第13話 凍てついた女神

 ルーカ・アビアーティは時計塔の地下へ続く階段にたたずんでいた。

 ほどなく、バルバラの体を借りた少年(青年?)が来る手はずである。確か、イエナガ・タカヤとやらいう名の。

 ――あんたの義妹を助ける方法、オレがきっと捜し出す。

 ――そのために、女神アスタリアと話がしたい。

 ――あんたにも、できれば手伝ってほしい。


 なるほどそうと知って相対してみれば、イエナガ・タカヤの面持ちは彼の義妹とはまるで違った。義妹には実際の目線の位置にかかわらず少し見下ろすような目つきをする癖があった。対してタカヤは真っ直ぐに相手を見る。相手の懐にナイフを突き込むように。

 ルーカはそのとき首を縦に振らなかった。かといって横にも振らなかった。未だ迷いと躊躇ためらいが残っていた。

 もし、義妹が死を選んだことが、そして未だその精神が還ってきていないことが、かつて自分が義妹に向けた憎悪への罰ならば、自分がタカヤとともに女神に立つことはマイナスにしかならないのではないか。

 こうして祭壇へと続く階段に立っていてさえ、呪詛にも似た声が響いてくる。お前に義妹を救う資格はないと。


 奥歯をきつく噛んで、もう何度目かの声を振り払う。タカヤに手を貸すと決めたはずだった。

 両の手のひらに指の爪を突き立てたとき、ふいに頭上に強い気配を感じた。

「ルーカ! 待たせて悪かったルーカ!」

「タカヤ……」

 手を振りながら階段を駆け下りてくるのは、ライトブルーのドレスに身を包んだ義妹――の体を借りた男。

 そして。


「タカヤ! 何をやってる!」

「何って」

「後ろだ!」

 叫んだ瞬間、ヒュッと風を切る音がした。

 タカヤが首を曲げ振り向いた瞬間、背後から緑色の鞭が激しくしなった。鞭は彼の手首に巻きつき、その身を大きく持ち上げた。


「なんっ……」

「動くな、タカヤ!」

 ルーカは吠えた。指の先を鳴らすのと同時だった。

 空気が収束し、鋭利な刃と化した。不可視の、だが術者のルーカにははっきり見える風の刃は、緑の鞭を難なく切り裂き吊るしあげられたタカヤを解放した。ぼとりと段の上に落ちた鞭は、葉を幾枚も生やしたつただった。

 植物を操る土魔術だ。


 階段から滑り落ちかけるタカヤを支え、また叫ぶ。

「ひいふう……五人か! もったいぶらずに全員出て来い!」

「へっ?」

 タカヤが素っ頓狂な声を上げる。ルーカが眉を吊り上げて睨む。

「尾行だ。どこからかは知らないが、風魔術で足音を消してお前を追ってきたんだ。逃げづらい袋小路、つまり地下しか逃げ場のないこの階段に追いつめて捕らえる気だったわけだ。……補習が十時間ばかり必要そうだな? タカヤ」

「に、睨まないでくれよぉ……」


 階段の上に人影が現れる。二人。ルーカの見立てに三人足りないが、読み違えではない自信がある。学園アカデミアで教鞭をとるほどの風魔術の使い手として、ルーカは空気の流れを感知するすべも心得ていた。間違いなく追っ手は五人だ。

「先に行け、タカヤ」

「へっ」

 小さな火球が飛んできた。ルーカはこれも風の刃で斬り飛ばした。


「二度も同じ指示は出さないぞ、これは授業ではないからな」

「それっていわゆる『ここは俺が食い止める』……」

「そんな聞こえのいいものじゃない」

 この世界に来てたった半年。しかも借り物でしかない義妹の魔術を、さして真面目にも受けていない授業を元に見よう見真似で使うのみ。この場にとどまられても邪魔なだけだ。


「あとで来るよな?! 絶対来るよな!?」

「さあな! 場合によっては死ぬ!」

「うわ正直っ!」

 それでも強請ごねず階段を駆け下りていく。素直さは彼の数少ない長所かもしれない。

 踊り場を経て折れ曲がる階段の先に、義妹の体を借りた男が消える。また火球が飛んできて、今度は反応が遅れたルーカの赤毛の先と頬を一部焦がす。


 口の端が吊り上がるのを感じた。

 自分はぐだぐだと考えるより、この方が性に合っているかもしれない。

 ――目の前にある障害をただ越えていけばいい。

 ――それが義妹バルバラのためになると信じて。


「五対一か。まあ丁度いい人数だ」

 小さく笑う。

「教師なんてやってると、なかなか新しい術式を試す機会がないからな。この際だ、実験台になってもらうぞ」

 パチン、と指を鳴らす。空気が音を立てて渦を巻きだす。

 自分の罪も、それに対する罰も、そのいずれも誤りだった場合の行動も全て、これを乗り越えてから考えればいいと、そう思った。




 何層も階段を駆け下りた先に、巨大な扉がそびえていた。

 高さはオレバルバラを三人縦に並べてもなお余りそうで、横幅もたぶん両腕をめいっぱい広げたオレバルバラ二人分を超える。中央には六芒星に近い形の、だがやたらに書き込みが多く複雑な魔術陣――魔術の発動工程を視覚化した図が金で象嵌されている。

 なのに重苦しい印象が欠片もないのは、扉全体が透き通るような緑の光を放っているからだった。ガラスのようで水晶のようで、エメラルドのようで新緑の季節の月光を受けたダイヤモンドのようで、なのに前述四つのどれでもない。周囲の壁は時計塔の他の場所と同じ沈んだ色の切り石で、落差がよけいに目の前の光景を奇妙に見せた。


『ゲームだと、「常磐卿」の力で守られてるって言われてたけど』

 ビデオ通話で扉を見た美佐緒のコメント。

「なるほど、だから緑の光か。このまま開けて大丈夫だな?」

『うん。罠とかはなかったと思う。たぶん」

 たぶんじゃ困るんだけどなー。兄ちゃんたぶんでうっかり死ぬのゴメンなんだけどなー。ルーカが食い止めてくれてるとはいえ後ろから追っ手も来てるんだけどなー。


 まぁ腹をくくるしかない。オレは髪に挿したコサージュを外した。萼の部分にオパールに似た宝石を嵌めこんである。この宝石が、ファビアン――いやアステリク? に託された、時計塔地下の鍵を開ける呪具だ。

 扉の魔術陣にかざせと言われていた。素直ないい子のオレは奇をてらわず指示に従う。

 コサージュの花びらをむしり取り、細い金線で刻まれた陣のど真ん中に押しつけた。

 ほどなく、宝石が淡い緑の光を放ちはじめた。呼応するように扉の緑光が弱まっていく。


「解錠っつうか、魔力吸収の呪具だっつってたな、あの若作りジジイ。この手の封印には一番オーソドックスだっつって、原理も解説されたけどサッパリだったわ」

『ファビアンくん、そっちの世界最高の魔術師だからねー。二千二百年前時点でだけど』

「えっそれ逆に不安じゃね? 大丈夫かよホントに」

 二千二百年前ってこっちの世界だと共和制ローマとか秦の始皇帝とかそんなレベルだと思うのだが……それはそれで凄いんだろうが今って時代に通用するかってーと別の話だろう。古代の兵器が当時基準でどれだけ優れていようと、現代アメリカ軍の装備には抵抗できないわけで。この世界最新の警備システム的魔術に引っかかって警報鳴ったりしねーだろーな怖い。


『だいじょぶだいじょぶ。転生後も魔術の研鑽は続けてたってゲームで言ってた。私の推し今も最高で最強!』

 扉を見ているのでスマホ画面の美佐緒の顔は見えないが、たぶん狂気に満ちた顔で親指おっ立てていることだろう。オタクは推しが絡むと客観性が死ぬ生き物。


 さて、呪具の宝石の緑の光はいよいよ強まり、いっぽう扉は光を急速に弱める。二、三分も眺めているとついに、扉は安っぽいアクリルのような見た目に変わり果てた。魔力(たぶん)の光を放ってるときは分からなかったが、扉を通して向こう側が見える。

