第2話 めざせ百合エンド
「そう、アレクシオスさんとウィリディスさんが……大変だったのね、バルバラ」
『前門のイケメン後門にもイケメン』騒動から三時間後。昼下がりと夕刻の狭間の光を浴びて、ジーナちゃん――ジーナ・オータムがおっとりと笑った。傾けたポットからいい香りの紅茶が注がれる。
ああ、やっぱり可愛い。
犬も歩けばイケメンに当たる地獄のようなこの乙女ゲー世界で、君だけはオレの天使だよジーナちゃん。
肩まであるふわんふわんの亜麻色の髪。見つめられると心が安らぐ温かみのある栗色の瞳。やわらかそうなバラ色のほっぺた。スレンダーなのに意外に結構ある胸。ああ、乙女ゲーの主人公なんかにしとくの心底もったいない。
この世界に来て以来バタバタ続きで一行も小説書いてないが、次回作のヒロインはこの娘がモデルで決定だ。
「そう、そうなんだよ。ほんっと大変だったんだよ。血管年齢三十歳は老けたよ。慰めてジーナちゃん、具体的には膝枕とかで」
「わたしの膝枕でバルバラが落ち着くならいくらでもするけど、わたし脚けっこう固いわよ?」
いいんです、君の膝枕という事実それ自体に価値があるんです。
と、手元のスマホから電子音が鳴った。
美佐緒からのLINE通話着信だ。というかこのスマホ、こっちに転移してきて以来なぜか特に仲がいいわけでもなかった美佐緒としか連絡が取れないわけだが。
無視してもいいが、美佐緒はオレがこの世界で生き抜くために必要なアドバイザーだ。なんたってこの世界の元になった(と思われる)同人乙女ゲームを一度全クリしている。無視してヘソを曲げられて肝心なところで協力が得られないのは困る。
『ごめんジーナちゃん』と断ってから、オレは通話に出た。
「なんだよ美佐緒、今ジーナちゃんと至福の時間を堪能してるのに」
『その様子じゃアレクシオスに掘られるのは免れたみたいね兄貴。けっこうけっこう』
「なんであんなのがメインヒーローなんだよ、ツラが良くて成績優秀で魔力が強くて将来が約束されてるだけじゃねーか」
『さあ。私の推しはファビアンくんだから。アレクシオスは一応クリアしただけ』
ファビアンなら覚えてる。攻略対象じゃないが色々情報をくれるお助けポジションで、ふわふわの銀髪に赤い眼、女の子に見間違えそうなくらいの美少年だ。妹は若干ショタコンの気があるらしい。
『で? 今、ジーナと一緒なの? 仲良くなれてよかったじゃない。絶対結ばれることのない相手だけど』
「結ばれないとか言うなよ、まだ決まったわけじゃないだろ」
『結ばれないよ、だって「澪底のアスタリア」に百合ルートないもん。つまり百合エンドも存在しない』
専門学校で訓練受ければ声優デビューできそうなくらいキュートな声で、妹殿は残酷な真実を口にした。
『主人公ジーナ・オータムが攻略できるのは男キャラだけ。女キャラ、ましてライバルの悪役令嬢バルバラ・アビアーティは攻略対象外。諦めろ兄貴。諦めてこっちの世界に戻る方法を探せ。早く母さんを安心させろ』
「やなこった」
オレはべろっと舌を出した。
「こっちの世界も、イケメンまみれでそりゃあロクなもんじゃねーけどな。せっかく大貴族のご令嬢、しかも好みじゃねーとはいえそこそこの美少女に、えー、転移? 転生? したんだ。ジーナちゃんのこと別にしたって帰るつもりはねーよ。オレはこの世界で上流階級として生きていく。キモヲタと蔑まれて女には嫌われ、陰キャと同級生にはバカにされ、あまつさえ志望校にはことごとく落ちる、そんなクソったれな現実とはおさらばだ。元々そのためにベランダから飛び降りたんだしな」
『兄貴』
「オレの体、まだ意識不明なんだっけ? 医者に金渡して話つけて安楽死でも何でもさせてくれよ、もう要らねーから。親父とお袋も重荷が減ってせいせいするだろ、じゃーな」
『兄貴!』
通話を切った。妹の声が悲痛に響いたが仕方ない。その気もないのに変に希望を持たせ続ける方がよっぽど残酷だろう。
「バルバラ? バルバラ大丈夫?」
