第18話 約束だからね
『兄貴!』
現実領域に戻ったオレを、LINE通話の美佐緒の声が出迎えた。
棺上の女神像に立てかけられたスマホを手に取る。ディスプレイの向こうで涙を浮かべた美佐緒が眉を吊り上げている。こうして見ると改めて美少女だなオレの妹。関係ないけど。
『いきなり何ボケかまして気絶してんの馬鹿っ! そのくせ助けに行ったファビアンくんより早く帰ってきて、何やってんのほんっと何やってんの馬鹿っ馬鹿っトンチキ! どこも痛いところない!? 気分変じゃない!? 苦しかったりしない!?』
「頭のてっぺんから爪先まで丸ごと無事だから心配いらねーよ妹殿。……心配かけたな、悪い」
ちょっと前までロクに会話もなく、否応なしに協力させられるはめになった後もさんざん自分を振り回してくれる兄貴をこれだけ心配してくれる。
うん、改めて良い子だなオレの妹。これも関係ないけど。
「アステリク……ファビアンは、たぶん、まだしばらくかかる。ただ心配はしないで良い。兄妹で千年超える分の積もる話してるだけだから」
『アスタリアと話してるの?』
「なんだかんだで、雨降って地固まるんじゃねえの。まぁ、オレがそう思ったってだけだけど」
概念域から抜け出す直前、確かに、女神の中に人間の少女を見た。
きっと悪い結果には終わらないだろう。そう思う。いや信じる。
「まぁ、話し合いにかかる時間は女神基準かもな。残りの用事が終わるまで目が覚めないなら、この若作りジジイは背負って連れて帰ってやるよ」
『残りの用事? アスタリアには……』
「大体の要求は呑んでもらえる、とは思うんだが」
というより、全てはオレ次第になった、という方が近い。これに関しては美佐緒の協力も必須だが、詳しくは後で話すとして。
「一つ、オレが自分でやらなきゃなんねーことがまだ残ってんだよ。最後の、それから一番大事なことが」
言いながら、ドレスの懐に手を突っ込んだ。
取り出したのは、概念域で叩き割った、緑に輝く呪具の宝石。現実域では傷一つなく懐におさまっている。ただ違うのは、放つ緑光がひときわ強く、断続的になっていること。それから。
「目覚めたさきから、頭の中がうるっさくってしょうがねえんだよ。バルバラ・アビアーティはここにいる、ってな!」
輝く緑の宝石をきつく握りしめると、宝石の表面がぐにゃり、と歪んだ。
形が変化する。まずは長く伸びて棒のように。棒の先端が横に膨れ上がって、無骨な刃のように。
最終的に仕上がった形態を見て、思わず吹き出さずにはいられなかった。
「金太郎のマサカリかよ」
絵本で見たのとの違いは、宝石と同じく緑の光を断続的に放ち続けていることだけだ。
「この手のシーンじゃ絵になる剣とかが相場だろうに、実用性全振りだな、全っ然カッコ良くねぇ。まぁ助かるけどよこの際」
緑に輝くマサカリの柄をひっつかむ。重みまでもズシリと増していて、バルバラの体の片手じゃ無理だった。両手で構えてふりかぶり、頑強な刃を振り下ろす。
棺の上でアルカイックに微笑む、女神の彫像の頭めがけて。
『ちょっ兄貴!? 何やって……』
「『
『いやどう見ても私怨入って、って、ああっああぁそんな、あんまり、ひど、こ、この、バチ当たりーーーーーーー!』
がずん、がずんと振り下ろすこと数回、ついに女神の首が無残に落ちる。荒々しい石の割れ目を晒しながらごろんと床に転がる。
いやー、気持ちいい。さっきまでクソみたいな目に遭わしてくれてた女神様の首斬りおとすの、最っ高のストレス解消。
なんなら胴もいっとくか、とまたマサカリを振りかぶったとき、女神の首から水がほとばしった。毎日決まった時間になると凝った形のショーを展開する、観光地の芸術噴水みたいだった。
水は見る間に量を増やし、足首、膝、太ももと水位を上げていく。さっきアスタリアに概念域に引きずり込まれたときに似ているが……
『兄貴、水! 水! スマホ上に上げて濡れる!』
「えっこの水お前にも見えるのかよ」
ってことはさっきと違って実体かこれ。
さすがに逃げるべきかと扉に目をやったところで、水位の上昇が止まった。ギリギリ尻が浸かりきるくらい、棺の上のスマホもなんとか無事な高さだ。
さて、この後どうしろっていうんだ、『常磐卿』。
オレの思考に反応したのかどうなのか、緑のマサカリがまた輝き、形を変えだす。ぐにゃりと歪んでまたあの宝石の形状に戻り、そして。
「うわっ!?」
握った手から逃れるように、浮き上がって一筋の光を放つ。
光の先は長く長く伸びて、女神の首から湧いて溜まった水の中へ。
『兄貴……これって』
「うん、間違いなく、アレだな」
緑の光は本来あるべき床を突き抜け、澄み切った水を刺し貫いて、存在しないはずの深い深い深淵を照らしていた。何かへの道を示すように。
『ラピュタで見たやつ……』
「言わないようにしてたのにあっさり名前出しやがったよこいつは』
ラピュタの飛行石は、問答無用で潜水強要したりしなかったけどな。当代の『護国卿』さまときたら中々の無茶振りだ。
『えっもしかして行く気?! ちょっと待て兄貴頭その水につけて考え直せ。兄貴の技量じゃ風魔術は酸素ボンベ代わりにはならないぞ!』
「ここで放り出すとかカッコ悪すぎるだろ。一応高二の水泳で七百メートル泳いだ記録あるしオレ」
『プールでの記録持ち込むな! どう見ても海女とかそっち系のスキルいるやつでしょこれ!」
確かに、光の先に見える深淵はまるで果てが見えない。合わせ鏡の中の世界みたいに、延々と続いているように見える。富士山麓の雪溶け水かってくらい透明度が高いおかげで、なまじ先の先まで見通せるもんだからよけい怖い。どれだけ息継ぎせずに潜らなきゃならないのか見当もつかない。
とりあえず、ドレスは脱がなきゃならないだろう。
着るには介添えがいるドレスだが、脱ぐぶんには背を留める紐さえ解いてしまえば楽だった。下から現れた肌着は白。体の線にゆるやかに沿う、オレらの世界基準では下着よりワンピースに近い代物だ。歴史の資料集でナポレオンの女房が着てたシュミーズ・ドレスにも似ている。ただ丈は膝あたりまでとちょいと短かかった。
『兄貴、兄貴。思い出してよ。約束したじゃない』
ドレスを脱ぎ捨てたところで、美佐緒が訴えた。
『思いこむな、決め打つな、思い込みで動く前にまず色んな選択肢を考えろって。言ったじゃない』
眉間に皺が寄るのを感じた。
「悪い。そうだな、美佐緒」
そうだった。
こいつを安心させてやるために、できる限りのことをしようと決めたはずだった。
ここで闇雲に水底に潜れば、美佐緒への誓いを裏切ることになる。
だが。
光を放ち続ける宝石に目をやった。緑の石は答えるどころか音も立てず、静かに浮いているばかりだった。それでも、直感のようにわかった。
この程度のことも乗り越えられない者に、この世界の未来は任せられない。そう言っているんだと。
オレはこめかみに指を当てた。
妹を泣かせることなく、課せられた試練を乗り越える方法がどこかにあるなら、それを選び取りたいと思った。
無言のうちに時間が流れた。一分、二分。もしかしたらもっと。
長い沈黙は、ゆるゆると美佐緒が吐いた息で中断した。
『……なんて、ね』
「美佐緒?」
『ごめん兄貴、ちょっと意地悪した。困らせるつもりはなかったの。思い出して、私のこと考えて、ちょっとでも立ち止まってくれれば、それで充分。なりふり構わず一本気に最後までやり通せるの、間違いなく兄貴の短所だけど、長所、ううん天分でもあるって知ってるから。それで、今はその天分が必要なところ。きっとね』
オレも息をついた。
緑の宝石がひときわ強く何度も明滅した。早くしろと急かしているのか、それとも。
画面の中の美佐緒をまた覗き込む。
『充分だよ、充分。でも、ね。その代わりさ』
穏やかな口調に反して、美佐緒はキレイな顔を紅潮させていた。見られるのを恥じるように静かに面を伏せる。泣きはらした目をふちどるまつげが影ごと揺れ、長い長いため息が小さい唇から漏れた。
『……死なないでよ、兄貴』
「死なねーよ」
『これも約束だからね』
「約束するよ」
ああ、こんな会話は昔もした。母親のいない暗い部屋で泣きじゃくる美佐緒。
――おにいちゃんみさおさきにねたらおいていかない? だいじょうぶ?
――だいじょうぶだよ。いっしょにいるよ。
――やくそく、だからね?
――やくそく、するよ。
あれから十年。いや、それ以上。
どっちも背丈は伸びきって、あの頃のように純粋な情だけで寄り添うなんてできない。それでもいま美佐緒はあの頃のように、目に涙を溜めてオレを見ている。
柔らかい頬を両手で包み込んでやれないのが歯がゆい。
それでも。
息を深く吸い、止めた。ありったけ勢いをつけ、光が指し示す水底めざして、潜った。
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