第6話 もう一人の天使
バルバラ・アビアーティの日記は、なんと十年以上前の日付から始まっていた。
ぱっと見普通のノート程度の薄さなのに、めくってみると読んでも読んでも終わらない。何属性のものか知らないが魔術のかかった品で、当たり前のようにドのつく高級品なんだろう。
全部読むのは無理だ。バルバラの性格や考え方の変遷、この世界での今後の身の振り方に関係しそうな部分以外はガン無視するしかない。
まず気になったのがルーカに関する内容だった。
【272ねん 8がつ 7にち】(バルバラ五歳)
わたくしに、あたらしく、おにいさまができるのだそうです。おとうさまがはなしてくださいました。
ごほんにでてくるおにいさまは、おとうとやいもうとにやさしかったりいじわるだったり、さまざまでした。わたくしのおにいさまはどんなかたでしょうか。
おなまえは、ルーカとおっしゃるそうです。ハンナがとおいとおいばしょでごくろうをされたようですよといっていました。よくわかりませんが、いままでがあまりたのしくなかったなら、こちらにいらしたらわたくしのおかしとおもちゃをわけてさしあげようとおもいます。たのしみです。
おかあさまのごきげんがあまりよろしくないのだけがしんぱいです。
むしばでもいたいのかしら。おまじないのキスをしてあげるといったら『いいのよ』といわれてしまいました。
おとなだからつよがっているのでしょうか。
【272ねん 9がつ 1にち】(バルバラ五歳)
ルーカおにいさまがやしきにいらっしゃいました。
きれいなあかげにわたくしとおなじあおいひとみの、とてもうつくしいおにいさまです。わたくし、ひとめでだいすきになりました。おにわのおはなでかんむりをつくってあたまにのせてさしあげました。
おとうさまならこれでよろこんでくださるのだけど、ルーカおにいさまはかなしいおかおのままです。ほんとうのおかあさまがごびょうきでなくなられたそうなので、そのせいだとおもいます。もしわたくしのおかあさまがなくなられてしまったら、わたくしだったらきっとまいにちないてしまいます。ルーカおにいさまはないていないのでとてもつよいおにいさまです。
ハンナにイチジクのパイをおねがいしました。ハンナは、まだイチジクにははやいですよ、といいますが、つちのまじゅつをつかっているおうりつのうじょうからかってくればだいじょうぶだとおもいます。ハンナのイチジクのパイはおいしいので、せかいいちおいしいとおもっているので、ルーカおにいさまにたべていただきたいです。おいしいですね、といいながらいっしょにたべたいです。
「天使か!」
日記帳のページに突っ伏してオレは叫んだ。
固有名詞を消した状態で読まされ、幼少期のジーナちゃんの日記と言われれば信じてしまうだろう。やばい可愛いこんな妹欲しかった。ルーカの奴、やっぱりそのうち顔面に一撃叩き込んでやろうか。
【272ねん 9がつ 4にち】(バルバラ五歳)
ハンナがイチジクのパイをやいてくれたので、ルーカおにいさまといっしょにたべました。ルーカおにいさまはおいしいねといってくれて、ぼくのほんとうのおかあさまもパイがとくいだったといって、ちょっとだけわらいました。はじめてルーカおにいさまのわらったおかおをみました。
でもそのあとおかあさまがやってきてルーカおにいさまをぶったので、わらったおかおはすぐにきえてしまいました。おかあさまに、ぶつなんてひどいといったのですがきいてくれません。どろぼうねこ、といっていましたが、ルーカおにいさまがどろぼうなんてするわけがありません。きっとおかあさまのかんちがいです。
おかあさまに、ちゃんとわかっていただかなくてはいけません。
【272ねん 11がつ 8にち】(バルバラ五歳)
おかあさまがルーカおにいさまをあんまりまいにちぶつので、なんどとめてもやめてくださらないので、わたくしはもうおこりました。
ルーカおにいさまをわたくしのおへやにおつれしました。いすとおもちゃばこをとびらのまえにつみあげて、だれもおへやにはいってこれないようにしてさしあげました。
