第17話 妄想

 ホームルームの時間となり、課外授業の班決めが始まった。事前に約束を取り付けていた黒原さんたちと合流する。


「早速だけど、リーダーを決めておいてもらっていいかしら?」


「黒原さんは委員長としての仕事があるから、他のメンバーからだよね?」


「そうなの、ごめんね。リーダーの人は事前に研修みたいな集まりがあるから、そのつもりでね。あ、私もそれには参加するから」


 そう言って、まだ班決めの終わっていないクラスメイトたちの方へと黒原さんは歩いていった。

 見た所、男子も女子も三人組は出来ているみたいだから、後は男女の組み合わせか。

 一番人気だったはずの黒原さんが、すでに俺たちと組んでしまっている。

 男性陣からの恨めし気な視線を感じるが、こういう時は早い者勝ちだろう。とりあえず郷田、呪詛代わりに唱えているお経をやめろ。

 周りの目が気になるお年頃の男性陣よりも、やはり積極性と行動力に優れる女性陣の方が先に動いた。どちらかから先に声を掛ければ、案外早く決まるものだ。

 ああいった所を見ると、女性の頼もしさというか、したたかさを感じずにはいられない。一組決まれば残りもすんなりと決まっていく。

 さて、こっちも話を進めるか。


「そんじゃ佐藤さん、中町さん、それと八幡。リーダーは任せてもらっていいかな?」


「えっ、いいの? うちらは――うん、いいよ。お願いね」


 顔を見合わせた三人が頷いて、快く了解してもらえた。次に新司へと顔を向け、視線を合わせて一つ頷く。


「光太、悪いね」


「いや、気にすんな。任せたぞ、新司」


「「「えっ」」」


 肩に置かれた手と、良い笑みを浮かべているだろう俺の顔を新司が唖然とした顔で交互に見る。


「えっ?! 僕がやるの?」


「やらないか? 新司は、この学校での思い出が俺らより一年分少ないからな。一つでも多く詰め込んでほしいんだ」


「光太……」


「勿論、必要な時は協力するからな。遠慮せず何でも言えよ」


「うんうん、片泰君、私たちも協力するよ」


「わかった。ありがとう、よろしくね」


 よしよし、計画通り新司をリーダーにする事が出来た。これでリーダー研修とやらで黒原さんと接する機会も増えるだろう。俺の絶妙なアシストを活かして好感度をゲットしてくれ。

 何だ? 何か前の方が騒がしいような――そちらの方へと目を向けると、ドアの付近で数人の女子生徒がしゃがみ込んで床を拭いているのが見えた。


「はい、それでふぁ、きょふのじゅぎょふご、りーだーのひとふぁ、きょふしつにのほってくらさい」


 無事? 班決めの終わったホームルームの時間は、クラス委員長である黒原さんの言葉で締められた。

 普通なら、鼻にティッシュペーパーを詰め込んだ状態で真面目な顔をしても締まらない。それがああも見事な造形美になるのだから、やはり美人は得と言える。




「そんじゃ新司、よろしくな」


「うん、任せといて。また明日」


 リーダー研修に参加する新司にエールを送り、教室を出る。

 学業から解放され自由の身となったはずだが、重力がおかしな事になってるんじゃないかと思うくらい体が重い。

 原因はわかっている。この後に待ち受ける美亜からの事情聴取だ。

 朝の反応からして、美亜の星奈に対する信用度に比べ、俺へのそれがミジンコ並みなのは疑う余地がない。それどころか、星奈への感情は崇拝と言い換えても良いものだろう。

 それなら星奈から説明してもらえば良いと考えそうなものだが、正直、火に油を注ぐ未来しか思い浮かばない。

 星奈は、どうも言葉を端折はしょるきらいがある。天才同士ならそれで理解しあえるのかもしれんが、俺たち凡人には伝わらない。その結果、今朝の天災を引き起こしてくれた。いや、人災と言うべきか。


