」


 弾むような声でそう言うと、アルカは溢れんばかりの笑顔をマリアに向ける。


「だから、パパには笑っていて欲しいの!!」


 それを聞いたマリアは言葉を失った。おそらく、アルカ自身は大したことを言ったようには思っていないだろう。だが、マリアにとっては答えを教えてくれた衝撃的な言葉だった。


「…………そっか。じゃあパパに勝たないとね」


「うん!」


「今度ははぐれないように手をつないでもいい?」


「もちろん! 一緒に森を探検するの!」


 マリアの手を小さな手がギュッと握りしめる。その温かさにマリアの頬が緩んだ。


 自分の幸せ……それはアルカと同じ、クロムウェル・シューマンの笑顔を見ること。

 彼が笑顔でいる限り、自分は彼を好きでいよう。

 彼が笑顔を失った時、自分が笑顔にしてあげよう。

 彼が笑っていることが、自分の幸せなのだから。


 自分の気持ちに気が付いたマリアはくすりと嬉しそうに小さく笑う。そして、左手に小さな温もりを感じながら楽し気に森の中を進んでいった。

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