第3話 しょせんゲームのキャラクター
ジーナちゃんは、本が大好きだ。
つぶらで透き通った鳶色の眼を、普段の更に何十倍かキラキラさせながら読みふける。その光景といったらもう、これ見て恋に落ちない奴がいるのかよって尊さだ。前にこれを美佐緒に言ったら『私の推しが細いあんよ組んで読書してるときの方が千倍かわいい』などとピントのずれた反応を返されたが。
いや、お前の推しってファビアンとかいう十歳かそこらのガキだろ。いくら可愛くても股の間に大事なもん生えてんだろジーナちゃんと比べんなよ。
美佐緒の寝言はさておき、本が好きなジーナちゃんが、別れ際にオレに本を貸してほしいと頼んできた。オレも自分でちょこちょこファンタジー小説なんか書くくらいだから月十冊くらいは読んでいたが(受験生活入ってからはさすがに減った)、オレの今の体の持ち主である悪役令嬢バルバラ・アビアーティはそれに輪をかけた読書家だったらしい。毎日違う本を持ち歩いては、木陰や噴水のへりに座って優雅にページを操っていたという。
「ねえバルバラ、『萌葱の記憶』って本持ってるって聞いたんだけど、覚えてる?」
「え、えっと、ごめん記憶喪失の巻き添え食って忘れた」
「今の『護界卿』……『
そ、そうか。歴史書系、ノンフィクション系か。オレそっち方面は小説の資料としてしか興味ない。
とにかくその『萌葱の記憶』を貸してほしいとのことだった。
ジーナちゃんは本好きが高じて図書委員などしているのだが、なんでも『
黙って持って行ったまま返さないだなんて、よほど面白い本に違いない。ああ気になる気になる気になる、しかし行方不明……
「他の図書委員の子たちと『読んでみたいね』って話していたら、そこにウィリディスさんが生徒会のお仕事で通りかかって」
ウィリディス。あのバカ丁寧な口調の自販機サイズどM野郎だ。オレを勝手にご主人様認定してるあいつ。
「『バルバラどのがその本を読んでいるのを以前見かけたことがあります』って、教えてくれたの。ずいぶん前、半年前のバルコニーの事故よりもっと前の話だけど、図書館の蔵書印がなかったからきっと私物だろうって」
「うわそんなこと覚えてんのかよあいつやっぱ気持ち悪いな……ってか大丈夫だった? 手握られたり甲にキスされたり踏んでくれって土下座してきたりしなかった?」
「平気よ。ウィリディスさんとっても良い方よ。バルバラの前だとちょっとおかしくなるだけで」
ちょっと……ちょっと、かなあ、あれ。
きっかけがイケメンなのは気にくわないが、ジーナちゃんのためだ。オレは夕方
一日一回定時に部屋を掃除に来る寮属メイドの『ご実家に置いてこられたのかもしれませんわ』という助言(半分は言葉通り、もう半分は『この荒らした部屋誰が片付けると思ってんだよさっさと蹴りつけろ』の意)を受け、オレは『実家』に帰ることにした。バルバラ・アビアーティが生まれ育った屋敷に。
タイミングよく週末。距離も馬車で二十分くらい。さっと帰って本を見つけ、ついでに夕飯は大貴族のお屋敷の豪勢な食事に舌鼓を打ち、明日の朝に帰ってきてジーナちゃんに渡せればいいやとの目算だ。『バルバラ、わざわざ実家にまで戻って取ってきてくれたの? ありがとう、大好きよ、チュッ!(頬にキスの音)』な展開も期待してみたりして。
いやー、今から明日が楽しみだ。
バルバラ・アビアーティは王国の伯爵令嬢だ。
それも宰相だの元帥だのを何人も輩出した、ド名門の一族の一人娘だ。
貴族の序列や家系図は覚えるのを放棄したので置いておいて(どの小説の書き方の本にも『設定を増やしすぎるな読者が覚えられん』って書いてあるが正にその通りだよな)、とにかくアホみたいに家がでかくて庭も広くて召使も馬も番犬も山ほどいて、まあ当然のように金だって唸るほどある実家なのである。万年年収横ばいのくせに気持ちだけは家長でございと威張りどおしだったオレの親父に、歴代当主の爪の垢煎じて五リットルくらい飲ませてやりたい。
ヴェルサイユ宮殿の庭かよってくらい整えられた広大な庭を抜けて、シェーンブルン宮殿じゃねえんだぞってレベルの重厚かつ優雅な邸宅の前に馬車がつく。
「お嬢様、お帰りなさいませ」
「お嬢様、よくぞお戻りになられました」
馬車から降り立ったオレをうやうやしく執事やメイドたちが出迎えた。いやー、ショボい玄関開けて『ただいま』っつっても誰の返事も返ってこなかった家永家とはえらい違いだ。……はは、やめよう、この比較。すげぇきっつい。
