第8話 『護界卿』
「フッ、ようやく理解したかバルバラ・アビアーティ。このアレクシオス・サマラスの物となるのが最大の幸福であることに」
「舞踏会の誘いにイエスっつっただけでそのポジティブシンキング、一周回っていっそ羨ましいわ」
キャンパスのベンチで長い脚を組んだ男は、サラッサラの黒髪に紫紺の瞳。『護界卿』になったら肉体は消滅する運命だが、『在りし日のその双瞳の色にちなんで』
前置きはさておき、『澪底のアスタリア』のメインヒーロー、アレクシオスである。
小テストから解放された美佐緒と話し合った結果、まずはこいつが主催する舞踏会に出ようという話になった。
以下、ゆうべ交わされたLINE通話より。
『世界の在り方だの法則に関する話なら、今の「護界卿」か女神アスタリアの管轄だろ? 何とかして直接話できねーかな?』
『兄貴、また無茶苦茶を……まあゲームでもルートによってはジーナがやる事だし、不可能じゃないけどさ』
『どっちと話すのがいいと思う? ってか、どっちが与しやすい?』
『今の護界卿……「
「あー、
『そ。アレクシオス攻略の真ルートと、世界の成り立ちが明かされる神官ルート』
前者はアレクシオスの舞踏会の招待に乗り、そこで一定の行動を取ることで開放。後者は第二学年中期の進路選択で隠し進路『神官』を選び、全攻略対象との親密度を八十パーセント以上にすることで開放(だったと思う、との美佐緒の弁。さすがに記憶に自信のないとこも多いらしい)。
『アスタリアと何を話すの? バルバラのこと? あとは、こっちに戻って来る方法とか?』
『それで解決するかはわかんねーよ。でも現状ほかに手がかりもなさそうだろ』
ディスプレイの向こうで『そうだねぇ』と美佐緒が唸るのが聞こえた。ビデオ通話じゃないから顔は見えない。ただ響いた声の調子に、オレはまだこいつが幼稚園児だった頃のことを思い出していた。
年中か年長か、そのくらい。バラエティで見たのかはたまたアニメか。きっかけは分からないがとにかくガキの頃の妹の中で『そうだねぇ』がマイブームだった頃が確かにあったのだ。じゃっかん上を向き、首を軽くかしげるようにして、息を吐きながら『そうだねぇ』。小さな体と大人びたしぐさのギャップが、当時小学生だったオレの記憶にもはっきり刻まれた。
『言っとくけど、兄貴、リスクはゼロじゃないよ。アスタリアに禁忌を犯したって言われて暗転バッドエンドルートもあったはずだし』
『あ、暗転……』
ひょっとしなくても死んでるよなそれ。主人公が。つまりジーナちゃんが。
『それでなくてもアレクシオス真ルートもアスタリア神官ルートも難易度高くて、本来ゲーム何周もして山ほどフラグ立てないと選べないんだよ。兄貴今まで好き勝手にやってきてその辺放置でしょ。フラグなしで無理やり時計塔の地下祭壇に突っ込んだらどうなるか』
グウの音も出ない。
『じゃあ今からその……アレクシオス真ルートか神官ルート目指すってのは?』
『それも厳しいかな。アレクシオス真ルートは第一学年後期のうちに第二学年の生徒会役員に内定してなきゃだったと思う。でももう第二学年始まっちゃってるでしょ? で、神官ルートは魔術実技も含めて全部の教科でAプラス評価取らなきゃなんだけど』
乾いた笑いが出た。この半年間、いかにしてジーナちゃんと勉強会という名のお茶会の約束をとりつけ絆を深めるかだけに腐心していたオレである。教科の評価なんざいちいち確認するまでもない。
『その、兄貴。私としては、兄貴がこっち帰るって言ってくれるのは助かるんだよ……あれからずっと父さん母さん沈んでて家が暗いけど、兄貴が帰ってきたらきっとちょっとはマシになるし……でもさ、何もそこまで焦らなくてもっていうか。もっと時間をかけて、じっくり、確実に……』
『そういうわけにもいかねぇよ』
首を横に振った。ビデオ通話じゃないのは分かってても体が動いた。
『オレがこの体で過ごした時間のぶんだけ、バルバラの人生の時間が減る。それもただの時間じゃない、十七歳の女の子の貴重な時間だ。――アレクシオスの舞踏会に参加すりゃ、時計塔には入れるんだったな?』
そんな会話を経てオレは今、この紫の眼の勘違い野郎の前に仁王立ちしている。
「テメーのもんになってやる気は欠片もないが」
冬の北風にもてあそばれる前髪を、アレクシオスはベンチに座り片手で撫でつけていた。そのアレクシオスに向かいオレは言い放った。
「次の満月、年末の舞踏会には顔出してやるよ。会場は時計塔のホールだったな、せいぜい手厚くもてなしな。ちなみにオレの好物は豚骨ラーメンと唐揚げだからよろしく」
「これまでことごとく俺の誘いを断り続けてきて、一体どんな風の吹き回しかと思ったが。気位の高さは相変わらずで安心したぞ。それでこそ、俺の物にする価値があるというものだ」
クックックッとアレクシオスは笑った。美形は美形だが、どこか捻じくれた性根を感じさせる笑いだった。こんなんがメインヒーローなのかよ『澪アス』、制作者性癖歪みすぎだろ。いやもしかして、オレが知らないだけで世に乙女ゲーファンはこんなのが好みなのか?
そう思ったところで、奴の笑いが止んだ。
「まさかとは思うが、聞いているのか?」
「何をだよ」
目的語ははっきり言え、お前はオレんちの親父か。親父はもう五十過ぎだからどうしようもないがお前はまだ十代だろう。そんな思いを込め一睨みくれてやると『そうだな、お前は聞いていないだろうな』と頷かれた。
「たとえ聞いていたとしても、そんな理由で己の意思を曲げるお前ではない。だからこそ、俺はお前に興味を持った」
「いやだから『聞いた』は何にかかってんだって尋ねてんだけど」
アレクシオスは小さく息を吸い、それから吐き、何秒か置いてから言った。
「
沈黙が流れた。
当代の『護界卿』、常磐卿の精神体が、最後の残滓に至るまで消滅したとき、次代の護界卿が必要になる。すなわち、
常磐卿の寿命が迫っている。それはつまり、目の前にいるこの野郎が肉体を失い、あらゆる現世の物理的な愉しみに別れを告げ、これまで身近に接してきた人たちとも別れ、世界の『現実域』の安定のため全てを捧げる日が間近ということだ。
いや、オレも詳しくは知らないが……
組んだ膝の上で両手を重ね、アレクシオスがオレの目を見つめた。オレが見返すと、いったん一直線になった口の端がきゅっと持ち上がった。
「次の満月、楽しみにしている」
「……おう」
オレの声音が低かったのは、きっと喉の調子のせいだろう。
時計塔の地下祭壇に行くには、満月の夜にアレクシオスの舞踏会の招待を受けるだけでは足りない。地下室への扉は強力な魔術、それも『常磐卿』の力で施錠されており、アレクシオス真ルートでもアスタリア神官ルートでも、それぞれの方法でこの鍵を何とかする必要がある。
アレクシオス真ルートでは、アレクシオスが鍵を開ける。神官ルートでは、とある人物に開錠用の呪具を託される。どちらが現実的かは美佐緒と話し合った。
『アレクシオスの協力をあおぐのはやめたほうがいいと思う』
『珍しく意見が合うじゃねーか美佐緒』
『兄貴は単に、あの手のスカしたイケメンが気に喰わないからでしょ。私の理由は別』
アレクシオスに協力を求める場合、事情を伏せるパターンと明かすパターン、二つの場合が考えられる。伏せる場合、そもそもどんな理屈で協力を得られるよう説得するのかという根本的な問題があり、明かしたら明かしたでまず巧くは運ばないだろうと美佐緒は言った。
『そもそも、兄貴の利害とアレクシオスの利害は衝突するのよ』
『衝突?』
『兄貴、アレクシオスに執着されてるでしょ? 少なくとも「俺の物になれ」って言われて舞踏会に割と強引に招待されるくらいには。あくまでバルバラじゃなく、兄貴がよ。でも、兄貴はバルバラの意識を戻して自分は元の世界に帰るつもり』
『ああ』
アレクシオスは、オレの意識が入る前のバルバラには全くの無関心だったという。確かに、オレが
『事情なんか話したら、協力どころかむしろ邪魔しにかかるんじゃない? あの性格からいっても。それでなくても次期「護界卿」って立場は女神アスタリア寄りだよ。近い将来の同僚、ううん上司? みたいなものなんだから。もしアスタリアが兄貴の要求突っぱねたり、それどころか怒って何かしようとしてくるなら、やっぱりアレクシオスの利害は兄貴と対立する可能性が大』
『んんー……』
『だから』
頼るなら『もう一人の方』を勧める。美佐緒はそう言った。
『大丈夫。こっちの人は事情話せばちゃんと分かってくれると思う。もちろん話し方に細心の注意は必要だけど。知識面でも能力面でも頼れる人。それに、すっごく』
美佐緒の声にここで熱が入った。
『かわいい!』
美佐緒の戯言は、まあ置いておいて。
オレが空き教室に呼び出したそいつは、本と菓子でパンパンのバッグを膝上に乗せ、机の一つに腰を掛けて待っていた。オレが『よぉ』と声をかけると無邪気な――無邪気に見える笑顔を浮かべた。
「バルバラお姉ちゃん、五分と三十七秒の遅刻だよ」
「その三十七秒ってのはどこを基準に言ってんだ? まぁ何にせよ来てくれたのは助かるぜ、ファビアン。いや」
オレは腕を組んだ。机に座ってるせいで
「女神アスタリアの血を分けた兄にして、初代『護界卿』――『
銀の眉毛がぴくり、と震えた。
ゲームでは全ルート中最高難度を誇る、アスタリア神官ルートでのみ明かされるというこいつの正体。神官ルートの解放条件には『ファビアンとの親密度(隠しパラメータ)一定以上』が含まれているので、ずかずか踏み込んで正体を明かしても怒りを買うことはない、という。
が、オレは特にこれまで、こいつと絆を深めたりは一切していない。ガキだと思って他のイケメン攻略対象どもほど邪険には扱わなかったがその程度だ。
さあ、どう出る、『蘇芳卿』。
ゆっくりと、時が流れる。やがて美少年の薔薇色の唇から、ふーっ、と細い息が漏れた。
「その名で呼ばれるのは、五百三十二年……いや八百六十九年ぶりであろうかな」
奴は膝上のバッグを脇の椅子にひょいとのけ、その上に置いていた手でオレを招いた。
「どれ、そこに座れ。儂もお主とはいずれ話をするのも一興と思うておった――バルバラ・アビアーティの身に宿りし異界の民よ」
赤い瞳から純真無垢の光が消えていた。向けられる視線は確かに十やそこらの子供ではなく、長い時を過ごしてきた老人のものだった。
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