 祭壇――と聞いて、でかいカトリックの教会の奥にあるようなあるものを想像していた。高さがあり、精緻な装飾で飾られ尽くした上で、色とりどりの花や蝋燭が手向けられている。そんな壮麗な代物を。神を祀る祭壇ってのは、そういうイメージだ。

 なのに扉の向こうにあるのは、想像よりずいぶん地味な見た目に思えた。


 だだっぴろい部屋の四方から、水路が引かれている。ゆるやかな傾斜になっているんだろう、水の流れが集まる中央に、象牙色の棺が置かれていた。棺自体はおそろしく手が込んだものだ。胸の前で手を組み合わせ目を閉じた、オレとそう変わらない年の女の子が、棺の上に腰掛けた姿勢で彫られている。舞踏会のホールで見かけた彫像と同じくらい、いやそれ以上の技量の芸術家の手になると一目で分かる。

 それでも、棺は棺だ。信者たちの心からの崇拝で華やかに仕立てられた祭壇とは、まるで違う。

 象牙色の少女像から感じられるのは、尊い存在への信仰というより、喪われた愛しいものへの惜別だった。


 オパールからエメラルドに似た見た目に変わり果てた宝石を、オレはドレスの懐に突っ込んだ。扉で唯一色を喪わず残っている金象嵌の魔術陣を手のひらで押す。扉はすんなり外側に開き、オレはビデオ通話で状況を美佐緒に送りながら先に進んだ。

 背後で扉が閉まる音が響く。

「ゲームのCGもこんな感じだったか?」

『うん、でも』

 たった今まで高潮だった美佐緒のテンションが、若干低い。

 単にクールダウンして落ち着いたのか、それとも。


『こうして見るとゲームより、ちょっと……』

「悲しい?」

『うん』

 ゲームを知らないオレもだいたい同感だった。


 水の音が静かに響いている。この体バルバラの歩幅より若干広い水路を、弾みをつけて大股で越えてオレは進む。全身の神経はぴんと張っている。ゲームでは仕掛けはなく見張りも不在、そう美佐緒に聞いていたが警戒して過ぎることはない。

 棺の真ん前まで来て足を止めた。


「何も起こらんぞ」

『うーん。ここで何したか覚えてないなあ。ってことは変わった操作必要なかったんじゃないかな。棺を調べるとか?』

 調べるってなんだよ。タンスからゴールドくすねんじゃねえんだぞ。

 棺に腰掛けた少女像を、オレはしげしげと見た。細い手足をギリシア神話みたいな薄手の一枚布に包んだ、足元の水につくほど長い髪の娘だ。十五、六歳――美佐緒と変わらない年に見える。もうちょい肉付きがよければ腰周りあたりを撫でまわしてみる気になったかもしれない。そして二秒も経ったあたりで、絶妙な虚無に包まれていたかもしれない。

 よくよく見なけりゃわからないほど薄い笑みを口元にたたえて、裸足の足を片方前に出している。形よく並んだ足指の爪に目が行ったところで、水辺に足先を遊ばせているんだと理解する。


「水遊びならもっと楽しそうにしろよ、アルカイックな笑い方しやがって、紀元前か。いやひょっとして実際造られたのそれくらいか?」

『にしては状態が良いけどねー。まあもしかしたら魔術でその辺どうにでも……兄貴?』

 『冷てっ』とオレが上げた声に、美佐緒が反応した。

 足元が水に浸っていた。冬の水たまりにうっかりはまった時じみた、じんじん沁みてくる冷感に舌打ちする。舌打ちしてから気づく。

 水路は踏み越えたはずだ。なんで足が水に浸かる?