当主である父親は留守だった。伯爵夫人である母親に軽く挨拶と、『元気にやっておりますわ』程度の当たり障りない話をして、さっそく自室へ。専属メイドを追い出してまず本棚を確認しはじめた。メイドに頼んだ方が早いんだろうが、ジーナちゃんにはぜひとも『わたしのためにわざわざ……』と目をウルウルさせて頂きたいので、やっぱここはオレ自ら探すべきだ。
さて、ぶっちゃけ退屈な本探しシーンの合間に、バルバラとアビアーティ家、そして『
代々貴族、しかも高官を歴任するアビアーティ家だが、その背景には一族の者が代々受け継いできた強大な風の魔力がある。王国において高位の公職につくには四大元素の魔術どれかを公職者養成機関『
公務員のキャリア組に似てなくもないが、生まれつきの素質が絡むぶんもっとエグい。当たりくじを引いて生まれてきたとはとても言えないオレとしちゃ、唾のひとつもひっかけてやりたくなる制度だ。
そんなわけで『
『
美佐緒が前にLINEで言っていた。
『ゲームでも、第二学年中期になると進路選ばされるのよ。で、それがエンディングにも影響してくる。政治家、官僚、軍人の三択。それから、ルートを何周かして条件満たすと開放される隠し進路「神官」』
『神官?』
『女神アスタリアに仕える役職。祭祀はもちろん司法も扱うから、現代日本だと宮内庁と裁判所足して二で割った感じが近いかな』
分かるような分からんような。
『ゲームのバルバラってどの進路選ぶんだよ。オレも同じの選ばねぇとまずいんじゃねえの?』
『主人公のジーナと一緒。プレイヤーの選択に応じてゲーム側で自動決定』
仲良しか!
『そっちの世界のジーナの進路は?』
『うーん特に何も言ってないなー。悩んでるんなら相談してくれりゃ、一晩中だって話聞いてやるのになー』
返事の代わりに『GO TO HELL♪』と文字の入ったファンシーなスタンプが来た。
さて、いい加減そろそろ本筋に戻ろう。
本はあっさり見つかった。持って帰るべく本棚から抜き出そうとしたところで、ふと気がついた。
本棚の奥行が違う。『萌葱の記憶』が立てられた上から二段目と、上下の一段目・三段目とでは、センチ単位でズレがある。まるで、二段目の棚の奥に隠された空間があるかのように。
「ふうん……?」
深い意図はなかった。ただ誰だって隠し部屋とか隠しスペースに封じた重要秘密とかって奴には、反射通り越して本能レベルでブワッとドーパミンが出るものじゃないだろうか。
何だろう。気になる。見てみたい。
本当に、ただそれだけだった。オレは本棚二段目に詰まった本をテーブルに移動させ、空になった段の奥の板を掌底で軽く押した。
コトッと音がした。
板が、外れた。
現れたのは、高そうな革の張られたノートだった。
『どう思う? 美佐緒』
LINEでメッセージを送ると、ピロン、とすぐ返事が返ってきた。
『どうって、別にどうとも。せっかく見つけたんだから読めば?』
『でもこれ日記だよなー、たぶんっつーかきっとっつーか十中八九っつーか絶対バルバラの日記だよなー。男として女の子の隠してあった日記読むとかどうよ? クトゥルフ神話TRPGなら読まなきゃトゥルーエンド逃すフラグだろうけどさ』
『オタクっぽい話題突然振られても反応に困るからやめてくれる?』
うるせえ、同人ゲーオタク。
『別にいいじゃん、今は兄貴が「バルバラ」なんだから。自分で自分の日記読んで何が悪いのよ』
『お前ドライだな。もうちょっと同じ女として「乙女の秘密を暴こうだなんて許せない!」とか言わねえの?』
『そりゃ、自分が同じ目に遭ったら嫌だけど。性別が同じってだけでそこまで親身にならないよ。兄貴に限らず女同士に変な幻想抱く人多すぎ。こっちが女で相手も女ってだけで、必要以上に共感しあったりいがみ合ったりしないってば。男同士だってそうじゃないの?』
ちょ、長文が返ってきた。これは反論すると更なる長文が返ってくる奴だ。ひとまず『なるほど』のスタンプを返して流した。
『話戻すけどさ、読んでもいいと思うよ私は。バルバラはしょせんゲームのキャラクター。ただの二次元、電子データ上にしか存在しない。そこにも価値を見出す人は、まあそりゃいるだろうし全然いていいと思うけどさ。現実を生きる兄貴の生存に比べたら、やっぱ屁みたいなもんだよ』
――ゲームのキャラクター、か。
ロダンの『考える人』のイラストスタンプを送ってから、オレは考え込んだ。
と、外からドアをノックする音がした。
「バルバラお嬢様、お食事の支度が整いましてございます」
「ええ、ただいま参りますわ」
妹に『悪い、メシだわ。ありがとな』とメッセージを送り、自室を後にした。
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