「いやー気にしないでよジーナちゃん、えーっと、また女神アスタリア様のお告げがあってさあ」
「そう……」
オレがこの世界に飛ばされてきたのは半年前だ。
お先真っ暗だった。もう生きちゃいけないと思った。顔も悪く、寄ってくる『友達』も『焼きそばパン買ってこいよ(笑)』とか抜かす連中ばかり、女にはことごとくゴミみたいな目で見られる。せめて学歴だけは人並み以上をめざしてひたすら机に向かった。なのに生まれついての頭のデキの悲しさ、ついに合格発表リストに自分の番号を見つけることなく大学受験シーズンが終了した。いっぽう三つ年下の完璧超人の妹は、どこに出しても恥ずかしくない名門高校に一発合格していた。
『男のくせに、兄のくせに、妹の美佐緒に比べてお前は何だ』
令和にもなってまだ昭和前半の家父長制意識を引きずっている親父に、そう怒鳴られるのを思うと心が暗くなった。何も言わず、ただシクシクと台所で一人泣くだろうお袋の姿の想像も気持ちを暗澹とさせた。
――よし、死のう。
そして、オレは自室のベランダから飛び降りた。もう二度と目覚める日は来ないと思っていた。
次に目を覚ましたとき、オレはでっかいふかふかした豪奢なベッドの上にいた。身を起こすと視界にふわふわした金色のものが揺れた。自分の髪――金髪の巻き毛だった。
『旦那様! 奥様! お嬢様が!』
メイドの甲高い声が鼓膜をなぶった。
『バルバラお嬢様が目を覚まされました!』
呆然と辺りを見回した。ロココの宮殿かよってくらい豪勢な室内に、宝石や貝殻で縁取られた鏡が置かれていた。
そこに映った自分の顔に、オレは息を呑んだ。
きらきら波打つ金の髪。お袋が大事にしてたサファイアの指輪より青い瞳。青白くやつれてはいるが品のある彫り深い顔立ち。道具使って製図したのかよってくらいキレイな弧を描いたやわらかそうな唇。
どう見ても大事に大事に、蝶よ花よと育てられた西洋の貴族の令嬢だった。
家永孝也とオレを呼ぶ奴はいなくなった。誰も彼もがバルバラ・アビアーティと呼んだ。銭湯並みに巨大な浴場でメイドに服を脱がされ鏡の前で見た体は、雑誌のグラビアでも見たことないくらい見事なラインをしていたが、興奮してる場合ではなかった。
『目覚めてよかったわ、本当に』
『バルコニーから足を滑らせて落ちたのだよ。覚えているかい。ああ、可哀想に』
『バルバラ……命が助かって、よかった』
母であるらしい人、父であるらしい人、義兄であるらしい人。更に親族や知り合いらしいハイソっぽい連中も口々にそう言った。
「バルバラ、あのね。……あ、お茶が冷めちゃうから飲んで。クッキーも」
ふと、ジーナが言った。
『ありがと、ジーナちゃん』と礼を言って紅茶を口に運ぶ。うーん、うまい。やっぱりお嫁さんにほしいぜ、ジーナちゃん。
「それでね、バルバラ。ずっと気になっていたんだけど。記憶って戻ってきた? ほら、バルコニーから落ちて怪我したときの」
「え? ああ、記憶、記憶。あっはいはい、記憶か! いやあそれが未だにさっぱりははははは!」
記憶喪失。
いきなり異世界から飛ばされてきて金髪青い目のお嬢様の体に入って、なんて事態、そうとでも装わなければどうにもならなかった。言葉(文字含む)はなぜか全部わかるものの生活習慣の知識はゼロからだし、魔術とかその辺のオカルトな話はますますさっぱりだった。
「ごめんなジーナちゃん、心配してくれてるのに」
「ううん、気にしないで。それに、こう言ってはなんだけど、戻ってないって聞いてちょっとだけホッとしてる自分もいるの」
ジーナちゃんは微笑んだ。
「バルバラ、記憶をなくす前は、わたしを見るたび眉を吊り上げて怒ってたから。具体的には言いたくないけど、ちょっときつめなことも言われたり、してた。笑って接してくれるようになって、こうして仲良くなれたのは記憶喪失になってから、だもの。少しだけ思うの、でも、バルバラが記憶を取り戻したとして、それでバルバラとこうして過ごせなくなっちゃうのは、寂しいな、って。こんなこと言って、ごめんね? バルバラにとっては記憶が戻ったほうが絶対にいいのに……」
