第38話





 深紅の帯。

 女神様の暗い緑色の装いにてひときわ鮮やかに存在感を発揮していた帯だ。

 だが、目立っていたのはその特異的な色合いだけが原因ではない。

 直樹がストーカー兼召使いを行っていた頃。女神様が夜間に着物でかまくらを作って休み休み行動を行っていた頃。

 深紅の帯は夜な夜なひとりでに動き、獲物を撃ち落とし、死体の山で要塞を作り上げていた。

 自律的に動く帯。明らかに怪しい。

 そんな深紅の帯に直樹は現在、頭を悩ませていた。

 なぜか、深紅の帯が、しれっと直樹の腰に収まっていたからだ。

 帯は、ちょうどベルトみたいに直樹の腰に巻きついていた。

 帯なのでベルトとしては太すぎであったが、コルセットみたいではあるので、くびれ効果は抜群だろう。もしかしたら、バストアップも目指せるかもしれない。

 ……帯そのものが分厚いから、くびれ効果は期待できないかもしれない。もしかしたら、バストアップしか期待できないかもしれない。


「どうなってるんだよ……ねぇ、帯さん? ねぇ? 返事してよ……」


 直樹の途方に暮れた嘆きが響く。

 帯は相変わらずうんともすんとも言わない。





 女神様を埋葬し、別れを告げた直樹は墓を眺めながらぼうっとしていた。

 前に進むと決めた。けれども、これからの指針が決まっているわけでもない。

 直樹は疲れが一気にどっと押し寄せてきていた。それだけ、ここ数日の激動っぷりは凄まじかった。

 心身ともにボロボロとなって自殺寸前の状態で女神様と出会ってからまだ半月も経っていない。もうだいぶ昔のことのようである。

 女神様と出会って、四本ヅノの鬼の核を食らった。三本目のツノが生えた。

 そして、ツノの伸縮を初めて使って巨大バエとウジ虫から逃げ伸びた。

(まじでキモかったなぁ……)

 その後、女神様に追いついて、ストーカー兼召使い生活が始まった。

 女神様についていった日々はこの地獄の洞窟にあって、とても快適だった。

 だが、激動の数日間は彼女との唐突な別れから始まった。

 女神様がパレードを殲滅した後、直樹は大量の核を体内にぶち込まれた。そして、四本目のツノが生えてきた。女神様は進化中に姿を消していた。

 彼女を追いかけて、カマキリやゴリラに勝ち、自信を少しだけつけた。

 しかし、鳥人にボロボロにされた。楽しくて悔しかった。

 それから、パレードと砲台亀に遭遇し、小径を彷徨って女神様を看取った。


「はぁ……」


 思い返すだけで一苦労、直樹はため息をついた。

 ここ半月の、特にここ数日の密度がすごいことになっていた。

 だが、ここまでの軌跡を振り返ってみて、確かなことが整理できた。

 直樹には今、目標がある。

 目標その一、生きてこの洞窟を脱出すること。繋いできた命をこれからも精一杯紡いでいく。

 目標その二、鳥人をぶちのめすこと。いつか必ず。

 この世界どうなってんだよ、とか、なんで俺鬼になってんの、とか、色々と疑問は尽きない。

 だが、結局、達成したい目標はこの二つだ。

 そのためにもっと強くなる必要がある。もっと食べる必要がある。

 対して、目標を目指す上で最大級に警戒すべきことも二つある。

 砲台亀と女神様を殺ったヤツだ。

 パレードの主人。正直、近寄るだけでもヤバすぎるこの二体。

 だが、女神様なき今、奴らは最大の手がかりでもあった。特に砲台亀に関してはほぼ確定的だ。

 外への脱出果たすためには、奴らと接触する必要がある。





 直樹は気持ちを新たに、なんとか切り替えて、女神様の墓より翻した。

 歩み出そうとした。

 だが、直樹の目の前にはあるはずのないものが目に入ってきた。

 深紅の帯。


「あれっ……?」


 直樹の口から戸惑いがこぼれ落ちる。

 確かに女神様と一緒に埋葬したはずであった。

 だが、まだ目の前にあるということは、埋め忘れていたということだろうか。再び墓を開けるのはあまり気乗りしないが、埋め直すべきだろうか。

 直樹が迷っていると、帯がひとりでに、直樹の体へと巻きついてきた。

 