「光太」


 不意に名前を呼ばれて振り向くと、開け放たれたドアの横で壁を背にした星奈が、顔だけをこちらに向けて佇んでいた。災害対策に集中しすぎて、どうやら星奈に気付かず通り過ぎてしまったようだ。


「すまん、星奈。先に来て待っててくれた……のか?」


 研ぎ澄まされた俺の危機察知能力が、星奈の口元を見逃さない。わずかながらも尖らせた唇は不機嫌さの表れだ。噂の執事さんにご登場頂くのは、何が何でもご遠慮願いたい。瞬間的に体温が上がり、冷たい汗が脇腹を伝う。

 ただ、身の危険を感じると同時に、それを遥かに上回る衝動にも駆られていた。


 あの唇――瑞々しいまでの透明感、包み込むような柔らかさと、プルンッといった弾力性を兼ね備えた質感はまるで……そう、桃餡の入った水まんじゅう。涌き出る地下水で冷やされた水まんじゅうを、器を満たす地下水ごと頂く。溶けるような食感、餡の程好い甘さが口いっぱいに広がり、冷たい喉越しが涼を感じさせてくれる逸品だ。

 目にしたら口に含まずにはいられない、そんな抗い難いほど魅惑的な少女の唇に、ついついちゅう視してしまっていた。


「こっ、光太、あの……なっ、何を……」


 焦りと戸惑いの混じった星奈の声で我に返ってみれば、間近に迫る星奈の顔。

 これで俺の手が壁につけられていようものなら、いわゆる、壁ドンというやつだ。勿論、隣の部屋がうるさくて壁をど突くといった本来の意味ではなく、イケメンのみに許されるあれだ。


「すまん、なんか引き寄せられてた」


「その割には……気付かれず、素通りされたのですが?」


 慌てて顔を離した俺に、星奈が不服そうに目を細めて見せた。


「いや、悪かったな。少し考え事をしていたんだ」


「傷付きました、傷付けられました、私は傷物です。もう売り物になりません」


「ちょっ、ちょっと星奈さん?! 何を言っているのかな?!」


 唐突に背中を向けた星奈が向き直ると、彼女の青い瞳から滴が零れ、ツツーっと頬を伝い落ちた。星奈が、両手で顔を覆い俯いた。


 あのぉ、今、目薬差しましたよね?


 いつの間にやら集まっていたギャラリーがざわめき立つ。どこからともなく沸き起こる執事コール。なに? この魔女狩りみたいな雰囲気は。俺が大魔法使いの称号を得るまで、まだ十年以上の猶予があるんだぞ? 

 おいおいおい、まずい、これはまずいだろ。このままでは本当に黒執事さんの暗躍不可避だ。明日の朝刊の紙面を賑わすのは決定的。見出しは、【男子高校生、ぷにっと肉まんで窒息死?】――こんな感じだろうか。

 とにかく急いでこの場を離れないと。そして、人気のない場所で全力で謝ろう。俺の土下座ほんきを見せてやる。


「星奈、美亜も待っているだろうから歩きながら釈明させてくれ」


「はっ! そうでした、義妹いもうとを待たせるわけにはいきません」


「えっ?」


「早く行きますよ、光太。将を射んとする者はってやつです」


「は? ……はい」


 顔を上げた星奈が、何事も無かったかのように歩き出した。いや、いつもと違う、あれは気合の入った顔とでも言うのだろうか。彫刻のように整った小鼻を若干膨らませ、ふんすっといった擬音語が背後に浮かんで見えるようだった。

 俺が付いて来ていない事に気付いた星奈が振り返り、頬を膨らませて急かしてくる。お嬢様の機嫌を損ねない内に追いついておかないと。

 ありがとう、美亜。よくわからんが、ここにはいない美亜に助けられたようだ。美亜の兄であった事に心から感謝し、より一層忠実に、これからも妹愛に生きる事を誓います。

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