 息を呑んだ瞬間、流水音が耳をついた。さらさらと流れていた水の響きが、さっきまでより大きくなっている。そして、更に大きさを増していく。


「やべぇ……!」

『兄貴?』

 バシャバシャと水を蹴ってオレは走った。さっき入ってきた扉に駆け寄り、刻まれた魔法陣の裏側を押す。

 開かなかった。

 もう一度押した。体重と渾身の力を込めてまた押した。

 びくともしなかった。


『兄貴、いきなりどうし……』

「畜生、はめられた。見ろ美佐緒」

 スマホ画面を傾け足元を見せる。水音は今や混雑中のコインランドリーみたいに、やかましいくらいざばざばと鳴っている。水路の取り込み口だけでなく、壁の隙間からも水があふれてきているのだ。足首、脛と水位はどんどん上がり、膝に迫ろうとしている。

 くそったれ。なんでもっと早く気づかなかった。


「水攻め……」

『え? 水って、え? え?』

 美佐緒の記憶にはないのか。だったら、ゲームにはなかった現象に違いない。

 女神の悪意か。本格的にオレが意に反すると見て排除の一手に出たのか。

 奥歯がギリッと鳴り、前歯が唇に食い込む。血がにじんで苦しょっぱい味がする。


「汚ねぇぞ、女神アスタリアぁ!」

 叫んだ瞬間、ドッと、頭上から水があふれた。天井が崩れる。瓦礫ごとなだれ落ちてくる濁流に巻き込まれる。声も上げられずオレは渦に呑まれた。

 鼻と口から押し入ってくる、恐ろしいほど冷たい水に呼吸を奪われるのが先だったのか。

 押し流されて天井の残骸にぶち当たり、激痛に悶えるのが早かったか。

 どっちにしろ、オレの意識はすぐ途切れた。




 目覚めたとき、オレは自分が水面にあおむけに浮いているのに気がついた。

 肩も胴も腕に水に漬かっている。天を向いてわずかに曲がった手の指と、靴が流されて裂けたストッキングだけになった足の先と、かろうじてひそやかに呼吸している鼻と口、中空をぼんやり見上げている目だけが空気に触れていた。

 見上げた頭上は暗い。塗り潰されたようにひたすら黒く、上にあるのが空か天井かもさっぱりだ。何か巨大な生物の口がぽっかり開いて目の前にある錯覚を覚えた。何かの拍子にそいつが息を吸い込んだら、そのまま吸われて漬かった水ごと舞い上げられていきそうな、そんな気さえした。


 ――あ、スマホ。

 握り締めていた右手が空っぽなのに気づく。美佐緒との唯一の通信手段が消えてしまった。

 舌打ちしようとして、できなかった。全身が精根吸い尽くされたようにだるく重たく、舌の先さえ例外じゃなかった。頭の方も同じ体たらくで、まともな思考がまるで出てこなかった。

 ――ちくしょう。

 ――ちくしょう。

 ――ちくしょうちくしょうちくしょう。


 語彙力もクソもない罵倒だけ頭蓋骨の中でくりかえしていた、そんなときだった。

≪イエナガ・タカヤ。ですね≫

 澄んだ声が響いた。

 息を呑んだ。高いイヤホンを着けたときのように、息遣いまではっきりと聞こえた。

 鼓膜ごと耳が水に浸かった状態じゃ、普通は言葉を聞き取るのさえ難しいはずなのに。


「あんたは……」

 水をかきわける。ざぶりと音がして、重だるい体は予想よりずっと楽に動く。立ったまま浮いているような体勢――古泳法の立ち泳ぎでもなけりゃ維持できないはずの姿勢になる。

 鈍った頭でもここまで来れば理解できた。この水辺は、物理法則を無視した特別誂えの空間だ。

 生み出したのはもちろん、

「女神、アスタリア……」

 この世界の精神世界、『概念域』を治める女神。


 暗い一帯に蛍に似た光が生まれた。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、分裂しながら無数に増える小さな瞬きは、同時に収束しながら膨れ上がっていく。寄り集まった光はやがて中空に人の形をつくりあげた。