じ、ジーナちゃん。なんて健気なんだ。やばい泣きそう。
それはともかく――周りがオレを見て驚いたのは、知識の落差ももちろんだが、性格の『豹変』だった。何せバルバラ嬢、高慢ちきで性格がきついことで評判だったらしいのだ。どれだけきついかというと気に入らない子をチクチクいじめるくらい。バルコニーから落ちる半年前まで、彼女の標的になっていたのがジーナちゃんだった。
その中身が突如オレという人畜無害な男に入れ替わったわけだから、周囲の驚きは相当だったろう。
「女神アスタリア様のお声が聴こえるようになったのも、記憶をなくしてからなのよね」
「え、えーっと、そう! そうなんだ! 気を失っている間にアスタリア様が夢に出てきて、突然この不思議な板をもらってさー」
我ながら強引すぎるが一応そういうことになっている。
言葉以外一から十までさっぱり分からない異世界に飛ばされてきたオレだったが、病院(この世界では施療院)にかつぎこまれたとき手に『謎の小さな板』を握りしめていた。スマホだ。バルバラの両親は気味悪がって捨てたがったが、バルバラの異母兄である『ルーカ』ってイケメン(ゲームの攻略対象で『
メイド経由でスマホを受け取ったオレは、バッテリーが残っているのにまず感激した。手がかりが残ってるかもしれないとアプリやストレージを舐めるように確認した。写真や楽曲ファイル、書きかけの小説ファイルは無事だったが、一方特に助けになりそうなものもなかった。
アンテナは立っていた。異世界なのに。にもかかわらずブラウザもツイッターもメールも死亡、一時期小遣い全額捧げてたが受験生生活に入ってからログインするだけになってたスマホゲーも死亡。その他もろもろだいたい死亡。
最後に『これもどーせダメだろうな』とほとんど使ってなかったLINEを開いたとき、ある名前が登録されているのに気づいたのだ。
『美佐緒?』
だがオレは決して断じて間違っても、妹のLINEを登録なんてしちゃいない筈だった。そりゃ、子供の頃は親に言われてそこそこ面倒見てたし美佐緒の方も兄ちゃん兄ちゃんとポテポテ後をついてきたが、年月が経って成長してみれば何をやってもうまくいかないオレと完璧超人の妹である。自然とお互い口を利かなくなり、一つ屋根の下寝起きしていながら何年も口を利いていなかった。当然、LINE交換なんてしてなかったしする必要もない。
オレは美佐緒とのトーク画面を開いた。何のログも残っていないものの、間違いなく友だち登録されている。
――どうして。
呆然としたからだろう。指先が滑った。
そして、最後にいつ誰に送ったかも分からないスタンプを送ってしまった。
『いよう、久しぶり!』
ユルい画風のトラネコスタンプ。もう何年も没交渉だった妹宛て。
どのみちこれも送信不能だろう。そう思った。
なのに数秒後、ピロン、と電子音が鳴って。
『ふざけんな何のイタズラだよ、人の兄貴
世界の境目を超えて、妹からのLINEが返ってきた。
「ねえバルバラ。アスタリア様って可愛らしい方よね」
「か、可愛らしいってジーナちゃん、美佐緒、いやアスタリア様の声聴こえないじゃん。LINEメッセ……じゃない、文字でのお告げも見えないし」
「お声は聞こえなくても、バルバラのお話を聞いてれば分かるわよ。気まぐれで、ちょっとわがままなところもあって、でもバルバラのことが心配で、直接は無理だってわかっててもなるべくお世話をしてあげたくて、そういう気持ちが滲み出てるもの」
んな訳ないんな訳ないんな訳ない。オレはため息をついてスマホを見た。
アスタリア。このゲームの世界の女神様の名前だ。
二千ウン年前までは魔力が高いだけのただの人間だったというが、その存命中にこの世界は災厄に見舞われた。よりにもよって万物を創生した造物主が、世界自体の管理を放棄するという、ユカタン半島に墜ちた隕石も発狂して逃げ出しそうな代物だった。
洪水、地震、噴火、竜巻、疫病、旱魃、農作物の不作。何より人心が荒廃し精神を病む者が急速に増えた。誇張でも何でもない世界存続の危機に、彼女は自分の身を捧げ女神となり、造物主から世界の管理を引き継ぐことで平和をもたらした、らしい。
アレクシオスやウィリディスの言っていた『護界卿』もよく似た高次元の存在で、女神・『護界卿』の二人三脚体制で世界を守護しているそうだ。約三百年ごとに交代が必要な『護界卿』が、『現実域』と呼ばれる物理世界を。一方代替わりすることなく永遠に女神として鎮座するアスタリアは『概念域』、いわゆる精神世界を担当し、バランスを保っているという。
この女神、美佐緒によると『澪アス』では単なる神話じゃなく現実に存在していて、いくつかのルートのストーリーには登場もするらしい。たとえば、全シナリオクリア後に開放される隠しルートのトゥルーエンドとか。美佐緒とのLINEや通話は、全部女神アスタリアのお告げとして強引に通している。
さて、アスタリア様ことLINEで繋がった美佐緒の話に戻ろう。美佐緒は最初タチの悪いイタズラだと激怒していたが、LINE通話によるオレの誠心誠意の説得で特異すぎる状況を理解した。具体的には、家族しか知らないはずの秘密――『美少女美佐緒ちゃんが三歳のとき鎌倉の大仏の真ん前でおしっこ漏らした事件』について話したら、甲高い悲鳴とともに二秒でオレだと納得した。
『言いにくいんだけどさ。兄貴の体、いま市民病院で意識不明なの』
妹は言った。
『それから、今兄貴がいるっていう、その世界? なんだけど』
そうして名前を挙げたのが、『澪アス』――『澪底のアスタリア』だった。
なおオレはここで初めて、非の打ちどころのない妹がガチの同人ゲーオタクなのを知った。引いた。
「正直うっとうしいんだよなあ、美佐、いやアスタリア様。でも、この状況で助けてもらえないと詰むしなあ」
「バルバラったらそんなこと言っちゃだめよ。アスタリア様はねバルバラのことを想って」
「おばちゃんが親戚の子から親の愚痴聞いたときみたいな台詞やめてくれよジーナちゃん……」
いやまあ確かに、美佐緒の助けは涙が出るほどありがたい。欠点のない完璧な存在だと思ってた妹の人間味に触れられてホッとしてるのも事実だ。
ただ一方で、事あるごとに言われる『帰って来い』には辟易している。美佐緒には分かりっこない。教室には居場所がなく親からも期待外れと怒鳴られる、人生で一番繁殖の欲望が強い時期に女からは拒絶される。せめてと思ってすがりついた将来への展望も打ち砕かれた。小説だって細々と書いちゃいたがデビューできる見込みもなかったし、あんな世界、帰ったってオレには何の望みもないのだ。
「うん、いいけどね、今は全然。バルバラなら時間はかかっても絶対、理解できるって信じてるから」
亜麻色の髪を揺らしてジーナちゃんがふんわり笑った。
「だってバルバラは本当に良い子で素敵な子。わたしも、それから女神アスタリア様も、そのことは充分わかってるもの」
「ジーナちゃん」
ああ、なんて可愛いんだジーナちゃん。アスタリアの三兆倍は女神度高い。神殿を建ててお祀りすべき。
「ジーナちゃん、オレ、誓うよ。一生をかけてジーナちゃんを幸せにする」
「ば、バルバラ? うれしいけどわたし今じゅうぶん幸せなのよ?」
白くやわらかい手をギュッと握ると、ジーナちゃんが目を丸くする。その様子さえ可愛くて可愛くて、世界中のあらゆる危険や恐怖や苦痛から守りぬいてあげたい気持ちになる。
家永孝也、十八歳。ただいま、同人乙女ゲームの悪役令嬢やってます。体のちんこは消えたけど、心のちんこはまだまだ現役。いっそもう百合エンドで全然良い、この世界でこの娘と結ばれて、生きとし生けるイケメン全てを足蹴にしてぐりぐり踏みにじりながら生きていきたい。
これはオレの、そんな日々の奮闘の物語。に、なる予定です。
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