第25話 現実

『――さんって、姉妹とかいるの?』


『五つ上に、姉が……』


『そうなんだ。教室での落ち着いた雰囲気はお姉さんって感じなんだけど、ここで喋ってる時の無邪気というか、天真爛漫? な姿を見てると妹っぽいかなって思ってたんだよね。やっぱり妹だったか』


『ふふっ、それって、私が幼稚って言ってるのかな? 褒めてはないですよね?』


『えっ?! いや、そんなつもりじゃ……えっと、その……』


『冗談ですよ、冗談。で、どっちの私が好きですか?』


『へっ!? ななななっ、なになになにを、すっすすすえぇええええ?!』


『お姉さんタイプと妹タイプ、どっちのタイプの女性が好みかって意味ですよ?』


『あぁ……ははは。そういう意味……ですよね』


『顔、赤いけど、どうかした?』


『……別に』


『そうですか』





「光太? どうかしましたか?」 


「いや、ほんと空気が美味いなぁって」


「そうですね。それに静かで心が落ち着きます」


 リアルの思い出が脳内再生され、少しボーっとしていたようだ。隣に座る星奈が俺の顔を覗き込んでいた。

 

 あの昼休み以降、ちょっとした隙に元の世界での記憶がチラつく。

 新司に指摘されるまで自分では気付かなかったけど、ついつい溜め息をつく回数が増えていたようだ。

 心配してくれる新司には――もちろん本当の事を話すなんて出来るはずもなく――美亜の兄離れについての悩みだと、その時は誤魔化ごまかしておいた。

 そのやり取りの最中に視線を感じ、ちらりと横目で確認すると黒原さんだった。目が合った委員長は、見守るような優しい瞳で二度頷くと微笑みを浮かべた。どうやら彼女も気にかけてくれていたようだ。クラスメイト思いの、本当に良い委員長だ。


 そんな調子で二週間が過ぎ、今日は課外授業で登山に来ていた。登山といっても途中まではバスで上がり、そこから頂上を目指す程度のものだ。

 樹々と土の匂いに抱かれ、時に小鳥のさえずりに励まされ、薄っすらと汗をかきながら登る山道。体に覚える疲労感は心地よいとさえ思えるもので、学校前の坂のそれとは全くの別物だ。その先に待ち構えるものの違いを考えれば、当たり前といえば当たり前か。

 えんじ色のジャージに同色のウインドブレーカーを羽織り、各自履きなれた運動靴、それにリュックを背負って山肌に連なる。お天道様からは、さぞかしアリの行列のように見えた事だろう。

 

 そして現在、頂上手前にある自然公園で昼食兼自由時間。

 そこかしこに高山植物を目にすることが出来る自然に囲まれ、癒しの一時を過ごしている――はずなのだが。

 俺の心は落ち着くどころか、ぐるぐると渦を巻いていた。

 

 俺の左隣には星奈が座り、右隣りには新司が座っている。新司の隣には黒原さん、佐藤さん、中町さんといったうちの班員が、星奈の隣にはその班員が並んでいる。クラスの違う二班で、一つの輪を作って昼飯を食べていた。

 その一回り大きな輪を中心に、両クラスの生徒たちが、微妙な距離を空けて班ごとに陣取っている。 

 ――何なのこれ? 何でわざわざ密集してんの? いくらでも他に空いてるよ? せっかく空気の美味い場所に来てんのに、なんでわざわざ二酸化炭素濃度を高めようとしてんのさ。

 

 この状況を招いた張本人が星奈なのは間違いない。張本人といっても、本人からすればあずかり知らぬ事であり、これっぽっちも気に留めてなさそうだ。

 その星奈のクラスメイトは、改めて生で耳にした柏木様という統一された呼びかけ方から察するに、美亜同様の、おそらく崇拝に近い感情を抱いているのだろう。

 俺が星奈を呼び捨てにする度に、彼女のクラスメイトから視線で無言の抗議が飛んでくる。身の危険を感じ、一度だけ俺も柏木様って呼んでみたんだが、星奈が悲し気な表情をして俯いてしまった。

 直後に殺虫剤のごとき視線が俺に浴びせられた。害虫でも見るような目……あれは軽くトラウマだ。

 どうしろって言うんだ、マジで誰か教えてくれ。こいつら、気分はもう完全に親衛隊だろ。

 盛大に吐き出したい溜め息を、我が身を案じてぐっとこらえた。

  

 その一方で、俺のクラスメイトから寄せられる、98%のゲスな期待と2%の心配の眼差し。明らかに面白がっているうちの奴らに、天罰が下る事を願ってやまない。

 新司は空気を読んでか、俺よりも黒原さんたちに話題を振っている。その心遣いが、今は何よりもありがたい。

 それから、この状況を一早く察知して回避した八幡には手放しの賞賛を。ボッチ飯マイスターの称号は伊達じゃない。

 この敵意とゲスにまみれた視線に耐え続けられるほど、俺のメンタル強化ははかどっていない。せいぜい、絹ごしから木綿豆腐くらいになった程度だ。

 喉につかえそうになるチョココロネを牛乳で流し込み、そそくさと腰を上げた。


「ごちそうさま。食後の散歩にその辺ぶらぶらしてくるな」


「光太、少し待ってください。私もご一緒します」


 逃げ出そうとした俺に待ったをかけ、手早く昼食の後片付けをする星奈。同調するように動く双方のクラスメイトたち。

 思わず天を仰いでしまった俺の口から、諦観の呟きがこぼれ落ちる。


「ですよねー」

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