「へっ……⁉︎」


 それから、直樹は戸惑いながらも、何度か帯へ向かって呼びかけてみた。何度も呼びかけてみた。

 冷静に考えれば今の直樹は、帯にずっと話しかけ続けているヤバい奴、である。

 それでも話しかけてみた。

 だが、一切返答がなかった。

 帯……、やっぱり意思があるのだろうか。巻きついてきて以来うんともすんとも言わないけれども。

 それに外そうとしても一切外れない。

 これお着替えしたくなったらどうしよう。まぁ、今の所着たきり雀だから気にするだけ無駄だが。

 もう、考えるだけ無駄かもしれない。


「はぁ……もういいや」


 四本ヅノの鬼の腰巻と女神様の帯。

 どんどん物が増えていく。

 進もう。

 物も、命も、受け継いで。

 まだ、進める。






 ***





 墓をあとにして、しばらく、直樹は小径を遡った。

 正直鳥人や砲台亀と出会ったあの大きな広間への道を直樹は全く覚えていなかった。

 だから、気の赴くままに進む。

 とりあえず、大きな通路に出られればいいや、というアバウトさ加減で進む。

 生命維持のためにも、パレードの主人を発見するためにも大きく広い場所に出る必要がある。

 このまま迷路で、迷ったまま白骨死体になるのは嫌だな、なんてことを思いながら、直樹は歩いていた。

 やがて、もうしばらく小径をたどっていったところで、遠くから音が聞こえた。


「ドォン、ドォン、ドォン」


 まるで花火のような、砲台から大砲が放たれているような轟音が何発も。

(……うへぇ。これ砲台亀じゃん)

 直樹はうんざりした表情を浮かべる。

 あの強烈な力を持つパレードの主人。

 だが、直樹の怠そうな表情には、かのバケモノの力の他にも理由があった。

 直樹が洞窟脱出のために求めていたモノ。


「やっぱり、あいつも洞窟の外の世界の住人なのかな……」


 直樹の呟きが虚しく小径に響く。

 元々女神様を追いかけるようになったのは外の住人の可能性が高いからだ。外に出られる手がかりを得られる可能性もあると踏んだためであった。

 砲台亀も彼女と同じく、特徴が、この洞窟では他に類がない。 

 十分に可能性は感じさせる。

 ただ、女神様と比べて大分、ストーキング難度は高そうであり、その面では可能性を一切合切へし折ってくるが。


「はぁ……」


 思わず、ため息が漏れる。

 が、それでも、直樹は足を砲撃音の方向へと向けていた。

 今までよりもだいぶスピードを上げて、歩みを進めていた。

 やれるところまでやってみよう、という半分自棄に近い感情によるものであった。

 女神様の許を離れて前に進んだところ、幾分と経たずに進む方向性を決定しうるものに出会えた。

 運命的なものを感じた。

 ここまで生き延びる手助けを散々してくれた直感が、アクセルを全開にして進めと告げていた。

 直樹は駆ける。砲台亀のもとへ向かって。

 次のミッションはどうにかして砲台亀をストーキングすること。

(……リアル・ミッションインポッシブルじゃん。……でも、やってやる!)

 決意を込め、無駄にキメ顔を作り、直樹は砲台亀を追いかけ始めた。

 だが、直樹の無駄なキメ顔はすぐに崩された。

 砲撃音の元へ近づくにつれて、砲台亀やパレードのバケモノたちのものではない、奇妙な音が聞こえるようになってきた。


「…………」


 微かで聞き取れない。

 だが、直樹の耳が確かならば、それは意味のある言葉に聞こえた。

 直樹は全速力で駆ける。

 やがて、砲台亀の大暴れが止まったのか、砲撃音も地ならしも消えた。

 よりクリアになった音が直樹の耳を貫いた。


「……さんっ!」


 間違いない。

 ヒトの声だ。

 女の子の声だ。

 誰かの名前を呼びかける声。

 なぜか、そんなはずはないのだが、なぜか、直樹が聞いたことのある声。


「……さんっ! しっかりしてっ!」


 死をせき止めるための、誰かの意識を繫ぎとめるための声。

 高校で頻繁に宿題の提出を催促してきた、あの鬱陶しくて、懐かしい声。

 

「サクさぁんっっ!」

 

 少女の、江本舞の泣き叫ぶ悲痛な声が聞こえてきた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る