 長い髪を水面に着くほど垂らし、ギリシア神話のヒロインめいた衣一枚をまとった娘。棺の上のあの彫像の似姿。

≪異界から現れた客人まれびと、創造主と誕生の地を同じくする者よ。我らが愛し子の身に宿りし混沌たる魂よ≫

「えー、そのー、あー。つまり自己紹介の必要はないって理解でOK?」

≪結構です。貴方のこれまでの行動は我らも把握しています≫

 えっ我らって一人称かこの女神の。ヨーロッパの君主が使う尊厳の複数ロイヤル・ウィーみたいなもんか。この世界の代表者として喋ってるってことか。


 ちょいと鼻白みながらオレはアスタリアを改めて見る。彫ったやつ人間国宝かよってレベルで、光の女神は棺の彫像そのものだ。そのくせ決定的な違いが一つある。棺の彫像はぎこちない表現とはいえ笑顔だったが、目の前に浮かぶ娘の顔は、目元も頬周りも口元も、一ナノミリグラムの微笑さえ浮かべずただ凍てついていた。

「全知全能って訳か。さすが女神」

≪元々、さして情報量の多い世界ではありません。貴方が生まれ育った世界に我らのような存在があるのなら、それこそ全知全能と称すべきでしょうが≫


「情報量……」

 それは、やっぱりここがゲームの世界だからか?

 思考を口にする前に声が響いた。

≪貴方から見れば、そうなるでしょうね。我らから見れば貴方は本来、上位次元の存在となります≫

 おいおい、心が読めるやつかよ。


「『澪底のアスタリア』だけが特別なのか? それとも他のゲームだとか、漫画だとか小説だとかにも……」

≪上位存在による他の被造物に関し、我らは情報を持ちません。可能性は否定できない、としか≫

 全ての創作物に、それぞれ対応した世界があるという想像。

 駅前の本屋をまず思い浮かべた。それから、家からバスで二十分の区立図書館。無数に立ち並ぶ棚にぎっちり詰まった本。その一冊一冊に、大地があり光があり大気があり、人が呼吸し食事し思考し生活している。いや、こんなイメージじゃきっと足りない。地球上全ての創作物と考えるともはや想像の限界だし、下手すりゃアマチュアの作品まで入ってきて頭がパンクする。

 眩暈がした。水にまた頭ごと浸かりそうになるのを唾を呑み込んで耐えた。

 他の世界の話をしに来たわけじゃない。


「バルバラのことで話がある。それから、ジーナちゃんとアレクシオスについても」

 全員、それぞれに違う形で、言動や思考の自由を奪われている。そして強いられた制約に苦しんでいる。バルバラに至っては耐えきれずバルコニーから身を投げた。

 彼女の日記を読んだ。年月の経過につれ尖り震えていく文字で、オレは彼女の心情の吐露を追った。それでなくてもオレだって一度は部屋のベランダから飛び降りた身だ。命を自分から投げ出す選択なんて簡単にできないのは承知している。『軽率に命を捨てた』なんて言い草は何も知らない外野の身勝手な言い分だ。日記に書いてない所でも、血を吐くような苦悶が山ほどあったはずなのだ。


「あんた側の事情は勿論あるだろう。この世界が元々ゲームなら決められたシナリオがある。あんたの言う創造主とやらが決めた筋書きだ。でも、だからってあんなのは」

 あれは駄目だ。何をどう考えたって、駄目だ。

 あまりにも理不尽に、人の心を踏みにじる。

「あんた女神なんだろう。このゲームの世界に対しては相当幅広く干渉できるはずだ。住人の信仰だって深い。だったらもっとマシな方法が取れるんじゃないのか。たとえば、神官を通じて……」


≪イエナガ・タカヤ≫

 無機質に、声が響いた。

 ざばりと、水面が盛り上がる。さながら巨大な手のように、オレに覆いかぶさってきた。

 暗い水の下に押し込まれる。

 ごぼごぼと鼻と口から泡が溢れる。

 息ができない――

≪貴方の来訪は我らにとって想定外のものでした。それでも、我らは受け入れるつもりでした。我らが創造主と出自を同じくする上位存在。一定の敬意をもって遇すべきと、そう判断していたのです≫

 もがき、暴れ、水をかきわけ、それでも声は響く。


≪ですが、この世界の在り方に口を出すならば話は別です≫

 息が。息ができない。息が。

 爆発しそうに頭が痛む。酸素が足りない。

 死ぬ!

 『兄貴』と美佐緒の呼ぶ声が聴こえた気がした。もがくオレを暗く深い水は呑み込んで、底へ底へと引きずり込んでいった。

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