第18話 お姉さまが来た

「ゆっくりしていってね、星奈さん」


「ありがとうございます、珠子たまこおばさま」


「まぁまぁ、おばさまだなんて。星奈ちゃんがいるだけで、光太の部屋の空気が澄んでいくみたいだわ」


 凄いな、星奈なら腐海の浄化も楽勝でナウ〇カさんもびっくりだ。それより女の子の前で、俺の部屋の空気が澱んでいるような言い方やめてくれ。年頃の男の子は、デリケートで傷付きやすいんだぞ。


「もういいだろ? さっさと親父の手伝いに戻れよ、母さん」


「はいはい。ですって、お父さん」


「星奈ちゃん、良かったらうちで晩御飯食べてくか? 好きなもん握ってやるぜ?」


 厚焼き玉子のようにふんわりした母親の後ろから親父が顔を覗かせた。普段、思わず親方と呼んでしまいそうになるイカつい顔が、酢漬けにでもしたのか緩みきっている。その顔で店に出たら、お客さんが引くからな。


「親父もいたのかよ……あまり遅くなったら星奈の家の人が心配するだろ」


「連絡しておけば大丈夫ですよ。では、鉄火てっかおじさまのお言葉に甘えさせて頂いて――光太をお願いします。あとはお任せで」


 ちらりと俺に視線を向けた星奈が、そう言って親父に微笑んだ。


「えっ、俺?」


「あいよ、星奈ちゃんは通だねぇ。ちっとばかし早いが、明石ダコが良いの入ってんだ。任せときな」


「タコかよ。俺が捌かれて握られちゃうのかと思ったわ」


「何を馬鹿言ってやがんだ、お前は。美亜、光太が変な事しないように見張っておくんだぞ。息子が裁かれるような事にでもなったら、お天道様に顔向け出来ないからな」


 変な事って何だよ? そもそも下手な事したら、法に裁かれる前に黒執事さんに捌かれて一貫の終わりだからね。寿司ネタだけに。なんか旨いこと言った気がする。


「大丈夫、柏木先輩には指一本触れさせないから」


 美亜、格好良いセリフ言ってるんだけど、それは呆気なくやられちゃう噛ませ犬キャラのセリフだ。

 それにしても、家族の俺に対する扱いが酷い。俺の部屋のはずなのにアウェー感が半端ない。そもそもなぜ、俺の部屋に星奈がいるのか。

 

 廊下での魔女狩り騒動を抜け出して、校門で美亜と合流した。朝の件を聞きたくてウズウズしている様子の美亜だったが、星奈の前だと緊張するらしく話を切り出せなかったようだ。結局、沈黙を保ったまま家の前まで到着した。近くの学校を選んだ俺を褒めてやりたい。

 そこでさり気なく「じゃ、また明日な」と星奈に別れを告げてみたのだが、あたかも通い慣れた幼馴染の如く「お邪魔します」と玄関をくぐる星奈。

 なんとか星奈の進撃を阻止すべく頭をフル回転させるも、両親に来客を告げる嬉々とした美亜の姿に「いらっしゃいませ、お嬢様」と俺は溜め息混じりにピエロと化したのだった。兄として、妹の笑顔を守りたいが為に。


「それで? にぃには何で星奈おねぇ……えー、えふん、柏木先輩と仲良くなったの? その……お互いに名前を呼び捨てにしてるし……」

 

「美亜の事だって呼び捨てにしてるじゃないか」


「それとは違うでしょっ!」


 回想にふけっていたら美亜の事情聴取が始まってしまった。本来の目的を忘れていなかったらしい。

 それより美亜、えふんって咳払いのつもりなんだろうが無理やりすぎるだろ。


「にぃに?」


 表情は変わらないが、雰囲気的にクエスチョンマークを灯した星奈が言葉を挟んだ。


「あぁ、美亜は家だと俺をにぃにって呼ぶんだよ、愛情を込めてな」


「なっ……もぉおおっ、にぃにっ!」


 美亜が真っ赤な顔で睨みつけてきた。茹蛸だな。やはり俺の妹だ。


「では、私も」


「なんだ? 星奈も俺の事をにぃにって呼びたいのか?」


「違いますよ。美亜さんに私の事を星奈姉さんって呼んでほしいのです」


「「えっ?」」


 そこは、ねぇねじゃないんだ。なんだか子供向け番組に出てる歌のお姉さんみたいだな。

 美亜が困惑の眼差しで俺に助けを求めている。呼べば良いと思うよ。


「星奈がそう言うなら呼んでやれば? 柏木先輩、なんて呼ぶよりも親近感が湧いて良いだろ」


 俺の言葉に星奈がこくこくと頷いている。

 美亜は俯いて「でも……」とか「そんな……」とか何やらもにょもにょと呟いていた。


「私は、美亜ちゃんって呼んでも良いですか?」


「はっ、はい! あ、でも良ければなんですけど、美亜って呼び捨てでお願いしたいです。星奈ねぇさ……ん……ねぇ……さま。あのっ、星奈姉さまでも良いでしょうか?」


 どうにか美亜の中で折り合いを付けたのが星奈姉さまらしい。星奈お姉さまよりは一歩近づいた感じなんだろうか。ここは兄として助け船を出してやるとしよう。


「星奈、いきなり姉さん呼びは流石に恥ずかしいみたいだ。姉さまで勘弁してやってくれ。それに俺も、美亜が星奈姉さんなんて呼んでいたら、星奈と俺が結婚したみたいでこそばゆいからな」


「「!!!!!!!」」


「へっ?!」


 星奈と美亜の動きが完璧にシンクロした。二人が示し合わせたように同時に、ばっと俺へと顔を向けたのだ。それも二人とも、みるみる顔を真っ赤にするところまでシンクロしていた。


「いや、最後のは冗談だから……ね?」


 危ない、危ない。笑い話でなごませようとしたら、危うく不敬罪に問われるとこだった。美亜の星奈崇拝はまだしも、星奈を怒らせると俺の命に危険が及ぶ可能性があるからな。

 星奈は俺をジト目で見つめている。まだ幾分尖らせたままの口が、不満を訴えているのは明らかだ。軽はずみな言動には気を付けよう。

 美亜は緊張して喉が渇いたのか、小さな口でストローを咥えて一気にジュースを流し込んでいた。ズズッと、飲み物が空になったのを告げる音がした。


「飲み物のおかわり取ってきますね。にぃに、星奈姉さまに粗相しちゃダメだからねっ!」


「はいはい」


 呆れの感情を乗せた俺の返事が気に入らないのか、目力で念を押して美亜が部屋を出ていった。まったく、俺の信用度が低すぎて泣けてくる。

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