第27話 贖罪

 不平不満の出ない、誰もが平等な世界。即ち、全員が等しく最底辺にいる世界。誰もが渇望して手を伸ばす中で、一人だけ引き上げられた人間にねたそねみが向けられる。当然の成り行きだ。

 星奈の一言で、ずっと気にかかっていた靄が晴れた。学校でも星奈と一緒にいるだけで注目されてしまう。

 ただそれとは明らかに違う、今日の視線に込められた異様な嫉妬の原因。

 

 みんなの柏木様を独り占め。


 俺の知らないところで、バッチリ恨みをかっていた。

 これが、ラブコメの主人公に降りかかった出来事なら、『ウケる、ご愁傷様』と軽く合掌する場面なのだが、今は引きった笑みを浮かべずにはいられない。俺に直接的な非はなくとも、結果的に星奈のクラスメイトの楽しみを奪ってしまった事に変わりはない。

 さっきは、パンダの気分だなんて上から目線でごめんなさい。

 今はサーカスのクマのようにサービス精神MAXだ。リクエストがあれば大玉に乗ったり、なんなら燃え盛る炎の輪をバイクでくぐり抜けてもいい。

 そして出来る事なら、そのままバイクで走り去りたい。どうも最近、現実逃避に走ってばかりな気がする。

 

 不意に星奈が立ち止まり、気付くのに遅れた俺は足を止めて振り返った。

 星奈は顔だけをそちらに向け、何かをじっと見つめているようだ。その青い瞳に、何とも言い難い不安めいたものを覚える。

 いつもより若干細められ、暗い影が差したような瞳。星奈の視線の先よりもそっちの方が気になってしまい、俺は彼女の心の内を探るように呼びかけていた。


「……星奈?」


は、私」


 呟かれた言葉に促されるように星奈の視線を辿り、を目にする。

 草地に点々と黒い染みを作るように咲く花。黒紫色をしたかね状の花が、お辞儀をするようにして咲いていた。


「黒い……花?」


 どういった意味で、あの黒い花を星奈自身と重ねているのか。

 もう一つ。なぜか黒い花を見た瞬間、俺の心臓がドクンっと大きく飛び跳ねた。

 

「あれは、クロユリです」


「クロユリ? ――!? あれが……」

 

 実物を見たのは初めてだ。だが、その名前なら聞き覚えがある。星奈へと視線を戻すのに合わせて、思い出が鮮明に浮かび上がってくる。


「名前にユリと付いていますが――」

 

 風が、星奈の銀髪をなびかせた。

 星奈の声が、記憶の中の少女の声を大きくする。

 続くセリフを打ち消そうとするかのように、心臓の音が速く、大きくなって頭に響く。


『ユリはユリでも、私はクロユリ』

 

「『いつも下を向いてばかりで、縁起の悪い嫌われ者』」

 

 そう言って、寂し気とも悲し気ともいえる笑みを湛えた、の少女の姿が星奈と重なった。


「!!!!!」




「……光太? 光太、待って下さいっ」


 星奈に呼び止められ、ハッと我に返った。知らず知らず、クロユリへと近付いていたようだ。

 未だ乱れ打つ鼓動を少しでもなだめるように、深呼吸をしてから星奈に振り向く。何も変わらない、いつもの風を装って。


「どうかした? 星奈」


「クロユリは、遠くから眺めた方が良いです。ちょっと臭いが……あれなので。近寄るのはハエくらいなものですよ」


 星奈は少し困ったような顔をして、ばつが悪そうに答えた。単に悪臭を嗅いでしまう事への配慮なのか、あるいは、あれは自分だと例えた手前、その臭いに嫌悪感を示される事への羞恥心からなのか。


「そうなの? だったら、星奈とは全然違うだろ」


 大股で星奈へと歩み寄った俺は、彼女の両肩を優しく掴むと、ゆっくりと顔を近付ける。


「へっ?! 光太? なにを……」


 その瞬間、悲鳴とも、奇声ともいえる声がそこかしこで響いた気がした。


「うん、俺は好きだな。星奈は、桃みたいな良い匂いがする。それに俺はハエか? 違うだろ?」


「あの……光太? そのように言ってくれるのは大変嬉しいのですが、その……人目がある所でこのような事はちょっと……」


「ん?」


 頬を上気させた星奈が伏し目がちに言葉を紡ぎ、顔を離した俺へとチラチラと視線を向けてくる。


(なにこの可愛い生き物! あっ!! ……)

 

 ようやくやらかした事に気付き、慌てて周囲を見回した。見る者の角度からしたら、俺が星奈にキスをしているように見えたかもしれない。

 もちろん、人前でそんな事をするほど俺のレベルは高くない。実際は、首の辺りをクンカクンカしていただけだ。何もやましい事はしていない。

 しかし、星奈のクラスメイトから寄せられるハエでも見るような目。本格的に防毒マスクを用意する必要がありそうだ。

 それからうちのクラスの奴ら、ニマニマした気持ち悪い笑みを今すぐ止めろ。

 今度こそ、誰に遠慮することなく、盛大に溜め息を吐き出した。

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