おかあさまが『ごめんなさい、ルーカ』とないてあやまるまで、わたくしはおへやをでません。ルーカおにいさまはとちゅうでもうでようというかもしれませんがそれでもぜったいにでません。
ざまをみればいいのです、おかあさま。おにいさまをいじめなければこんなことにはならなかったのですよ。
おかあさまがあやまるまで、おにいさまといっしょにおままごとをします。
【272ねん 11がつ 9にち】(バルバラ五歳)
ちからもちのピーターとジャンがむりやりとびらをあけてはいってきて、きのうのおへやたてこもりけいかくはしっぱいしてしまいました。
バリケードがよわすぎたようです。もっとしっかりしたバリケードがつくれるようになったら、またちょうせんして、こんどこそおかあさまにあやまらせてさしあげたいとおもいます。
このあとしばらく、バルバラ嬢と義兄ルーカのほのぼの義兄妹生活がつづく。合間合間にバルバラママンの嫌がらせが入り、そのたびバルバラが止めに入る。
ルーカの態度も次第に打ち解け、バルバラに勉強を教えたり、父親との外出帰りにバルバラのためリボンを買って帰ったりしはじめた。オレはハンカチをギリギリ噛みながら読み進めていった。美佐緒もオレに懐いてた時期はあるが、こんなに可愛くもなければ素直でもなかったぞ。なんだこの格差社会。
だがいや待て。ゆうべのルーカの話が正しければ、この後は。
【278年 4月 28日】(バルバラ十一歳)
ルーカお義兄様が
そこで、信じられないことが起こったのです。
『おめでとうございます』という、ただそれだけの言葉が、舌が凍ったように出てきませんでした。代わりにこんな言葉が口から滑り出てきました。
『妾腹の子とはいえお義兄様もアビアーティ家。せいぜいお気をつけあそばせ、その身に染みついた下賤な振る舞いで家門の名を汚さぬよう……』
目を見開いたお義兄様の顔が忘れられません。
どうしてあんな心にもないことを言ってしまったのか。悔やんでもこぼしたミルクは器にもどりません。
ああお義兄様、どうかバルバラを嫌わないで。
【279年 7月 12日】(バルバラ十二歳)
わたくしは一体どうしてしまったのでしょう。
外のお店にお菓子を注文したのです。バスケットに入れて、お母様に見つからないようこっそり使用人のみんなに配ってまわろうと思って。日ごろの感謝を少しでも形にしたくて。
なのにどうして、あんなことに。
ハンナやピーターやジャン、カルロスやローズ、フランシーヌ、ほかにも大勢。お庭で使用人のみんなを前にして、『いつもありがとう』と言おうとしたのです。なのに、また舌が思うように動かなくなって。しかも今度は体も。
『あなた方のような卑しい人たちは、土にまみれた物でも食べているといいわ』
そして、バスケットの中身をお庭の地面にばら撒いてしまったのです。
喉の奥から高笑いがあふれてきました。心の中では『どうして』『やめて』『こんなのいや』と叫んでいるのに、笑っているわたくしはとても楽しそうでした。
あれから結局みんなに謝ることができずに、この日記を書いています。だってだれが信じてくれるというのでしょう、口と体が勝手に動いて、あんなことをしてしまっただなんて。
【279年 11月 9日】(バルバラ十二歳)
秋から
ああ、お部屋にうかがって、お帰りなさいと言って差し上げたい。実のお母さまがお得意だったパイをお持ちして、
でも怖くてできません。最近のわたくしは、本当に何もかも思うようになりません。口を開けば意地悪なことばかり、体を人のために動かせば嫌がらせじみた真似。きっと今お義兄さまに会いにいけば、またひどいことを言ってしまうにきまっています。
だったらきっと、お義兄さまにはもう会わないほうがいいのです。
読みながら口元がへの字にひん曲がっていくのを抑えきれなかった。
子供時代はジーナちゃん顔負けの天使だったバルバラ。一方、月日が流れたゲームとこの世界ではカタキ役の悪役令嬢。おおかた、母親の影響や貴族特有のあれやこれやで性格ねじくれたんだろうと思っていたが……
これは、想像していた以上にキナ臭そうだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます