第9話 絆の深い妹

「異界の民、そう、タカヤとやら。一部、正確性を欠くゆえ訂正しておこう」

「あ? 間違ってるってのかよ」

 奴が座る机のすぐ前の席を勧められ、後ろ向きに腰を下ろした。逃げようのない体勢で『ほれ』とオブラートにくるまれたゼリー(梅味)をよこされ、お互いもっちゃもっちゃ噛みながら対話するはめになった。


 胸元では美佐緒とのLINE通話がオンになっていて、美佐緒もこのやりとりを聞いている。場合によってはリアルタイムで助言をもらうつもりだった。美佐緒からはそれなりのレクチャーを受けているが、万一のヌケやモレだってあり得る。

「『蘇芳卿』アステリク本人は世に知られた通り肉体、精神体ともに消滅しこの世にない。肉体は今から二千と二百十八年前、精神は千と九百と四年前に消え去っておる。今この場に在る儂は単なる転生体、より正確な表現を期すなら転写体。『護界卿』としての自我が摩滅する直前の段階で、その一部を胎児の精神に写し取った、いわば複製よ。しかもそれを繰り返し幾度も行った残り滓じゃ。何を期待しておるか知らぬがそう大それた事は出来ぬよ」

「謙遜めかして面倒事から逃げようとしてねぇかジジイ? 転生前の三百年ちょいに加えて転生繰り返した千九百年、計二千二百年分の記憶と知識と技能、まるっと保持してやがんだろ。何をどう考えても『残り滓』なんてシロモンじゃねえよ。そもそもその転生? 転写? 自体、『護界卿』の中でもケタ外れに強ぇ魔力持ってねぇとできねぇ芸当って話じゃねえか」


 ファビアン、あるいはアステリクは咳払いをした。

「あー、そのゼリーじゃがこの前杏味が出てな。こちらも中々いけるが良ければどうじゃ?」

「話逸らしてんじゃねえぞジジイ」

 オレが用があるのは、その二千二百年分の自我と記憶と知識と技能だ。こいつの自己認識がファビアンだろうがアステリクだろうが関係ない。


「事情は今だいたい話した通りだ。時計塔の地下神殿で、女神やってるあんたの妹と話し合いたいと思ってる。バルバラ・アビアーティを呪縛から解放して、好きに生きられる状態でこの体に戻すために。それから、オレが元の世界に戻るために。あんたを見込んで力を借りたい」

 ジジイは杏味のゼリーを口に入れた。唇を閉じてもっちゃもっちゃと噛んで、ごくんと飲み込んだあと、小さく息をついた。

「アスタリアか……」

「造物主が放棄し崩壊に向かう世界を安定させるため、あんたの妹が身を捧げることを決めた。けど妹一人じゃ世界の全ては支えられないって分かって、兄貴のあんたが『護界卿』の仕組みを造って妹の負担を半分肩代わりした。そう聞いてるぜ。魔術はお手の物だから地下室の鍵開けは勿論、そのくらい絆の深かった妹なら、説得の手段とか何とか持ってそうなもんだと思ってよ」


 この辺の話は美佐緒にLINE通話で聞いたものだった。『澪底のアスタリア』では回想シーンもあり、身寄りのない兄妹が世界とお互いのため自らを犠牲にする流れが描かれていたらしい。美佐緒的には不満のある展開だったようで、『ファビアンくんのキャラとギャップ出したかったにしても、ちょっとお涙頂戴すぎかなぁ』とこぼしていたが。

「絆の深い妹、とな」

「そうそう。『護界卿』って精神体になって、生きた人間とは一切意思疎通できなくなるんだろ? 当然、生きてた間慣れ親しんだ楽しみともおさらばだ。そこまでしていいと思えるほど大事な妹だったなら……」


 オレの言葉が終わる前に、ジジイは口の端を吊り上げた。

「大事な妹。そうじゃの。まあ、端からはそう見えたかもしれんな。まして二千二百と十八年前ならば」

「違うってのかよ、アステ……」

「ファビアンじゃ」

 きっぱりと、ジジイは言った。


「当時の儂を知る者はもはや亡い。故にその名を名乗る意味もない」

「え? いやでもさ」

 他ならぬ妹、女神アスタリアがいるはずだ。

 だがジジイは頑なに首を横に振る。

「アスタリアはもううにおらぬよ。少なくとも、儂を兄と呼んだあのアスタリアは」

「それは……」

「女神といえど元は人。人の精神は永劫の時に耐えられぬ。同じく元が人である『護界卿』はその精神を三百年で摩耗させ代替わりするが、女神はたとえ自我が磨滅しきっても永久とわに一柱の神として在らねばならぬ」

 ふくくっ、と、含み笑いが響いた。


「今のアスタリアは、世界を維持する為の自動機構の様なもの。儂がどんな知恵を出したところで、」

 あの女神の眉毛一本動かせまいよ――

 言い放った口調にひどく投げやりなものを感じた。

「タカヤよ。あれに会いたいというなら止めはせぬし、どうしてもと申すなら助力もしてやるがな。得られる物は何もありはせぬよ。あれの中には何もない。定めに沿ってこの世界を動かすほかに、何の欲求も志向もない」

 ふいに、ジジイの白い手がオレの方に伸びてきた。

 身じろぎして避けるより早く、無理やりに口を開けさせられる。目を白黒させた瞬間、口の中にフルーティーな甘みが広がった。杏だ。

 口の中に杏ゼリーを強引に押し込まれてむせるオレに、顔色ひとつ変えずジジイは続けた。


「話し合い、と言うたがな、お主。話し合いは双方に意思と思考があってこそ成立する。片方がただただ決められた事柄を繰り返すだけなら、もう一方が何を言ったとてどこにも進まぬ。袋小路が待つばかりよ」

「経験談か?」

「千と三百八十二年前のな」


 杏ゼリーが口に入ったままだったので、オレの台詞は『ふぇいふぇんふぁんふぁ?』と聞こえたが、ジジイは百パーセント理解したらしかった。

「現世の時間で三日三晩不毛な対話を続けたが、結局アスタリアに呼吸を止められて終いよ。あれは物理世界には干渉できんが、それでも生者の命を奪うすべはある。あれが司る精神世界『概念域』に引きずり込まれ、強烈な精神干渉を受けてな」

 ふぅ、と息をつくジジイ。

「概念域での窒息に肉体が引きずられて、気づいたときには冷たい屍よ。当時の儂の体、齢六つの女児であったのじゃがなー。まーったく手加減なかったのー。いやほんと苦しかったわーあれ。せめてもーちょい楽な死に方したかったわー。長い転生人生で焼け死んだこともあるけどアレと同じくらいイヤだわ窒息死ー」

 絵ヅラを想像すると中々にエグい。女神が女児を窒息させるという意味でも、女児の中身が千歳近いジジイという意味でも。


 ようやく杏ゼリーを飲み込んだオレの眼を、ジジイは赤い瞳でひたと見つめた。

「実の兄への配慮も、幼い肉体への手心もなし。そのどちらでもない、そもこの世界の者ですらないお主への対応など分かり切っていようよ。それに」

 ふっと、その瞳がかげる。

「万に一つの確率で、お主がアスタリアとまともに意思疎通できたとしても、どの道」

「どの道?」

 五、六秒くらいの間を置いて、ジジイは首を横に振った。

「いや、気にするな。年のせいか似たようなことを繰り返す癖があってな」

 おい勘弁してくれ。見た目がガキのボケ老人とか笑えない。


「それで話を戻すが。ろくに対話できぬかもしれぬと承知で、それでも行く気かの? 女神アスタリアの元へ」

「バルバラを取り戻して解放する手が別にありそうなら、そりゃそっち選ぶけどさ。ないんだろ? そういうの。この世界トップクラスの賢者だろうあんたが『他にもっとマシな方法があるからそっちで手を打て』って言わないんだから」

 ジジイは目を細めただけで、答えなかった。

 オレはジジイの前の席から腰を上げた。


「悪かったな、あんたが女神の兄貴だってんで、ちょいと欲張って無理言った。元々は時計塔の地下の鍵だけ開けてもらえりゃそれでいいと思ってたんだ。せめてそこだけは何とかしてくれれば助かるんだが」

 ジジイがふーっと細く息を吐く。

「お主、人に物を頼むときは交換条件っちゅうもんを出すのが筋と承知しておるかの? それとも自分が正しいと思うことに邁進しておれば人は当然にひれ伏しどんな要求も聞くと無条件に信じ込んでおるくちか?」

「承知してるさ」

 オレは空中に指で円を描く。


「あんた今、土壌浄化の魔術陣の改良研究中なんだろ? 津波の塩害や火山灰で被害受けた土地に使うやつ」

 ジジイが軽く目を見開いた。

「後もうちょっとってとこまで来てるけど、完成にはアイオノ地方で採れる月晶石の粉末が必要。でも何の後ろ盾もねぇその転生体の身じゃとても手の出る値段じゃない。自分が『蘇芳卿』の転生体だって明かせば協力も資金もたんまり得られるだろうが、代わりに色々と面倒な手間が増えるんで避けたい。どうだ合ってるか?」

 ジジイは答えない。答えがないのが答えだとオレは勝手に解釈する。

 ちなみに美佐緒情報である。


「これはオレの手柄でも何でもねぇんだが、バルバラのパパンってば逆さに吊るして焚火で炙ってやりてぇくらいの金持ちでなあ。しかも目に入れても痛かねぇほどバルバラのこと可愛がってんだよ。ちょっと猫なで声出せば月晶石の一つや二つや五十個や百個デレデレ顔で買ってくれるだろうよ。どうだ? 悪ぃ取引じゃねえと思うけどなあ? オレもちったぁこの世界で苦しんでる連中の助けになれて気分いいしなあ?」

 たぶん今のオレ、少年漫画の第一話に出てくるゲス悪役みてぇな顔をしている。

 ジジイは眉根を寄せ気味にしてオレの話を聞いていた。小さな頭の中で脳みそが高速で回転しているのが何となくわかった。

 よしよし、実利を計算してやがるな、あと一歩。駄目押しにオレが口を開きかけたそのとき。


「それは、わしに何の益にもならんな」

「えっでもこの半年くらい熱心に取り組んでるって美佐、いやもっぱらの噂で」

「ならんよ」

 きっぱり言い切るジジイ。

「いや、もっと正確に言おうか。お主の言うその研究は。無駄でしかない。よってお主の提案に乗る益も儂にはない」

「へ? だって……」

 な、なんて当てにならないんだ美佐緒情報。


「だが、今ので少し気が変わった」

 ふくくっ、と、ジジイはそこで笑った。

「次の満月までには呪具を都合してやろう。二、三日もあれば加工には充分ゆえ取りに来い」

「えっ……」

 益にならない、無駄だ、っつったじゃねえかたった今。そこから何でその反応に繋がる?

「うっさんくせぇ……」

「自分から協力せいと言うておいて何言うとる」

 いやそりゃそうだけどよ。

 ジジイはまだ笑っていた。オレはその笑みに、背中と服の隙間に氷水を垂らされたような気分になった。

 何かがおかしい。捨て鉢なような、やけっぱちのような。焼野原になった自分の故郷を前に、高く調子はずれの笑い声をひたすら上げているような。

「やれるだけのことを思う存分やってみよ、イエナガ・タカヤ。その上で『   』のであれば、黙して静かに受け入れるより遥かに生きた甲斐があろう」

 言葉の一部が聞き取れなかった。

 何が言いたい。そう問い詰める意味をこめて睨むが、ジジイは答えず机から飛び降りる。これも何かの魔術なのか、音さえ立てずに床へと着地する。

 答える気ゼロかよ、くそ。


『兄貴、ファビアンくんは……』

 と、そこに胸元のスマホから声がした。LINE通話でここまでのやりとりを聞いていた美佐緒だった。

「いったんここは引き下がるぞ美佐緒。何かすげぇうさんくせぇけど、まぁ最低限の頼みは聞いてもらえたからな。ここでゴネて『じゃあ協力もしません』なんて言われちゃ何もかもパァだ」

『でも……』


 ジジイが眉根を寄せたのはそのときだった。

「タカヤよ。誰と話している? 今儂の名を呼んだな」

「あ、悪ぃ、こいつは美佐緒っつって、……あっ」

 『儂の名』と、確かに言った。今ファビアンの名を口にしたのは美佐緒であってオレじゃない。

 ジジイには美佐緒の声が聴こえるのか。アレクシオスにもジーナちゃんにも聴こえなかったのに。魔力の値が関係しているのか、それとも他に何か条件があるのか分からないが。


「兄貴、と呼んでおったな。お主の妹かタカヤ。この世界におるのではないな?」

『い、家永美佐緒です。スマホ、えっとこの魔術的な道具を通して兄貴と通信してます』

 じゃっかん上ずり気味の声で美佐緒が言った。こいつ推しと喋れて舞い上がってやがるな。

「まぁ興味あるなら近いうちいくらでも話させてやるよ。それこそさっき言ってた呪具受け取るときにでも。今日はオレこの後行くとこがあるからこの辺で……」

『兄貴』

 と、美佐緒が割り込んだ。


『ごめん。ちょっとの間ファビアンくんと話させてくれる? 二人きりで』

「へ? いやでもそろそろ行かねぇと夜までに寮に戻って来れな……」

『ファビアンくんにスマホ渡して行けばいいじゃない。大丈夫、あの人に会って話すだけでしょ。そのくらいなら私のナビなしでも平気平気』

「お前、そんな軽く……」

『お願い。二人で話させて』

 妙にきっぱりした口調でそう言い切られた。


 ああ妹よそんなに推しと一対一で話したいか。兄貴のアドバイザーの役割を放棄してでも。いや分かるけど。特に仲よくもなかった兄と二次元の推しならそりゃ二次元の推しだろうけど。

 はあ、切ない。


 ジジイにスマホを渡したオレの顔は相当ショボくれていたらしい。『これでも食うて気張るが良い』と、黒飴もどきを袋ごと押しつけられてしまった。

 まあ、仕方ない。この用事を済ませて戻ってくるだけなら、美佐緒の助けは確かに要らない。

 これから会いに行く人間の信頼を、オレという人間がどれだけ得られるか。ただそれだけの話で、そして、それが全てだ。

 黒飴もどきのべたつく甘さを感じながら、オレは表情を引き締めた。

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