第29話 残響

 神坂さんと最後に顔を合わせたのは、二学期の終業式。

 翌日からの冬休み、クリスマスやお正月といったイベントを迎える賑やかな雰囲気にあって、別世界のようにひっそりとした花壇の前。花壇では、クリスマスローズがぽつりぽつりと花を咲かせ始めていた。


 神坂さんともすっかり打ち解け、二人でたわいない会話を交わす時間を俺は気に入っていた。

 その日の話題に受験勉強をふったのは、受験生としては自然な流れだろう。俺の苦戦しているという話に神坂さんは相槌を打ち、勉強の仕方なんかをアドバイスしてくれた。

 ちなみに優等生の神坂さんは、先生たちから第一志望の合格にお墨付きを貰っていたりする。正直、彼女が羨ましかったが、普段から積み重ねた努力の結果だ。素直に賞賛するべきだろう。

 本当のところ、合格祈願を理由に彼女を初詣に誘いたかったんだけど、切り出す勇気をなかなか持てずにいた。当然、クリスマスデートに誘うなんてもっての外だ。



 

「でも、正月くらいは受験を忘れて、のんびりしても良いよな?」


「そうね。そこが生死の分かれ目になるかもだけど」


「こわっ! 人生どころか生き死にの問題なの?」


「ふふっ、受験生にとってはね」


 冗談めかして笑うと、神坂さんはしゃがみ込んだ。淡くピンクがかった白い花をじっと見つめている。その横に俺もしゃがみ込む。


「この花、クリスマスローズって名前なの。面白いのよ。今咲いているこの花から取れた種でも、次に咲く花は花色も、花形も、花の模様まで違ってたりするの。全く同じ花を咲かせるのは難しいのよ」


「え? そうなの? パンジーでもチューリップでも、花壇にずらっと同じ色で花を咲かせているよね? それじゃあ、この花はお気に入りだけを増やせないってことになるのか」


「そう。どんなにその花が気に入っていてもね。人間も同じ――なんだけどね」


「えっ?!」


 神坂さんの急に沈んだ声音、耳に入った言葉の唐突感に、思わず顔を向ける。じっと花を見つめたままの神坂さんは、多分、笑っていた。だけど笑っていると言うには、それはあまりにも寂し気な笑みだった。


「私の名前にも、花の名前が使われているでしょ? 残念ながら、期待通りの花は咲かなかったみたい。ユリはユリでも、私はクロユリ。いつも下を向いてばかりで、縁起の悪い嫌われ者」


「え、待って……それってどういう……もしかして、親のってこと?」


 俺の問いかけに答えず、神坂さんはクリスマスローズを見つめている。沈黙に煽られ、せり上がってきた不安な気持ちを打ち消そうと、気付けば口を開いていた。


「いやいやいやっ、何言ってるのっ。神坂さんは頭も良いし、かわいっ……その、見た目も、……良いと思う。それにっ、嫌われてなんかいないじゃん。教室でも友達と仲良さそうにしてるしさ。そうだよ、それに俺だって、嫌いだったらこんな風に二人で喋ったりなんてしない。ね、そうでしょ? 少なくとも俺は神坂さんのことがっ……その、えっと……嫌いじゃない。だからっ、神坂さんは嫌われ者なんかじゃない! そっ、それに親だってさ、そんな事言ったら俺なんて母ちゃんから、毎日のように何でこんなお馬鹿に育ったのやらなんて言われてるし」


 思わず口走りそうになった言葉に、恥ずかしさで頭が沸騰してしまい、最後は誤魔化ごまかすように早口でまくしたててしまった。そんな俺に向けて彼女は、やっぱりどこかはかなげな笑みを浮かべてみせた。


「――ありがとう」


「神坂……さん?」


 泣き出してしまうかと思わせるその表情に、名前を呼ぶのが精一杯だった。


「……ごめん。せっかくの冬休み前なのに、つまらない話をしちゃったね。でもさ、〇〇君に嫌われてないから嫌われ者じゃないって、ちょっと横暴過ぎない? あ、でもでも、思い出って美化されるっていうよね。今日こうして二人で喋った事も、いつか良い思い出として振り返ってくれるのかな? そうだとしたら、私も狡いのかも。〇〇君の記憶に、奇麗いな思い出として残っちゃうものね。将来の彼女さんや、お嫁さんに嫉妬されちゃうかも」


「狡いって……なんだよ、それ。それに彼女とか……そんなの、誰かもわかんないし……」


「ふふっ、そろそろ帰ろっか」


 神坂さんに続いて俺も立ち上がった。先程までの暗く沈んだ雰囲気を服でも着替えるように、いつもの調子に戻った神坂さんと一緒に校門まで歩く。逆に俺は、内心ちょっとだけ凹んでいた。


「じゃ、ちょっと早いけど良いお年を」


「うん、神坂さんもね。良いお年を、あと来年もよろしくね」


「さようなら」


 いつも通りの丁寧なお辞儀をして歩き出した神坂さん。

 結局、初詣に誘うことは出来なかったけど、三学期になったらまた別のチャンスがあるだろう。その時に頑張ろう。そんな事を考えながら彼女の後ろ姿を見送り、俺も帰り道につく。

 どうしてだか、妙に頭から離れなかった。彼女の『さようなら』の声が。その時の顔が。


 迎えた三学期――始業式に神坂さんの姿はなかった。

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