第20話 悪夢

 パッと広がった視界に、見慣れた天井が映り込んだ。カーテンを透過した陽差しが部屋の様子を浮かび上がらせている。

 目だけを左右に動かし、現状を確認出来たところで、もう一度、まぶたを閉じる。

 唐突に視界が遮断されるあの感覚。どうやら新司がバッドエンドを迎えたらしい。助かった――ゆっくりと肺を膨らませ、大きく息を吐き出した。

 電波時計に目を向けると、五月七日の火曜日、六時二十分を表示している。つまり――本日二度目の朝を迎えたわけだ。

 ゲーム上のセーブポイントだった、今朝からのやり直し。それは登校時の星奈との邂逅アクシデントに始まり、ついさっきの冤罪騒動までの濃密な一日が、奇麗さっぱり消去された事を意味する。


 ――まったく、やれやれだ。


 何はともあれ、新司を褒めてつかわそう。ナイスバッドエンド! グッジョブ!

 良いのか悪いのか、よくわからん表現だが、今回は助かったと感謝せずにはいられない。あのままでは社会的にだけでなく、生命的な意味での抹殺もありえた。柏木家が抱える噂の執事さんは、それはもう容赦ないらしいからな。


【男子高校生、ぷにっと肉まんで窒息死?!】

 

 自分の死後、恥ずかしい記事が新聞の片隅に掲載されるなんて想像するだけで恐ろしい。リアル世界ならネットで『色んな意味でかわいそうwww』などと草を生やされたりもするのだろう。

 それにしても――何を思って星奈はあんな事をしたのか。

 確かに星奈は、設定上、主人公キャラと攻略対象ヒロインキャラとの恋路を邪魔する存在だ。それが何故、俺にハニートラップを仕掛けてきたのか。

 考えのまとまらない頭で天井を見つめたまま、その視界に入るよう真っすぐ右手を伸ばす。仙桃の感触と大きさを思い出すかのように、無意識にわきわきと動く右手。

 急にパチリと照明が点けられた。


「えっ?! あれ? にぃに……もう起きてたの?」


 スイッチに手を置き、これぞ【きょとん】のお手本といった表情の美亜が立っていた。音もたてずにドアを開けて入るとか、どこで身に付けたのそのスキル。もしや、暗殺者アサシンクラスのサーヴァントなの?


「あぁ、ちょっと……いや、かなり恐ろしい夢を見てな。ちょうど目が覚めたところだ」


「そう……なんだ。何してんの? その手。誰かに助けでも求めてたの?」


 布団から右手だけを出して天井に伸ばす俺を見て、美亜が不思議そうに尋ねてきた。


「ん? あぁ、そんなとこかな」


「それってどんな夢だったの?」


 上体を起こした俺は、美亜の方へと体をくるりと回してベッドの縁に腰かけた。


「星奈か……んんっと、せなか……そう、暗い夜道を歩いていたら、急に背中から刺されたんだ。貫通した刃先が胸から飛び出してさ、かなりのホラーだったよ」


 夢として語るにしても、ありのままを話せるはずもない。星奈信者の美亜からしたら、星奈を冒涜するようなものだ。誤魔化すために強引に話を作ったが、これならありがちな夢だと思ってくれるだろう。


「うわぁー、誰から刺されたか見た? にぃに、その人から恨みでも買ってるんじゃないの?」


 妹よ、兄を侮るなかれ。俺は不自然に察しの悪い鈍感系でもなければ、肝心な時に難聴に陥るラノベの主人公でもない。むしろ、察しの良い空気の読める男だ。そんな俺が、他人から恨みなど抱かれるはずがない。

 授業中、机の上にドミノで壮大な仕掛けを作る俺をじっと見つめてくる、隣の関根さんの好意もしかり。

 毎朝、遅刻ギリギリで校門をすり抜ける俺を、慈愛の眼差しで見つめてくる風紀委員の御子柴さんの好意もまたしかりだ。

 伝えたいけれど伝えられない想いを、俺はきちんと察している。その想いは、青春の甘酸っぱい記憶として大切に胸にしまっておいてほしい。この世界が、ゲームだと知っている俺に恋愛なんてありえない。

 さて、妹よ。冤罪事件、もう無かった事になってはいるが、仕返しに少し揶揄からかってやるとしよう。


「犯人なら見たよ。犯人は……美亜、お前だ!」


 推理ドラマの名探偵の如く、美亜を指差しニヤリと笑う。


「へっ、美亜? 本当に美亜だったの?」


「あぁ、間違いなく美亜だったね。これでもかってくらい深く突き刺してきたぞ。それはもう抜けないくらい、ズブズブとな」


「!!!!! ふふっ。……そうなんだぁ、ふふふっ。まったく、仕方ないなぁ、にぃには」


 あれ? てっきり『美亜がそんな事するわけないじゃん!!』なんて顔を真っ赤にして怒るもんだとばかり思っていたのに。確かに頬は赤くしてるけど、何だ? ニマニマして……どうしてそんな生温かい目で俺を見てくるんだ?


「にぃに」


「……はい?」


「身内から背中を刺される夢は、その相手に依存しちゃってるっていう暗示なんだよねぇ。ちなみに刺された深さは依存度ね。で? にぃには美亜に、どのくらい深く刺されたって言ったっけ?」


 ぐっ、なん……だと? 意趣返しのつもりだったのに。ぐいぐいと顔を近付けてくる美亜は玩具オモチャを見つけた猫のような顔つきで、その瞳はサディスティックな三日月を描いている。


「貫通しちゃってたんだぁ。抜けないくらい、ズブズブにねぇ」


 くっ、殺せ……。その目には耐えられない。何だか背筋がゾクゾクして、このままでは俺の新たな一面が覚醒してしまいそうだ。


 ピッ! ピピピッ! ピピッ! ピピピッ! ピッ! ピピピッ!


 俺を闇落ちから救ってくれたのは、目覚まし時計のアラームだった。視線の呪縛を断ち切るように立ち上がり、恩人に感謝を捧げつつ、アラームをオフにした。


「あれ? そういえば、何で美亜は俺の部屋に来たんだ? 目覚ましが鳴る前にさ」


「ふぇ?! えっと、その、それはぁ……」


 美亜の態度が一変した。今度は悪戯をとがめられて、オロオロする猫のようになっている。 


「にっ、にぃにが、何か叫んだからびっくりして見に来たんだよ! きっと刺された時に寝言で叫んだんだよっ!」


「おっ、おう、そうか。そいつは、悪かったな」


「ふ、ふん、ほんとだよぉ。 ……にぃに、美亜に心配させた罰として、今日は学校まで送ること、わかった?」


「はい……」


「それじゃ、もう朝食の支度済んでるから下で待ってるね」


「わかった、なるべく急ぐよ」


 美亜が勝ち誇った笑みを浮かべて部屋を出て行った。

 よくもまあ、ころころと表情の変わる妹だ。勢いに負けて美亜と登校する事になってしまったが、やり直しの前も一緒に登校していた事から、それは元々の確定事項なんだろう。そして、星奈が待ち構えている事も。知ってさえいれば、同じ過ちを繰り返す事はない。

 黒執事さんとは無縁の、安心で健全な学校生活を構築するために、本日二度目の登校に挑むとしよう。

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